夢魔の飼い主
「ちょっと彼を刺激しすぎたね。」
そんな声がどこからか聞こえてきた。
「え?」
その声の主は、不意に姿を見せたかと思うと、あっという間に彼を昏倒させ、わたしの前に姿を見せる。
庇ってくれるように目の前に立ちはだかった背中に恐る恐る声をかけた。
「ゆ、雄也先輩?」
真っ黒な学生服姿の雄也先輩を、初めて見るせいか少しだけ違和感があった。
いや、ちゃんと似合っています。
本当に似合っているのです。
でも……、制服ってこんなに色気があるものでしたっけ?
詰め襟部分と第一ボタンが外されて、ちょっと気崩した感を見事に演出してると言うか?
イメージはブレザーだったけど、思いの外、学ランも似合っていた。
そして、今更ながら、彼がこの高校の生徒だったことを思い出す。
「心配しなくても、彼は眠らせただけだよ。魔力の暴走時は、誘眠魔法等の精神に作用する魔法が利きやすい。尤も、人間界ではあまり強い魔法は使えないからすぐ目は覚ますけどね」
その言葉どおり、松橋くんは頭を抑えつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「い、一体どこから……?」
それはわたしも思った。
松橋くんの話では、ここ一帯には王族クラスという凄そうな方々も転移はできないと言っていた結界があるはずだ。
それなのに、どこから入って来ることができたのでしょう?
「単純な話だよ」
雄也先輩はにっこりと笑う。
「俺は、キミたちが結界を張る前からここにいただけ。彼女に何か仕掛けるつもりがあるのは分かっていたからね」
「そんな気配は……」
「気配を消す術はいくらでもある。魔法に頼らなくてもね」
松橋くんの顔は蒼白だった。
元々、肌の色が白いのに、それがさらに不健康さが増したような青白い色。
「キミたちが普通に話し合うなら姿を見せる気はなかったんだが……、他国に来ることが許されるような位の高い人間が魔力を暴走させたら、抗魔法、耐魔気を一切持たない彼女なんかは一溜まりもないからね。悪いけど、介入させてもらったよ」
「す、すみません。魔力の暴走には……、気をつけていたんですけど……」
先ほどとは違って、妙に低姿勢の松橋くん。
「それだけ、体力が落ちている状態なら制御が効き難くなるのは当たり前だ。何のつもりかは分からないが、何故、キミは夢魔を飼っている?」
「え?」
飼って……いる?
「夢魔と知っている相手に餌を与えているなら、それはもう『飼う』という表現で間違いないだろう?」
「あ……、そうなるのか……」
彼は、渡辺さんを夢魔だと知っていた。
そして、それでも彼は目に見えてやつれていた。
それは確かに普通じゃない気がする。
「貴方も……、知っているんですね。」
「ソレに餌にされかけたのは俺の弟だ。個人的にはあの夢魔をこの場に引き摺り出してすぐさま祓ってやりたいと思っている」
「弟……、それで……」
そう言って、彼は考え込んだ。
「それはお怒り、ご尤もです。だけど、俺はアイツを……」
「魔物でも好きってこと?」
好きとかそんな感情を持つことを否定しているわけではない。
でも、明らかに自分に対して害を与えようとしている存在に好意を持つことなんてできるのだろうか?
「いや、そういう感情ではないんだ」
彼は即座に否定した。
「だが、魔物が他人を害する意思を見せる以上、放置は容認できない」
雄也先輩は鋭い視線を彼に向ける。
あんな目を向けられたら、わたしだったら悲鳴を上げてしまうかもしれない。
だが、彼はまっすぐ雄也先輩を見る。
「アイツには手を出すなと言っておきます。だから、今回は見逃してはもらえませんか?」
恐らくはこれが、彼の本題だったのだろう。
彼は少しも迷わずにその言葉を口にした。
「断る」
だが、雄也先輩は短く拒絶した。
「どんな事情だろうと、飢えた状態にある夢魔を放置すれば被害が増えていく一方だ。それを見て見ぬ振りをするわけにはいかない」
雄也先輩は正論を吐いた。
「被害は増えません。俺は近々、魔界へ戻ります。だから、人間界でこれ以上被害者は出ない」
「魔界で被害者を増やすってこと?」
それはそれで問題じゃないんだろうか?
「違う。夢魔は人間界で力を維持するためには、多大な糧が必要なんだ。だけど、魔界ならそこまでの糧は要らない。俺だけで……、事足りる」
松橋くんは、そう言うが……。
「夢魔を抱えて何年だ?」
「え?」
「キミが、夢魔の餌になってから何年経つのだ?と聞いた」
雄也先輩は納得しない。
「4……ヶ月」
「話にならない。4ヶ月でその衰弱……。夢魔が喰い飽きて、弟に手を出した理由も分かる気がする」
「それでも……、アイツは……」
「ねえ、松橋くん? このまま彼女を放っておくと、松橋くんも危なそうだし、他の人にも害があるかもしれないんだよ?」
だから、祓うってのもなんか……アレだけど……。
そんなわたしの迷いを見抜いたのか、彼はこう言った。
「だからって、消していい理由にはならない」
そこには、先ほどまでの弱さはない。
「夢魔は魔物だ。似たような姿をしていても、その実態は普通の魔界人とは違う」
だが、雄也先輩は怯まない。冷たく言い放つ。
「知っています。あの夢魔の実体は、人型じゃなかった。色の付いたガスみたいな気体っぽくて……。だけど……」
実態を知った上で、彼は夢魔を庇おうとしている。
そこにあるのは愛ってやつなのだろうか?
魔物に対して情を移してしまった彼に迷いはあって当然だと思う。
じゃあ、どうするのが正解なのだろうか?
「彼女は……、俺の兄が送り込んできました」
「へ?」
兄……?
兄ってお兄さん?
突然の方向転換についていけず、なんとなく、その単語の意味も手伝って、雄也先輩に目をやってしまう。
そんなわたしの視線に気付いたのか、雄也先輩は複雑な笑みを浮かべて肩を竦めた。
「事情を話せるだけ話してくれ。全部とは言わない。どうやら……、今のままでは、彼女も納得できないみたいだからな」
「はい……」
そう言って、彼はポツポツと話しだした。
「俺は10人兄弟の6番目に生まれました」
「じゅっ!?」
それは、お、お母さん、頑張ったねとしか言えない。
魔界だから?
いや、この国の戦国時代とかにもそんな話は聞いたことはあるけど……10人、か。
あと1人でサッカーチームができるという漫画みたいな現状が実際にあるなんて……。
「魔界に限らず、権力を持っている人間ほど、多くの跡継ぎ候補を必要とするからね」
思わず目を丸くしたわたしに雄也先輩がやんわりと解説してくれる。
「夢魔を送り込んできたのは3番目の兄です。その兄は、以前から俺を含めた弟たちに嫌がらせじみたことをしていましたが……、魔物を送り込んできたのは初めてでした」
「普通は夢魔を捕らえることもできないはずなんだが……」
「俺もどういう手法だったのか分かりません。ただ、魔界からの手紙の中に封印されていたのは確かです」
惑星どころか、銀河系すら違うっぽい距離なのに、魔界からも手紙、届くのか……。
わたしは、妙なところで感心していた。
「その手紙、お兄さんからだったの?」
「宛名はなかったけど……、その3番目の兄の魔気を少し感じたから……。間違いないと思う」
「それが夢魔を庇う理由にはならないと思うが?」
「そうですね。普通はそう思うでしょう。だけど……、俺はあの人に逆らう意思を見せてはいけない。少しでも夢魔に抵抗すれば逆らったと判断されて……、4番目の兄のように不慮の死を遂げてしまう可能性もある」
「は?」
今、さりげなく物騒なことを口にした気が……?
「権力闘争か、後継者争いか……。どちらにしてもあまり穏やかな話ではなさそうだな」
「そうですね。だけど、これが俺の身の上です。可笑しいと思われるかもしれませんが、そこは了承していただきたい」
「魔界では……、それが、当たり前なの?」
「う~ん……。俺の場合はそうだけど……、兄弟姉妹が多くても仲良くしている人たちがいるのは知っている。だから、当たり前とはちょっと違う気はするね」
そう言って、彼はようやく笑顔を見せた。
でも……。
「夢魔を見逃して……、それで、松橋くんは救われる?」
そう尋ねると、彼は一瞬悲しそうな顔をしたけれど……。
「うん。彼女を生きて魔界へ戻せば……、兄も納得すると思う」
そう言って力なく笑った。
わたしには理解できない。
だって、兄弟だよ?
命を狙うとか戦国時代じゃないのに。
「だが、夢魔が他人を喰わないとは限らないだろう?」
「魔界へ戻れば、夢魔だけでなく俺も回復しますし、大気魔気の濃度もこの地球の比じゃありません。だから、彼女一人ぐらいならなんとか……」
あくまでも、その形を貫こうとする松橋くん。
「どうする? 栞ちゃん」
「え?」
「キミの意思に従う。弟もそれなら納得するから」
そうやって、雄也先輩に言われて……、わたしは迷った。
彼の考え方は少し、おかしいと思う。
それはまるで……。
でも、それは人間の考え方で、魔界人は違うのかもしれない。
そして、彼の意思で、彼自身も納得しているなら……、それでも良い……のだろうか?
どこかで迷ってしまう。
彼は弱っている事実は変わらない。
そして、これからもそんな生活を続けていくつもりってことなんだし。
「松橋くん、一つだけお願い」
「何?」
「彼女に……、他の人に手を出させないようにして」
彼は、納得しているのだ。
納得した上で、その道を選んだ。
他人の人生に口を挟むってことは、他人の恋愛に口を出すのと同じくらい余計なお節介なことだと思う。
……だったら、わたしからは何にも言えない。
だけど、九十九みたいに巻き込まれる人だって出てこないとは限らないのだ。
「それは、約束する……」
「ふむ。なら、念のため住所と連絡先を聞いておこうか」
そう言って、雄也先輩はどこからか手帳を取り出した。
「人間界ので、良いですか?」
「それは構わない。約束はキミが魔界へ戻るまでということになるだろうからな。これは、ただの保険だ」
そう言われて、松橋くんは素直に手帳にペンを滑らす。
そして、雄也先輩は、そんな彼の姿を無言でじっと見つめていたのだった。
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