憧れの再現
始め、彼女に近付いたのは、ただの好奇心だった。
黒い髪、黒い瞳。
そして、一般的な女性としてはかなり小柄な背丈。
顔は童顔、平均よりは上だと思うが、世間で言う女性的な魅力と呼ばれるものからは、外れてもいた。
少なくとも、自分の好みの女性……ではない。
三年近くも人間界で、同じ中学校と呼ばれる学び舎に通っていたのだが、一度も同じクラスになったことはなかった。
一学年が6クラスもあったのだ。
同学年でも一度も同じクラスにならない人間は少なくなかった。
彼女はその中の一人である。
ただ名前だけは知っていた。
彼女の身長は平均よりかなり低く、その顔も一部にはウケそうな……、まあ……、少女趣味と呼ばれる系統が好きなら受け入れやすい容姿だったことが原因だと思う。
だけど、自分はそこまで興味も湧かなかった。
そんな彼女に興味を持ってまともに話す機会に恵まれたのは、人間界での最後の日。
卒業式と呼ばれる節目の日に、自分が通う学校で、魔界人と思われる人間による襲撃があった。
正直、まともではない魔気と感覚の持ち主を前に、あの時、俺は寝たふりをしながら隠れていたのだ。
魔界で生きていれば、魔法と言うモノはどうしても付きまとう。
それでも、その魔法を使って他人を害する意思を見せるような人間はごく一部でしかない。
人間界で言えば、包丁を持った人間が皆、人を刺したくなるわけではないようなもので、魔法があったからと言って、必ず、それで他者を攻撃することはない。
騎士や兵士なら分かる。
彼らは鍛錬のために武器や魔法を使う必要があるからだ。
だが、自分はそんな職種ではない。
滞在先に人間界を選んだのも、争いもなく割と安全な場所だと聞いていたからだ。
それに他国に行くよりは、面白い物を見ることができるとも思ったという理由もあった。
そんな自分はあの場に、何も持たない身で、あの男の前に立ちはだかった彼女のことを心底、馬鹿だと思った。
だが、同時に目も離せなかった。
自分が人間界に行ってから、ひたすら読み漁り続けた漫画と呼ばれる物語に登場する主人公たちのように、絶望の中でも立ち上がる人間を、俺は目の前で見た。
自身が傷ついても、心が折れずにその場を守り続ける少女。
そんな憧れの再現のような状況に心が躍らないはずがない。
できれば、いつまでも見て居たいと思ってしまうぐらいには。
だが、その光景も、衝撃的な形で終わりを告げる。
襲撃者の中心的な存在と思われる男の後頭部に椅子が投げつけられる形で。
勿論、自分ではない。
彼女の姿を痛ましいと思いはしたが、自分の身を犠牲にしてでも、助けるほど義理がある関係でもなかった。
何より、自分はあの状態を終わらせてしまうのは勿体なかったと思うような人間だ。
そんな無駄ともいえる行動をするはずもない。
その後に、傷だらけの彼女が呼び寄せた男の侵入により、事態は収拾することになる。
ただ自分にとってはそんな状況すらも……、漫画にありそうな展開で、胸が騒いでしまったことはここだけの話。
敵によって大ピンチを迎えていたヒロインを、ヒーローがかっこよく助けに来るなんて、王道過ぎて、笑うしかないだろう?
その後、運良く、彼女と話す機会があったが、その時は本当にごく普通の人間の少女だった。
でも……、さり気なく「彼氏はいるのか? 」と問いかけた時の反応は、かなり男心を擽るような顔をしていた。
肯定しながらも、少し、頬染めて恥ずかし気に目を逸らすとか……、展開としてはニヤニヤして頬が緩んでしまう。
しかもその相手が予想できたから猶更、頬のゆるみは治まらなくて、たまたま、近くにいたイズミから「気持ち悪い」と言われてしまうほどだった。
だがまさか、魔界に戻って二年以上経った後に、その彼女と再会することなるとは思わなかった。
会った時は、一瞬、本気で分からなかったのだ。
いや、顔が変わったのではない。
単純に雰囲気の問題だ。
抑えていても分かるほどの綺麗な風の気配を纏った少女は、人間界で会った時とは比べ物にならないほど、気品がある女性になっていた。
その口調はともかく、少なくとも高度な教育を施されたことは分かる程度には。
人間界に来ていたぐらいだ。
身分が低いはずもない。
加えて、セントポーリアの王子から追われているほどだ。少なくとも、王子へのお目通りが叶う身分にあるとは思っている。
セントポーリアの王子は外交以外で城外にほとんど出ることがないらしいからな。
さらにトルクスタン王子殿下から、薬の服用報告書を見せられた時……、詳細な情報よりも、三種類の絵に目を奪われた。
写実的な絵、魔界でよく見るような絵、そして……、見事にディフォルメされた絵。
それを見た時の自分の喜びは恐らく誰の理解も得られないだろう。
知らないものを説明することは難しい。
だから、魔界人に「漫画」という物はなかなか理解されないだろう。
それが、どんなに自分が好きなものであっても。
だが、既にそれを知る者なら?
しかも、それをすぐに描けそうなぐらい絵心がある人間なら?
そう考えた自分の行動の早さは、今までで最速だったと言えるだろう。
それから彼女との漫画を描く日々は、本当に幸せだったのだ。
自分にない技術、発想。
かなり様々な刺激を貰ったと思う。
このまま、彼女がここに留まってくれたら……、そう願うくらいには。
だが……、それを雑談の中で、うっかりウィルクス王子殿下の前で口にしてしまった。
それが、後の悲劇に繋がると分かっていたら、自分は絶対に言わなかっただろう。
いや、もともと、あの王子はトルクスタン王子殿下の客人に興味を持っていた。
特に、風属性の魔力を纏う三人に。
時期の差はあっても、いずれは、同じことが起きていたことは間違いない。
「城、崩れる時、一陣の風が神の世界へと導かん」
これは、ウィルクス王子殿下が生まれた頃に現れた「盲いた占術師」と呼ばれる者が国王陛下へ告げた言葉である。
自分は占術などという曖昧なものを信じはしないが、ウィルクス王子殿下はずっとそれを信じて生きてきた。
だから、進歩の無い研究に「風」を巻き込みたかったのだろう。
そのことが、「生命の誕生」に至ると信じて……。
それに、誰があの人を止められただろうか?
忘れもしないあの日。
国で原因不明の流行り病が蔓延した。
最初の発症者は王女殿下だったとされているため、緘口令が出された上に、厳戒態勢がとられたが、すぐに終息はしなかった。
そして、厄介なことに同時期、人間界でも、「流行性耳下腺炎」という病気が流行っていたのだ。
それも、自分が住んでいた「小学校区」で。
幸い、その時、俺は「流行性耳下腺炎」を発症しなかったが、王女殿下が発症する2,3週間ほど前に、自分は一時的に国へ還ったことがあった。
婚約者とは言っても、その時に俺は王女殿下と対面したわけではない。
だが……、これまでに魔界で存在しなかった頬が腫れる原因不明の流行り病。
そして、それと似たような流行り病が蔓延している地域にいた自分。
それらをただの偶然と片付けられるはずもなかった。
もしも、自分が還らなければ……と思わなくもない。
既に結果が出てしまった後で、何を言っても仕方はないのだろうけど。
そんな罪悪感を抱えてしまった自分は、何かに縛られるように国へ尽くすことになる。
誰よりも従順に、忠実に……。
何一つ、疑われないように。
だが、皮肉なことに、そんな自分が……、ウィルクス王子殿下の目に止まる。
そして……、「二十歳の生誕の儀を過ぎても、発情期がこない」と余計な事実を聞かされたのだった。
第一王子殿下は、「婚儀までは異性に触れない」という約定を律儀に守っていたらしい。
ほとんどの王族は、発情期防止のためという建前を、暗黙の了解として、禁を破っているのに。
やがて、王子殿下は「王位継承権第一位の人間が、王の許可も得ずに他国へ行ってはならない」というもっと大きな禁を破り、人間界にて検査を受け……、絶望することとなる。
だが、機械国家の第一王子殿下は諦めなかった。
出来ないモノは創れば良い。
そうして発展してきた国の頂点に立つために。
その後、魔法国家アリッサムが崩壊し、落ち延びた第二王女殿下と婚約し、さらに彼女からの協力を得て、さらに「神の領域」を目指す。
その願いは、城の崩壊に繋がると、どこかで知っていて。
そして、予言通り、城は崩れ落ちた。
そこにいた多くの人間たちが抱いた夢や希望も巻き込んで……。
そこにあった苦労も、苦悩も飲み込んで。
後に残るは瓦礫ばかり。
だから、そこに何があったのかを知っている人間は少ない。
だが……、あの少女の夢の欠片だけは、守られた。
それでも、全てを守れなかったことは申し訳ないと思う。
だから……、決めた。
再び、彼女が自分の夢に向かって進むのなら、自分はそれを叶える手伝いをしよう……、と。
そして……、いつか、彼女のことを物語にしよう、とも。
迷いなく進む彼女なら、今よりさらに大きなことを成し遂げるだろう。
昔、見た、敵わぬ相手にも、一歩も引かなかったあの娘なら。
この数年後。
そんな彼女から、ある相談を持ち掛けられることになるのだが、この時の自分は、当然ながら、それをまだ知らなかった。
それは、人、一人の人生を左右するほどの話。
そして……、同時に、一国を亡ぼすに等しい話だったのだ。
この話で、41章は終わりです。
次話から第42章「世界会議大祭典」が始まります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




