根回しは大事
「九十九……、お前、情報国家にはあれほど関わるなと言っただろ?」
報告書に目を通した後、兄貴が溜息を吐いた。
「それは、高田と千歳さんに言えよ」
あんな状況でオレに何ができると言うのか?
「オレに、職務放棄をしろと?」
それ以外の解決策がオレには思いつかなかった。
「目立つことをするな、と言っているのだ」
「カルセオラリア城下のは不可抗力だし、イースターカクタス国王に関しては、千歳さんの友人で、もともと高田に興味があったような人だ。どうしろって言うんだよ」
どう考えても回避できる気がしない。
高田に全て押し付ければ、少なくとも、情報国家の国王陛下から逃れることはできたかもしれないが、それを選択した時点で既に護衛ではないだろう。
「それに……、ミヤドリードのことも知っているっぽかったぞ」
あの国王の口からごく自然に出てきた「ミヤドリード」の名前。
それも、高田を試すような口ぶりだった。
「知っているのは当然だろう。情報国家の国王だぞ?」
「なんでも知っているってか?」
「……さあな。どこまで知っていることやら……」
兄貴は曖昧な返答をした後、ふいっと横を向いた。
「高田に付いている護衛が二人いて、どちらも黒髪ってことも知っている。何より……、そこに書いているように、兄貴に会ったような話もしていたぞ」
「……それについては、心当たりがある。まさか……、情報国家の国王自らが、アリッサム崩壊から数日の時点で、セントポーリア城下に訪れ、民に溶け込んでいるなど、誰も思うまい」
「なかなかアグレッシブな国王だな」
そうとしか言いようがない。
「供も連れずに不用心な話だ。臣下も気が気ではないだろう」
そうだろうか?
「情報国家の日常かもしれないぞ。王族の中には脱走癖がある人間も少なくはないみたいだからな」
アリッサムの第三王女も、ジギタリスの第二王子も、ストレリチアの第一王女も、かつて脱走の常習犯だったと聞いている。
さらには、セントポーリア王の血を引く高田も一つの場所で落ち着いてはいないし、カルセオラリアの第二王子も、城下まで気軽に出かけるような人だった。
「情報国家は精度と鮮度が落ちる情報を嫌うからな。できるだけ、自分の目と耳で情報を仕入れたいのだろう」
兄貴はもう一度、オレの報告書に目を通しながらそう言った。
こうして見ると、随分、治ったように見えるが、全く変化はないのだろう。
紙を一枚、一枚捲るたびに、少しだけ顔を歪める。
多少の痛みなら隠す兄貴が、誤魔化しきれていない辺り、その苦痛は想像を絶する。
心を読める長耳族のリヒトが、夜中に兄貴の声が聞こえてしまうのか、魘されることがあるぐらいだ。
「兄貴は、あの世界会合を見て、どう思った?」
なんとなく会話を変えてみる。
「なかなか面白い出来レースだったな」
「出来レース?」
「始めから、クリサンセマムを除く、5か国で、ある程度、大雑把な打ち合わせをされていたのだろう。いくら何でも流れが良すぎる。その音頭をとったのがどの国かはあれだけでは分からんが……。恐らくは主導したセントポーリアか、纏め役となったイースターカクタスだな」
兄貴はなんでもないことのようにそう言った。
「……ちょっと待て。それって、何のための協議なんだ?」
「協議をしたという事実が必要だったということだ。中心国の城が崩壊したのに何も問題を提起しないわけにはいかないだろう」
「それなら、なんで、クリサンセマムは除かれたんだよ?」
「恐れ多くも、クリサンセマムの国王陛下は小も、いや、未じゅ……、いや、経験が浅いからだな」
さりげなく「小物」、「未熟」と言いかけたな?
「向こう二十年は、アリッサムの女王陛下と比較され続けるだろう。アリッサムの女王陛下は人付き合いこそ得意ではないが、取捨選択に長け、政治感覚も鋭敏であったと聞いている」
「……二十年って、クリサンセマム王も譲位する頃じゃねえのか?」
大半の国王は、跡継ぎとなる王子や王女などが25歳になった後、その数年以内に譲位することが多い。
譲位後は、隠居し、陰から国を支えるそうだ。
そんな年代まで比較され続けるのもあんまりな話だと思う。
「降って湧いただけの地位にあれだけ分かりやすく浮足立っているのだ。当然の評だろう? まあ、当人も他者による評価を知っているからこそ、自国の味方になりそうな国を推したのだろうが……」
あそこまで露骨だとは思わなかった……と、兄貴は苦笑した。
確かにいろいろな根回しも不十分だった気はするが、まさか、既に全てが決まっていた後だなんて思っていなかったことだろう。
「カルセオラリアを引き摺り降ろすには決定的に力量不足だ。実際問題、機械国家は文字通り世界を動かしている。他国では容易に成り変わることができるはずもない」
「でも、国が崩壊したぞ」
「あの場でも言われていたが、城は国の一部であって、国そのものではないからな。カルセオラリアは国王も王族も生き残り、機械国家に大切な技術と技術者は自国や他国にも数多くいる」
兄貴は饒舌に語る。
どうやら、かなり暇だったらしい。
まあ、話している間は、身体の痛みも少しばかり落ち着くと聞いているので、気が済むまで語らせよう。
煩いけど……。
「クリサンセマム王は……道化師だったということなのか」
ある意味、他の中心国たちから嵌められたとも言えなくもない。
そして、恐ろしいのはあの状況を映していた水晶体の存在だ。
あれを見ていたのは、あの場にいたオレたちや、兄貴だけではない。
法力国家の王子、魔法国家の双子の王女たちもそれぞれ別の場所で見ていたはずだ。
もしかしたら、機械国家の王子や王女も自国の処遇を含め、見ていた可能性はある。
そうなると……、他国の王族が見ていなかったという保証もない。
最悪、全世界に、あの状況が伝わっていた可能性はあるだろう。
「いいや、光り輝く名脇役だったよ。おかげで、千歳様のデビュー戦は輝かしいものとなった」
そう誇らしげに言う兄貴はどう見ても……、この国に数多くいる大神官の信望者と大差がない気がしてくる。
思えば……、昔から兄貴はそんなところがあった。
ただ、その崇拝対象がずっと見える場所にいなかったからその影を潜めていただけだ。
オレが高田を護ることが過保護だと言うのなら、この兄貴の言動はもっと危険水域にあると思っている。
「その分、内外に敵も増えるだろうがな。その辺りは……、陛下にお任せするしかない」
「ああ、兄貴。その件について、高田が不機嫌だったぞ」
「不機嫌とは?」
兄貴が書類から目を離し、オレを見た。
「今の高田は知らなかったからな。千歳さんが、何のために勉強していたのかを」
「千歳様に口止めされていたからな。已むを得ん」
「口止め?」
いつの間に、そんな話があったのか?
「娘を驚かせたいから黙っておけと言われていた。いつか、セントポーリアに戻って来た時に、身分はなくとも肩書きがあれば護ることができる。だが、それを先に伝えては、彼女の成長の妨げになる可能性を心配されていたのだ」
「成長の妨げ?」
「どうしても、甘えが出るかもしれないだろう? 自分が頑張らなくても、母親に護ってもらえるから、と。勿論、杞憂だとは言っておいたがな」
「確かに杞憂だな」
母親に甘え?
あの高田が?
確かにオレたちに対してよりは甘えるだろうけど……、それでも、母親の肩書きを当てにして怠けるようなタイプではない。
そんな楽で単純な相手なら、オレたちだって苦労はないのだ。
「結果として、母親以上の肩書きを背負うことになったわけだが……」
「兄貴は、千歳さんに伝えたのか? 高田が「聖女の卵」だと」
「伝えていなかったな。まさか、俺もこんなに早く再会することになるとは思っていなかった。こればかりは、計算違いだったとしか言いようもない」
中心国の会合が開かれたこと自体が、予定にないことだった。
いや、全てが予想外のできことだったのだ。
折よく開催国に滞在していることも、兄貴が身動き取れなくなることも、会合の様子を見ることになったのも、あの母娘が再会することになったのも。
「千歳様も、彼女がこの国にいることは知らなかったはずだ。そして、栞ちゃんも。それらを含めて、全ては運命の悪戯と言うか、何かの導きと言うか……」
そう言う兄貴は、溜息を吐きかけ……、顔を苦痛に歪めた。
そこで、痛みを思い出してしまったようだ。
兄貴にだって、予想できないことはある。
厄介なのは、その予想外の出来事というモノが、あの母娘に関して、発生しやすい点だ。
それを思えば、溜息の一つも吐きたいだろうが、気の毒なことに、今の兄貴の身体にはそれすら許されないらしい。
「いつ頃……」
「分からん」
オレが「いつ頃治りそうなのか? 」と問う前に、返答が先に出た。
予測されたらしい。
「暫くは、お前とリヒトに押し付ける」
「……ああ、そのことなんだが……」
オレはなんとなく、考えていることを口にした。
「この状況で、オレが高田の護衛を、暫くできなくなったら……問題だよな?」
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