どんな天秤にも
こんな底冷えのするような母の声を聞くのはどれぐらい久し振りだろうか?
「ああ、俺の息子のシェフィルレートが、カルセオラリア城が崩落した後、その城下だった場所で、面白い黒髪の男を見つけたらしくてな。恐らくは……、ツクモだろ?」
イースターカクタス国王陛下は、確信したかのように九十九に向かってそう言った。
「そうですね。王子殿下の命でいきなり拘束されて、担ぎ上げられました。大神官様の介入がなければ、イースターカクタス国王陛下には、もっと早くお目にかかることになったでしょうね」
隠すかと思ったけど、九十九もさらりと答えた。
しかも、しっかり皮肉を込めて。
「なるほど……、イースターカクタス国王陛下は息子の教育も碌にできていない……、と」
「それを言われるとな~」
母の冷たい言葉に対しても、イースターカクタス国王陛下は、笑いながら軽く答える。
「王子教育を王妃殿下に任せすぎだからでしょう?」
「でも、アレが言うには、俺が近くにいる方が息子の教育に悪影響が出るらしいぞ」
聞いた限りでは、イースターカクタス王妃殿下は気が強い方らしい。
相手は王さまだと言うのに、なかなか酷いことをはっきりと言う。
「……それなら、仕方がないか」
そして、それに対しての母の言葉も結構酷い。
「ちょっと待て? 何故、そこで納得するのだ?」
「イースターカクタス国王陛下の悪名は、世界各国に広まっていますから」
「悪名って……、その自覚はあるが、そこまではっきり言うのは、お前ぐらいだと思うぞ、チトセ。アイツだって、そこまで言わない」
「それは光栄ですね」
母は、上品にころころと笑う。
どれだけ心臓が太ければ、そんなことを言えるのか、わたしにはわからなかった。
「ねえ、九十九……」
わたしは目の前の光景を見ながら、九十九にそっと話しかける。
「なんだよ?」
いつもの口調に、心から安心する。
先ほどまでの硬い口調の九十九には未だに慣れないのだ。
「母は……、セントポーリア国王陛下に対しても、こんな感じ?」
そうだとしたら……、セントポーリア国王陛下は母のどこが気に入ったのか、分からない。
「いや、セントポーリア国王陛下にはもう少し、大人しかったと記憶している。こうして改めて見ると……、お前、しっかり母親似だな」
「この状況を見せられてその言葉は嬉しくないなあ……」
九十九の言葉に、わたしは溜息しか出なかった。
少なくとも、わたしは今の母よりはマシだと思いたい。
確かに、今の母は、気を許している相手に対しての話し方に変わっていることは間違いないだろう。
そして……、こんな母のことを、これまでのわたしは知らなかったのだ。
「知っているようで、わたしは自分の母のことを全く、知らなかったのだなって思うよ」
セントポーリア国王陛下に手を引かれて、あの会合に姿を見せた時から、漠然とそう思っていた。
「これから知ることができるなら、それで、良いんじゃねえのか?」
「あ……、ごめん。ちょっと無神経だったね」
わたしは口を押さえる。
九十九は、生まれてすぐ、母親を亡くしていると聞いた。
彼は、母親の本当の姿をこれから知ることができないのだ。
「別に。元からいない存在だ」
九十九は特に興味をなさそうな言葉を返す。
これは、独り立ちが早い魔界人だからなのか。
それとも、九十九だからなのか分からないけれど、彼は自分の両親に対してあまり強い感情を持っていないような気がする。
「九十九くん。そのシェフィルレート王子殿下に拘束された時の状況って、ここで話せる? この人も、状況をよく知らないみたいだから」
「え? はい」
母に話しかけられて、九十九は思考も口調もしっかりと切り替えて、話し始めた。
九十九が拘束された状況は、わたしもその場にいなかったため、恭哉兄ちゃんに後から聞いただけだった。
カルセオラリア城下で、怪我人相手に応急処置をしていたところ、見つけられ、拘束されて連れていかれる所だった、と。
だけど……、彼の口から語られた状況は……、思っていた以上に酷い話だった。
会ったこともない王子さまではあるのだけど、もう少し、状況を見て行動して欲しいと思うぐらいには。
「怪我人ばかりの状況で、たった一人、治癒魔法を使って対応していた人間を問答無用で拘束し、その手を止めさせ邪魔した上に、その国の王族たちの制止の声も完全無視して、他国民とはいえ連れ去ろうとは……、我が息子ながら阿呆なことをしたものだな」
どこをどう聞いても、救いようのない九十九の話を聞いて、イースターカクタス国王陛下は溜息を吐いた。
どうやら、この王さまにはまだ、良識があるらしい。
「まるで、昔の貴方みたいね」
「お、俺はそこまで酷くはなかった……、よな?」
「酷くなかったかしら?」
母がそう言うと、少々、自信がなくなったのか、イースターカクタス国王陛下は考え込んでしまった。
昔……と言うからには、母たちの若い頃の話なのだとは思う。
「ツクモ、謝罪はいるか?」
「いいえ。自分は、大神官様により、助けていただきましたから何も問題はありません。ただ、カルセオラリアの復興に少しだけ御心を砕いていただければ、自分が手を貸した甲斐はありますし、あの場にいたカルセオラリアの国民たちも納得しましょう」
遠回しに、口先だけの謝罪より、誰の目にも分かりやすい復興支援をしろと九十九はイースターカクタス国王に伝えた。
「分かった。愚息にも伝えておこう」
イースターカクタス国王陛下は不敵に笑った。
「それでは、お前たち。イースターカクタスの庇護はいるか?」
「庇護?」
イースターカクタス国王陛下の言葉にわたしはオウム返しをする。
「シオリが、セントポーリアのダルエスラーム坊に追われているだろう? イースターカクタスに来れば、匿ってやることも可能だぞ」
「その見返りは?」
わたしが答えるより先に、九十九が確認する。
なるほど、先ほどの話とは完全に切り離し、別の対価を要求される可能性があったのか。
危ない、危ない。
そんな九十九の顔を見て、イースターカクタス国王陛下はニヤリと笑う。
「シオリ嬢自身だ」
「お話になりませんね」
九十九が鼻で笑った。
まるで、雄也先輩みたいだ。
いや、兄弟だから似ているのは当然なのだけど。
「随分な自信だな、ツクモ」
「はい。我が主はどんな天秤にも載せることはできませんから」
それは、物理的に重いということでしょうか?
「それなら、ツクモ自身ならば?」
「自分……ですか?」
「ツクモがイースターカクタスに来れば、情報国家の名に懸けて、シオリ嬢を生涯守ろう……そう言えば、どうする?」
ちょっ!?
この王さま、なんてものを秤に載せようというのですか?
「……逆にそれでは釣り合わない気がしますが?」
九十九は訝し気にイースターカクタス国王陛下を見るが、王さまは余裕の笑みを見せたままだった。
「先ほどのシオリ嬢との会話を少しだけ聞かせてもらったが、ツクモは母親がいないのだろう? 父親は?」
「いません」
九十九はきっぱりと返答をする。
あれ?
なんか……、この流れってなんとなくだけど……、あまりよろしくはないような?
「セントポーリアに他の身寄りは?」
「兄が一人います」
「兄? ああ、もう一人の黒髪の護衛か」
……やっぱり、そこも知っているのか。
「シオリ嬢たちが脱出した後に、セントポーリア城下で会ったあの男だな。言われてみれば、よく似ている。そうだろ? チトセ」
「さあ? そこは、私に聞かず、当人に確認してください」
母はすっとぼけたが、恐らく、それは本当のことだろう。
知らなければ、「知らない」と返答すれば良いだけなのだ。
情報国家に嘘は良くないことを母も知っているのだと思う。
「あの男も面白そうだが、俺はお前が気に入ったんだよ、ツクモ」
そう言いながら、イースターカクタス国王陛下は九十九の肩に手を置いた。
そして、この金髪碧眼の美形な王さまは、続けて、とんでもないことを彼に言った。
「俺の子にならないか?」
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