神に魅入られた魂
わたしが魔界に来てから二年半。
何度驚けば良いのだろう?
いや、この世界に来ると決めた以上、驚くことは分かっていた。
別の惑星であり、魔法の世界でもあるのだから。
だけど……、その種類は明らかにおかしいと思うのはわたしだけでしょうか?
魔法で驚くことよりも、人間界で出会った人たちと、ここまで縁が絡んでしまうことに、驚愕するしかない。
「……えっと……、恭哉兄ちゃん? まさか……、恭哉兄ちゃんも、母を知っているの?」
わたしはおずおずと尋ねる。
「セントポーリアのチトセ様とは、正神官の頃に二回ほどお会いしました」
「正神官の時?」
わたしと恭哉兄ちゃんが人間界で会った時は、既に彼は「緑羽の神官」と呼ばれる高神官だったはずだ。
つまり……。
「わたしより……、母に会った方が早い?」
え?
なんとなくショック?
なんでだろう?
「いいえ」
「ふえ?」
恭哉兄ちゃんはわたしの言葉に首を振りながら否定する。
「ほぼ同じでしたよ。貴女の記憶に残らぬほど幼い頃、私たちは会っています」
なんと!?
でもそれを、覚えていないのは……。
「それは、わたしが……、自分の記憶を封印したから、覚えていない?」
恭哉兄ちゃんに出会う前、過去のわたしは自分の魔力と記憶を封印したと聞いている。
「いいえ。記憶の有無に関係なく覚えていないと思いますよ。私も確信したのは、先ほどです。それぐらい、お互いに幼い頃でしたから」
「幼いって……どれくらい昔なの?」
わたしの問いかけに少し、恭哉兄ちゃんは考えるような仕草をして……。
「正神官に就いたばかりでしたから、16,7年ほど昔だと思います」
そう答えた。
それって、「幼い」って言葉じゃ治まらないよね?
そして、恭哉兄ちゃんはともかく、わたしの方は、「幼児」っていうより「乳児」と呼ばれる年齢ではないでしょうか?
「いくら魔界人が早熟、早成であっても……、流石に覚えていないよね?」
「私もそう思いますよ。私もまだ6歳でした。チトセ様の方は印象強い女性でしたが、栞さんの方は……、今と随分、雰囲気も違いますから」
「同じでも困るよ」
流石に乳飲み子と今を同列に扱われるのは複雑極まりない。
こう見えても、17歳の乙女なのです。
乙女のはずなのに……なあ……。
わたしに色気も華もないことは自覚している。
「なんでセントポーリアに? 巡礼?」
「セントポーリア国王陛下より、ご招待されまして……」
「へ?」
何故に、セントポーリアの国王陛下が?
「神官が呼ばれたのは、命名の儀を行うためでした」
「……命名の儀?」
確か、名付けのことだったと思う。
神官の立ち合いのもと、「魔名」と呼ばれるものを産まれた子に付けるとか。
一般的には、生まれた子を連れて、聖堂に行き、神官が祈りを捧げることで、魔名の登録をするらしい。
「魔界人って……、生まれてすぐに名前を付けるわけではないの?」
「それは、状況と、人によりますね。それぞれに事情がありますから」
まあ、確かにいろいろな事情はあるのだろう。
人間界は……、どうだっけ?
なんか……、「命名」と書かれた紙に墨で生まれた子の名前が書かれているのは漫画で見たことがあるけど……、実際、どんな手続きが必要なのかは考えたこともない。
大人になれば、分かったのかな?
「セントポーリア国王陛下はチトセ様が抱えた御子に名付けを行いたかったようです」
「……なるほど、理解した」
いや、てっきりダルエスラーム王子殿下の方だと思っていた。
すっごく遅くなった「命名の儀」だなとは思ったのだけど。まさか……そっちの可能性はこれっぽっちも考えなかったのだ。
「……そう考えると、恭哉兄ちゃんは知っているってこと?」
「何を……でしょうか?」
「わたしの両親とか、その……わたしの『魔名』とか?」
「そうなりますね」
「うわあ……」
わたしは、どっと疲れが出てしまった気がする。
父親については、はっきり言ったことはなかったけれど、なんとなく恭哉兄ちゃんにはバレているのだろうなとは思っていた。
この国のグラナディーン王子殿下も封印解放後、一生懸命、抑えていたのにすぐに気付いたぐらいだ。
でも……、まさか表に出ていないはずの母のことまで、恭哉兄ちゃんが知っているとは思ってもいなかった。
そして……自分の魔名については、半分、人間なので、持っているかどうかは知らなかったけれど……、わたしは半分、魔界人でもある。
持っていてもおかしくはないのだ。
しかし……、母はわたしがあの人の子供だって当人相手に否定していたと言っていたけど、この様子だと、やはりバレバレだったのだと思う。
ただ母が認めていなかっただけで、実は、セントポーリア国王陛下は全て知っていたということなのだろう。
「『魔名』については……、母から聞きたいから、今は言わないでくれる?」
もし、うっかり知ってしまえば、先ほど出会ったばかりの情報国家の国王陛下にバレてしまう可能性はある。それはできれば避けたい。
「分かっています。名前は親から頂く最初の贈り物。傍観者である私の口から安易にお伝えして良い物でもありませんからね」
そんな大袈裟な考え方ではないのだけど……。
でも、恭哉兄ちゃんが黙っていてくれるなら、それでよいだろう。
「ありがとう、恭哉兄ちゃん」
恭哉兄ちゃんは「傍観者」って言うけれど、その割には、わたしにガッツリ関わってくれていると思う。
気のせいでなければ、これまでのわたしに対する彼の言動は、大神官としての立場を越えているのではないだろうか?
この検診にしても……、本来、ここまでしなくても良いはずだ。
神紐をわたしの魂に結び付けて、神様の目から隠しているだけで十分なはずなのに、時間が空けば、診察をしてくれている。
そのことにわたしは凄く、感謝するしかない。
「しかし……、情報国家の王だけではなく、恭哉兄ちゃんも母を知っているとは……。そう言えば、楓夜兄ちゃんやリュレイアさまも、母に会っていたらしいし……」
わたしの母って、よく考えなくてもかなり凄い人なのではないだろうか?
ああ、だから、雄也先輩も惹かれたのかもしれないね。
わたしにとってはたった一人の母親だけど、その娘であるわたしの知らない時代も多くあるのだ。
手紙のやり取りだけで、最近、会うこともできなくなった母親。
母と共にあることだけが願いだったあの幼い娘は、わたしのことを恨んでいるかもしれない。
「あの方……、チトセ様は創造神に魅入られた方ですから」
「……はい?」
わたしは一瞬、恭哉兄ちゃんが何を言っているのか分からなかった。
「かなり稀少ですが、この世界には身元不明の人間が現れることがあります。それを神官たちの間では、『創造神に魅入られた魂』と呼んでいるのです」
「は、母が!?」
なんとなくむき出しになった左腕を見てしまう。
わたしと同じように、シンショクされていたとでも言うの?
「栞さんのシンショクとは違いますよ。神がこの世界の均衡を保つために、呼び出される魂……、と言われています。シンショクは神による魂の汚染ですから」
「そ、そうなのですか……」
少しだけほっとする。
いや、わたしのシンショクについては少しも安心できないけれど。
さり気なく「汚染」とか言われているし。
「チトセ様の境遇については、本当に気の毒に思いますが……、それがなければ、栞さんとも出会えなかったと思うと、なんとも複雑な気分になりますね」
母は、15歳の時、前触れもなくこの世界にいたという。
九十九や雄也先輩たちに護られて生きているわたしとは、比べ物にならないほどの苦労があっただろう。
でも、その母は、王族の保護があったとはいえ、ある程度は自力で生活基盤を整え、親友も経た上で、わたしを授かり、育ててくれたのだ。
「母は……、わたしが最も尊敬している人だよ」
わたしと同じような境遇にありながら、自分を曲げない真っすぐな人。
九十九や雄也先輩、水尾先輩も凄いと思うけど、母は、それ以上に尊敬できる人だと思っている。
「尊敬できる親がいて、羨ましいですね」
恭哉兄ちゃんの言葉にどことなく、毒がある気がするのは……、その昔、聞いた彼の母親の凄まじさのせいだろう。
ワカのように、周りを振り回す女性。
それでも……、その母親のことを嫌いになれないのだろうな、とわたしはなんとなく思ったのだった。
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