分からない基準
大神官に連れられて、わたしは……定期検診によく使っていた部屋に来た。
まだ数ヶ月しか経っていないのに、酷く懐かしく思える。
「まずは、左腕を診ましょうか」
そう言って、恭哉兄ちゃんはわたしを椅子に座らせる。
わたしは……、左腕を差し出す。
今の服はストレリチアの服ではないため、少し、左肩を出しにくい。
流石に上着を丸ごと脱げるような度胸はないのだ。
「外套を羽織りますか?」
「はい」
いつもより動きの鈍いわたしに気付いて、恭哉兄ちゃんは緑色をした厚手の布を渡してくれる。
それを右肩と背中にかけて、左肩から下を露出させた。
不格好ではあるけれど、流石に殿方の前で上着を脱いで、肌着姿を披露するわけにはいかない。
それに、なんとなく……九十九が凄く怒る気がする。
少し前の彼は母親みたいだったけど、最近の彼はわたしに父親のような態度をとるようになったから。
「シンショクも進んでいないようで、安心しました」
わたしの左肩を確認しながら、二の腕や肘、そこからさらに下を見て、手首や、手のひらや指先まで丁寧に診てくれる。
……これってなんだろうね?
自分の身体に直接触れられても大丈夫な人と、そうでない人の違いって。
恭哉兄ちゃんは大丈夫。
ここにいる間はずっと、こうやって検診もしてくれる。
その眼差しは真面目で、邪な感情は一切ないことも分かる。
寧ろ……、こんなことを考えているわたしの方がよっぽどか邪だ。
彼は、大神官。
自身の欲望、渇望に耐えうる精神の持ち主。
まあ、時々、黒いから、世間で言われている清廉潔白で敬虔なる神の使者とはわたしは思っていないけれど、凄く信頼している人。
九十九も大丈夫。
彼は、わたしをあまり異性として扱わない。
魔界に来る前から手を握られたり、肩に抱えられたりしている。
魔界に来てからはずっと一番近くにいる異性……なのに、ずっと変わらない。
彼はわたしの護衛。
自分よりわたしを大事にしてくれる人。
まあ、時々、本当に酷いから、周囲が言うような感情は、わたし自身も持つことはないだろう。
だけど、信頼と言うのなら、間違いなく彼が一番だと思う。
雄也先輩も大丈夫。
彼は、わたしを大事にしてくれるけど、その距離は守ってくれているから。
異性扱いはしてくれるし、その部分に関して無知なわたしに、九十九以上に忠告もしてくれる。
でも、彼は、本当に意味でわたしを異性扱いはしていない。
彼もわたしの護衛。
わたしの我が儘を聞いてくれる人。
まあ、時々、そのために弟が犠牲になっている気がしなくもないけれど、それでも、自分が動かないわけでもないことを知っている。
自分だけで手が足りない時に、弟を使っている感じだ。
少し揶揄われることはあるけれど、基本的に彼からは、妹のような扱いをされている。
だから、彼も信頼している。
他にも、何人かの男性は平気だった。
楓夜兄ちゃんやグラナディーン王子殿下も、わたしに近付いても、嫌な感覚はない。
他にも、わたしに好意を示してくれる異性相手でも、大丈夫な人とそうでない人に分かれている。
人間界では来島が、魔界に来てからはミラージュのライトと、長耳族のリヒトもわたしに好意を寄せてくれているけど、大丈夫だった。
だけど……、時々、その視線だけでも拒絶したくなる人間がいるのだ。
以前、高神官という神位に就いていた人から好意を向けられたが、本当にダメだった。
その時点では、まだ何かされたわけでもないのに。
それ以外にも、何人かの神官から向けられる目線が嫌だったこともある。
でも、わたしにはその基準が分からないのだ。
セントポーリアの王子殿下を思い出す。
彼からも強引な扱いを受け、さらに手を引かれたりもしたが……、あの時は大丈夫だった気がする。
そう考えると、ますます基準が分からない。
そして、先ほどの情報国家の王も別の女性の名前を口にしながら、抱き締めてきたが……、大丈夫だった。
よく考えるととんでもない話ではあるのに。
結局、顔……なのかな?
自分好みの顔ならおっけ~とか?
でも、それって、なんとなく、軽い女みたいで嫌だよね。
「どうされましたか?」
わたしがぼんやりしていることに気が付いた恭哉兄ちゃんが、そんなことを聞いてきた。
「先ほどの……、情報国家の国王陛下はどんな方……なのでしょうか?」
「栞さんにも分かりやすくお伝えすると、……雄也さんが好奇心を強く持ったまま、歳を重ねた印象……でしょうか」
いや、それって雄也先輩が経験を積んで、かなり手ごわくなった人ってことですよね?
加えて、好奇心が強いって簡単には逃がしてくれそうもないってことも追加されていませんか?
さらに言うなれば、あの王さまに対する態度から考えると、恭哉兄ちゃんの雄也先輩に対する評価も結構、酷いような気がするのは気のせいでしょうか?
「ある意味、誰に対しても公平、公正な方です。嘘を吐かないという意味では、絶対的な信頼はあります」
「嘘を、吐かない?」
「偽りは信用の低下に繋がるそうですから」
「なるほど……」
ああ、だから、雄也先輩は情報国家の人間に対して、嘘を吐いてはいけないと言ったのかもしれないね。
「そうなると……、後日、誰と会えば良いかな……」
「九十九さんをお連れになるのではないのですか?」
「情報国家に関しては、雄也先輩と九十九はあまり会わせない方が良いらしいから……」
わたしがそう溜息を吐くと……。
「会わせない方が……? ……ああ、そうですね」
何故か、恭哉兄ちゃんは納得してくれた。
「九十九さんは、シェフィルレート王子殿下に気に入られましたからね」
「はい!?」
あ、あれ?
わたしが知らない間に、既に、九十九は情報国家と接触していた!?
シェフィルレート王子殿下って確か、情報国家の第一王子だったはずだ。
年齢はわたしの一つ上で、水尾先輩たちの同学年になる……はず。
「九十九さんは救助作業中にカルセオラリア城下で連れ去られそうになるぐらい、気に入られていましたよ。ご存じなかったのですか?」
「知らない! 知らない!!」
……って、カルセオラリア城下で連れ去られそうになるって何!?
いつの間にそんな話になったの!?
「九十九さんが、カルセオラリアの城下で応急処置などを施している時に、居合わせたようです。全身を拘束され、連れ去られるところでした」
「九十九を……拘束!?」
そんなこと、彼からも、誰からも聞いていない!!
それなのに……、彼は少しも変わらずわたしの傍にいてくれた……。
いや、この大聖堂で再び、お世話になってから、少し、彼の雰囲気が変わった気はしている。
少し、不安定な感じがして……、危ういのだ。
それは、そんな目に遭ったからだったのだろうか?
「それでも、情報国家の庇護を受けられたなら、この世界で最高の味方になってくれることでしょうね」
「……ぐぬぅ」
その恭哉兄ちゃんの理論は分かる。
この世界の情報を司る国。
敵に回せば恐ろしく、味方にすれば頼もしいという典型的な国だろう。
だから、雄也先輩も真央先輩との話で、「何故、情報国家を頼らなかった?」と聞いたのだろうし。
でも、わたしと一緒に行動している雄也先輩も水尾先輩も九十九も、あの国に対して好意的ではない。
そんなところにお世話になることなんて無理だろう。
しかも、九十九がその国の王子さまによって、一度でも拘束、捕縛されたと言うのが本当なら、わたし自身も好きにはなれない気がした。
「もう少し……、考えてみる。周りとも相談したいし」
わたし一人の考えでは足りない。
少なくとも、雄也先輩や九十九、水尾先輩、リヒトに意思は先に聞いておく必要があると思う。
あの情報国家の国王陛下は、どういった縁かは分からないけれど、何故かわたしの母と知り合いっぽい。
それも、かなり好意的だと言うことは分かった。
でも、だから信用できるか? と聞かれても、是非の即決は出来ないのだ。
わたし自身は、あの人と話すことが初めてだし、少し話しただけでも油断できないという印象しかなかった。
何より、わたしは「高田千歳」ではない。
「そうですね。私もそれが一番良いと思います」
恭哉兄ちゃんもそう言ってくれた。
だから、自分の考えが間違っていないと安心できる。
だけど……、その後、恭哉兄ちゃんはこんなことを口にしたのだった。
「やはり……、栞さんは、チトセ様の娘だったのですね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




