手を握り、手を取る
どちらが「ノッカー」を使うかで、揉めている間に、目の前の扉が開かれ、少し大柄な男が顔を出した。
「よく来てくれたね、高田さん」
高田に対して、悪びれもなく、そう言う男。
確か名前を「カズトルマ=ビルト=マルライム」と言ったか。
「そして、いつも一緒の護衛くん」
どうやら、オレが来ることも予想済みだったらしい。
「こんな所で、立ち話も良くないから、まずは、中へどうぞ」
確かに離れているとはいっても、情報国家の部屋も同じ通路にある。
いや……、かなり離れているけど。
「失礼します」
そう言いながら、高田が先に部屋へ入り……、何故か足を止めた。
いや、彼女ではなくてもこれは止めるだろう。
オレも思わず足が止まってしまった。
オレと高田との身長差は、今や30センチ近くある。
彼女が先に歩いても、頭一つ分以上の差があれば、どうしても前は見えてしまうのだ。
扉を開けると、そこは広間のような空間だった。
オレたちの目の前には一人の男がいて、さらに、その背後に20人ばかりの人間たちが、並んでいる。
いや、それは別に問題にならない。
問題は……、その全ての者たちがこちらを向き、片膝をついて、両腕を交差させ、両手の甲を首元に当て、頭を軽く下げていたのだ。
カルセオラリアの最敬礼。
心からのお礼やお詫びをする姿である。
そして……、その中心で跪いている壮年の男に、オレは見覚えがあった。
機会があったのはたった一度だけ。
そして、まともに会話をしたこともない。
何より、相手はオレの顔すら知らないだろう。
―― ヴォルグラート=サレム=カルセオラリア。
機械国家カルセオラリアの国王である。
オレが会ったのは、カルセオラリア城が崩れた時だった。
怪我を負ったこの方を背負って、あの城内を駆け抜けたのだ。
それは既に遠い日のことのように思える。
オレが知る限り、高田とは会ったこともないはずだ。
だが……。
「顔を上げてください、陛下。わたしも、後ろにいる彼も陛下にそのようなことをしていただくような立場にはありません」
彼女はそう言った。
「何を言うか」
歳は60を越えるというカルセオラリアの国王は、礼は不要だと言う高田の言葉に対し、そう返答をする。
「其方たちによって、我がカルセオラリアは救われたのだ。それに対し、礼をしない者がいるはずもない」
トルクスタン王子によく似た琥珀色の瞳をこちらに向けながら、カルセオラリア国王はきっぱりと言い切った。
だけど……、こんな状況に慣れていない高田は、困ったようにオレに助けを求める瞳を向ける。
だが、そんな彼女を救ったのは、オレではない。
「国王陛下。そのような過剰な反応は、一市民には重すぎると言ったではありませんか」
オレの後ろから、溜息交じりの声が聞こえた。
「だが……、これ以外に我らの意を示す方法がない」
「恩賞なら他にもありますよ。……と、言うより国王陛下より賜る無駄に重い言葉より、そちらの方が普通は喜びますから」
個人的にはその意見には同感だが、正直すぎるだろう、この男。
「陛下」
高田が頭を下げる。
「過分なご配慮ありがたく思います。ですが、わたしどもは特別、何かを望んで行動をした覚えはありません」
「何も……、望まない……と?」
どこか訝し気に尋ねるカルセオラリア国王。
だが、普通は信じないだろう。
人間は打算、計算もなしに他人のために動くことはない。
そして、我が身を護ろうとするのは、生物の本能である。
つまり、本来、命を懸けるような行動に、何の裏もないなどありえないのだ。
そういう意味では、間違いなく、高田は異質な存在だとはっきりと言い切れる。
オレたち兄弟が彼女を護ることだって、そこに利はあるのだから。
「それでも、一つだけ望むのなら……」
少しだけ高田は考えて……。
「今回のことを、陛下のお立場からお話しいただければ……と願います」
高田は頭を下げたまま、そう言った。
そんな彼女の言葉にカルセオラリア国王はどう受け止めたのか……。
「了承した。隣室へ向かう」
カルセオラリア王はそう言って、立ち上がる。
先ほどまで頭を下げていた従者たちも、同じように立とうとするが、国王はそれを制した。
「供はカズトルマだけで良い。お前たちは、各々の役目に戻れ。会合は明日だ。他国の若造どもに侮られるような真似をさせるなよ」
国王の言葉に、従者たちの瞳に光が灯る。
そして、国王や高田、そしてオレに向かって一礼をすると、それぞれ、別の部屋に足を向ける。
多分、国王の命令通り、自分の仕事に戻るのだろう。
明日の会合……。
中心国の国王たちとの協議。
……ってことは、もしかしなくても……、カルセオラリア国王が言う「若造」って……、他の中心国の国王たちのこと……、だろうか?
確かに中心国の国王たちの中では、カルセオラリア国王が最年長らしいけれど……、一番若いクリサンセマムの国王でも35歳だったはずだ。
いや……、60歳を超えた人から見れば、その年代でも十分、若造なのか。
「お手をどうぞ、高田さん。隣室までだけどね」
従者に選ばれた男は、胡散臭い笑みのまま、高田に向かって手を差し出す。
彼女は怪訝そうな顔を向けて……。
「エスコートはいらないよ、湊川くん。隣の部屋でしょう?」
そう言ってきっぱりと断った。
確かに、今、この場でヤツの手を取る理由はあまりない。
「つれないな~」
男は肩を竦めて……。
「じゃあ、護衛くんの方は、俺の手はいるかい?」
何故かオレに声をかけた。
それで……、なんとなく、その意図に気付く。
「……何故、俺が高田すら断ったその手を取ると思った?」
「この手が淋しいから?」
「男二人で手を繋いで入室する方が、ある意味、淋しくはねえか?」
「……違いない」
何故か嬉しそうに、男は笑った。
そこに政治的な駆け引きや、貴族的な決まり事があったとしても、どちらも経験不足の高田には、何のことやらさっぱり分からなかっただろう。
「2人に揃って振られましたよ」
「この状況でその行動に出られるお前が可笑しいのだ」
そんな会話をしながら、男は通例通り、カルセオラリア王の手をとり、隣の部屋に行った。
「九十九……。彼の行動の意味は分かる?」
「ぼんやりとなら……」
寧ろ、それ以外の心当たりがない。
「……って、分かるの!?」
「でも、あっているかは分からないぞ。正しい意味は、後で、当人に確認しろよ」
オレがそう言うと、高田は少し考えて頷いた。
「手を取って部屋に入るっていうのは、その部屋の中では、自分が相手を絶対に裏切らないって意味だったはずだ」
「裏切らない?」
「その部屋限定だけどな。だから、話し合いの場では、王の手をとって従者が入室することも珍しくない」
文字通り「手を握り」、「手を取る」のだ。
「うぬぅ……。それを知らなければ、ただの仲良しさんにしか見えないね」
「……知らないヤツが国王の供に選ばれるかよ」
国王と一緒に入室できるのは、かなりの名誉あることらしい。
協議の場では、国王がその手を取って入室するのは、王妃などではなく、事務補佐や、政務補佐が伴われるそうだ。
まあ、普通は、国王たちが出向くような協議の場に、王妃が並ぶことなどないだろうけど。
「もし、うっかり裏切っちゃったら?」
「……『悪事千里を走る』って言葉を知っているか? 身分の高い人間ほど、致命的だな」
情報国家の関係者がその場にいなくても、一発で、その人間は信用を失う。
「……なるほど」
そこまで説明して、高田は納得した。
「つまりはこういうこと?」
高田が手のひらを上に向けて差し出す。
先ほどの会話から、そう判断したのだろう。
だが……。
「逆だ」
「へ?」
「オレがお前に手を差し出す側だ。お前はそれに乗せれば良い」
そう言って、オレも手を出す。
お互いが手を出し合っている状態。
……気のせいか、周囲から数名の視線を感じる。
「……お互い、裏切らない場合は……、どうしたら?」
「護衛の方が主人の手を取るのが自然だと思うか?」
「でも、わたしも、九十九を裏切るつもりはないよ?」
「じゃあ、こう考えろ。困った時に助けを出す側が手を上に向けて出す方だ。『手を取る』と言う意味だな」
オレがそう言うと、高田は俯いて……。
「ぐぬぅ……」
と、奇妙な呻き声を上げながらも、オレの手の平に、自分の手をのせた。
周囲の視線が生温かいものに変わっている気がするが……、お前ら、こっちを見ずに仕事しとけと言いたい。
さて、高田も観念したところで、隣室へと入室しますか。
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