無意識の判断
「あ、阿呆って……」
高田が抗議しようと、身じろぐが、今はあまり動かないで欲しかった。
風の種類が変わったのだ。
周囲を巻き上げようとしていた風が、下に向かって吸い込むように身体に重圧をかけてくる。
だが、言うべきことは言わねばならない。
「十分、阿呆だろ? お前は間違ってない。それなのに、何故、迷う?」
「九十九は……、アレを、見てないから……」
彼女は、オレに向かってしゃくりあげながら、そんなことを口にした。
「アレ?」
「ウィルクス王子殿下の実験……」
「試験管ベビーでも見たか?」
「試験管ベビー?」
人間界の雑誌で見たことがあったが、一般的な言葉ではなかったのか?
「体外人工授精児のことだな。まあ……、話を聞いた限りでは、体外受精と言うより……、ホムンクルスの方が近かったみたいだが……」
「あれは……違う……」
オレの胸元で、彼女は呟くようにそう言った。
その表情は良く見えないが、その呟きからあまり良くないモノを見せられたのだと思う。
体外受精の過程を見たなら、母親ではない限り、愛情は湧かないらしい。
胎児の写真や映像を見ても「可愛い」と言うのは、母親が多く、父親はあまり見たいものではないらしい。
人間は胎内で地球の進化の歴史を辿るとも言われている。
それがどこまで解明された説なのかは分からない。
だが、それが本当のことで、しかも、見せられたものが、フルカラーの上、立体的な本物ならかなりグロテスクだと予測される。
そういったものに耐性がないと辛いだろう。
「……で? それを見たから迷っているのか?」
「迷っているのは、別のことだよ……」
オレの問いに、彼女はポツリと答える。
「邪魔しなければ、彼らは、自分たちの子を抱けたのかって思うと……」
ああ、そんなことか。
「その考え方そのものが阿呆だと何故、お前は気付かない?」
どう考えたってそうなるよな?
「お前は、二人のことしか考えていないみたいだが、そんな形で生み出された子供はどうなるんだよ? 未熟児ならともかく、遺伝子や染色体異常による奇形児と呼ばれるような状態の可能性が高いってのに」
「……あ」
どこか茫然とした呟き。
どうやら、それについては全く考えていなかったらしい。
「しかも、ヤツらが納得がいくまで、続けられるんだろ?その間、どれだけの機能障害を持った生物が生み出され、そして……処分されるんだ?」
体外受精だってその成功率が100パーセントではないのに、それ以上に、不安定で、試験的な技術が何故、必ずうまくいくと楽観視が出来るのか?
「それに何かの奇跡があって、人間が生まれたとしても、その当人がどう思う? 体外受精ですらない普通の手段ではない方法で生まれた子供。それを隠したとしても、何かの弾みで知ることになったら? 結果しか見ていない親のエゴの果てだと気付いたら?」
生命に手を出すのは神の領域。
だが、気まぐれな神が手を貸せば、奇跡が起きないと言い切れないのが、この世界の理でもある。
神の介入により、変わった歴史など少なくない。
「確かに技術としては凄いと思う」
成功すれば、それは同じように思い悩む人間たちにとっては光となる。
それぐらいはオレも分かっている。
子供に恵まれない夫婦の話を聞いたことがないわけではない。
「だけど……、それでも、オレがもし、そんな人間に出会ったら……、恐らく、嫌悪感はある。当人は何一つ悪くなくてもな。しかも……それが、自分の上に、それも王族として立つとなると……、認められるかは分からない」
生まれてきたものに罪はない。
だけど……、その存在を、自分が許容できるかは全く別の話だろう。
しかも、あの二人の子となれば、どんな愚物や怪物であっても、そのままカルセオラリアの国王になる可能性が高いのだ。
自分の国ではないが、同情したくなる。
「何よりも……、二人だけの問題に他人であるお前を巻き込んだ。そこが一番の問題じゃねえのか? 当人にどう説明するんだよ。王子殿下や真央さんだけではなく、お前の魔気まで入っていたら、言い逃れなんてできないだろう?」
その場合、本当の親が分からない状態になってもおかしくないのだ。
特にウィルクス王子は、真央さんやこの高田に比べて魔力が弱かったと記憶している。
だから、下手すると、火属性と風属性しか現れないかもしれない。
そうなれば……、誰の子ってことになるんだ?
女同士で子を産んだとか……、情報国家は喜んで食いつくようなネタだろうな。
「……ぬう」
オレの言葉に納得したのかしていないのか分からない言葉を彼女は返す。
「体外受精で別の人間の遺伝子提供や、身内の胎を借りて出産することだって、いろいろと感情の問題もあるって聞くぞ。どんな形に治まっても、結局、未来に揉め事が起こる可能性だってある」
事前にどんな取り決めをしたところで、現実を見た後の感情の変化というものは別らしいからな。
「……じゃあ、どうすれば良かった?」
「知らん」
そんなこと当事者同士の問題であって、第三者のオレに聞かれたって、正解があるはずもないのだ。
「結局のところ、王位継承権の問題だ。関わりたくねえし、お前が首を突っ込む必要もない」
それなのに、何故、自分から突進していくのか?
「……それは、そうなのだけど……」
「現実的な考えは、真央さんの話の時にお前が言った手段だよ」
「へ?」
それを選択していれば、何も問題はなかったのに。
「普通に婚姻して、子ができなければ、トルクスタン王子やメルリクアン王女の子を養子にするか、始めから継承権を放棄して、トルクスタン王子に継承権を渡す。王族の血は薄れず、何も問題はない」
「なるほど……」
「ウィルクス王子殿下が王位継承権にも、真央さんにも拘らなければ……、ここまではなってねえよ。二つ同時に手に入れようとしたからこうなったんだ」
自分の身体の機能に障害があることを知っていて婚約するとか、詐欺で訴えられてもおかしくないのだ。
それを覚悟で、彼女に打ち明けたことは……、評価できるかもしれないけれど。
「ふへ?」
「アリッサムが真央さんと引き換えに多額の援助を受けた。それは知ってるな?」
「う、うん」
「それなら、ウィルクス王子殿下じゃなく、相手はトルクスタン王子殿下でも良かったはずだ。カルセオラリアはもともとそこまで魔力に固執して真央さんを受け入れたわけじゃなく、アリッサム側からの押しつけに近かったみたいだからな」
あの話を聞いた限りではそんな感じだった。
既に財産もなく、何も渡せるものがないアリッサムがそれでも援助を乞うために、切り出したと思われる。
「……ウィルクス王子殿下が真央先輩自身を望んだってこと?」
「それこそ感情の問題になるな。恋とか愛とか執念とか妄執とか」
「前半はともかく、後半がおかしい」
「結局のところ、行きつく場所はそこなんだよ。恋愛感情を拗らせた結果は独占欲とか嫉妬に繋がる。好きな相手を逃がさないためなら、何でもするさ。それが、人の道から外れたり、神の領域に踏み込んだりすることだってな」
人を狂わせるほど激しい感情。
そこまで他人の心を寄せられることは凄いと思う。
だが、彼女は妙なことを口にした。
「九十九は恋愛感情を拗らせたことがあるの?」
「なんで、そこでオレの話になるんだよ?」
全然、違う話だったよな?
「いや……、妙に説得力があると言うか。その辺りの感情を理解しているというか」
同じ感情を持ったことはない。
だが、似た感情を抱いたことは……、確かにある。
「これでも、17年、生きてるんだ。好きな女が別の男を見ていることだってあったよ。ああ、人間界で彼女にフラれたこともあるしな」
「ふおぅっ!? ごめん、なんか、悪かった」
「……そこで、謝られる方が複雑なんだが……」
特に……お前が謝るな。
「とにかく、お前は気にするな。結果が出た後で、悔やんだって遅いんだ」
「そこまですぐに割り切れないよ」
それはそうだろう。
こればかりは、時間の流れに任せるしかないのだ。
「でも……、落ち着いたな」
オレと話したことで、彼女の中で整理ができたのなら、良かったのだろう。
「ぬ?」
その口から出た言葉は残念だが、オレを見上げたその表情は……悪くない。
「ちょっと目を閉じろ。ちょっと腫れが酷いから……、絶対に開くな」
「分かった」
彼女が、素直に目を閉じる。
警戒心が強いわりに、一度、心を開いたら、どこまでもその相手を信じようとする少女。
だから……、いつもと違う治癒魔法を施す。
オレは……、彼女の右の瞼にそっと唇を付けた。
いつもと違う感覚のせいか、彼女が少し動いたが、それでも目を開ける様子はない。
だから、左の瞼にも同じように唇を当てる。
集中しているせいか、いつもより、魔力の流れがはっきりと分かる。
瞼は、唇と違い、少しだけ固い感覚があるが……、それでも触れたのが表面だけだったせいか、妙な柔らかさも感じた。
唇に当たる瞼とは違う不思議な感触。
それが、彼女の長い睫毛だと気付くのに時間がかかった。
そんな不思議な感覚が伴ういつもと違う治癒魔法。
「終わったぞ」
オレがそう言うと、彼女はゆっくりと目を開ける。
「どうした?」
どこかぼんやりとした彼女に、治癒魔法のやり方がいつもと違ったせいか、オレは少し慌ててしまった。
「いや……」
彼女はどこかぼんやりとした表情で、少しだけ頬を染めながら言った。
「なんか……、いつもより気持ちが良かった」
どこか、照れたようにそう言った彼女の言葉を聞いて……、オレは……。
今までで、最大級の空気の塊をその身に浴びた。
「九十九!?」
彼女の声がどこか遠くで聞こえる。
「ごめん! まだ……ちょっと、安定してないみたいだった!!」
慌てているのだろう。
だけど……、安定していないとは思わない。
彼女の無意識の判断は正しい。
あの瞬間、オレは……、結界が反応しない方向で、彼女に対して害意を抱いたのだから。
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