陽だまりにいる感覚
「あ、阿呆って……」
自分が、ボロ泣きしていることも忘れて、九十九を見ようとしたが、彼は、わたしの頭を押さえつけて離さない。
「十分、阿呆だろ?」
彼は、念を押すようにもう一度言った。
「お前は間違ってない。それなのに、何故、迷う?」
迷いのない言葉。
だけど、わたしは彼ほど強くないのだ。
「九十九は……、アレを、見てないから……」
あの水槽に浮かんでいる肉の塊たち。
それは確かに生命と呼ぶには程遠いものだった。
「アレ?」
「ウィルクス王子殿下の実験……」
だけど、それに彼らが愛情を抱いていたことは事実で……。
「試験管ベビーでも見たか?」
「試験管ベビー?」
なんとなく意味は分かるけど……、あの状態は試験管とは言えない気がする。
強いて言うなら、水槽内ベビー?
「体外人工授精児のことだな。まあ……、話を聞いた限りでは、体外受精と言うより……、ホムンクルスの方が近かったみたいだが……」
「あれは……違う……」
一般的な生命の誕生の仕方とは違うとそれだけははっきりと言い切れる。
そもそも、互いの血液って時点で、……受精してない。
「……で? それを見たから迷っているのか?」
「迷っているのは、別のことだよ……。邪魔しなければ、彼らは、自分たちの子を抱けたのかって思うと……」
「その考え方そのものが阿呆だと何故、お前は気付かない?」
九十九は言いきる。
「お前は、二人のことしか考えていないみたいだが、そんな形で生み出された子供はどうなるんだよ? 未熟児ならともかく、遺伝子や染色体異常による奇形児と呼ばれるような状態の可能性が高いってのに」
「……あ」
九十九の言葉で……、わたしはそこに思い至る。
「しかも、ヤツらが納得がいくまで、続けられるんだろ? その間、どれだけの機能障害を持った生物が生み出され、そして……処分されるんだ?」
あの時見た、水槽内には既にいくつもの肉塊が浮いていた。
アレをわたしは、生物と呼びたくはないけれど、あの人はあの水槽内で生きていると言っていたはずだ。
でも、もし……普通の赤ちゃんが生まれたら?
あの浮いているモノたちは、確かに彼が言うように処分される可能性は高いと思う。
目的が正常な子供を生み出すことだと言うのなら、人に成り損なったモノに用はないだろうから。
SFの世界とかにもあるじゃないか。
失敗したものはなかったことにする……と。
「それに何かの奇跡があって、人間が生まれたとしても、その当人がどう思う? 体外受精ですらない普通の手段ではない方法で生まれた子供。それを隠したとしても、何かの弾みで知ることになったら? 結果しか見ていない親のエゴの果てだと気付いたら?」
九十九の言葉は正論だ。
でも……、親のエゴだと分かっていても……、どんな手段でも、自分の好きな人の子供が欲しいという気持ちだけなら、分からなくもないと思ってしまうのは、わたしが……「女」だからだろうか?
「確かに技術としては凄いと思う。だけど……、それでも、オレがもし、そんな人間に出会ったら……、恐らく、嫌悪感はある。当人は何一つ悪くなくてもな。しかも……、それが、自分の上に、それも王族として立つとなると……、認められるかは分からない」
九十九は魔界人としての視点からもそう言った。
わたしとしては……、会ってみなければ分からない……と言いたかったが、あの水槽を見て、確かに自分の中に言い表しようのない違和感や、それ以外の負の感情と呼ばれるものは存在した。
あの状態を見て、そう感じてしまった以上、生まれた子に罪はないから平気だと言い切れる自信は全くない。
「何よりも……、二人だけの問題に他人であるお前を巻き込んだ。そこが一番の問題じゃねえのか?当人にどう説明するんだよ。王子殿下や真央さんだけではなく、お前の魔気まで入っていたら、言い逃れなんてできないだろう?」
「……ぬう」
「体外受精で別の人間の遺伝子提供や、身内の胎を借りて出産することだって、いろいろと感情の問題もあるって聞くぞ。どんな形に治まっても、結局、未来に揉め事が起こる可能性だってある」
その辺りについて、わたしには、新聞ぐらいしか情報源がない話だ。
多分、九十九の方が明らかに知識量は上だと思う。
そして、感情だけでわたしが何か言っても、彼から正論で容赦なく張り倒される予感しかなかった。
「……じゃあ、どうすれば良かった?」
わたしには考え付かない。
「知らん」
そして、彼も一言で返す。
「結局のところ、王位継承権の問題だ。関わりたくねえし、お前が首を突っ込む必要もない」
「……それは、そうなのだけど……」
見てしまった以上……、知ってしまった以上、それでも何か方法はなかったのかって思ってしまう。
「現実的な考えは、真央さんの話の時にお前が言った手段だよ」
「へ?」
わたしは何か言ったっけ?
「普通に婚姻して、子ができなければ、トルクスタン王子殿下やメルリクアン王女殿下の子を養子にするか、始めから継承権を放棄して、トルクスタン王子殿下に継承権を渡す。王族の血は薄れず、何も問題はない」
「なるほど……」
「ウィルクス王子殿下が王位継承権にも、真央さんにも拘らなければ……、ここまではなってねえよ。二つ同時に手に入れようとしたからこうなったんだ」
「ふへ?」
「アリッサムが真央さんと引き換えに多額の援助を受けた。それは知ってるな?」
「う、うん」
確か、そんなことを言っていた気がする。
「それなら、ウィルクス王子殿下じゃなく、相手はトルクスタン王子殿下でも良かったはずだ。カルセオラリアはもともとそこまで魔力に固執して真央さんを受け入れたわけじゃなく、アリッサム側からの押しつけに近かったみたいだからな」
「……ウィルクス王子殿下が真央先輩自身を望んだってこと?」
「それこそ感情の問題になるな。恋とか愛とか執念とか妄執とか」
「前半はともかく、後半がおかしい」
素直に、良い話にしようとしないのは、彼らしいのだけど。
「結局のところ、行きつく場所はそこなんだよ。恋愛感情を拗らせた結果は独占欲とか嫉妬に繋がる。好きな相手を逃がさないためなら、何でもするさ。それが、人の道から外れたり、神の領域に踏み込んだりすることだってな」
そこで、ふとあることに気づく。
「九十九は恋愛感情を拗らせたことがあるの?」
「なんで、そこでオレの話になるんだよ?」
「いや……、妙に説得力があると言うか。その辺りの感情を理解しているというか」
それはなんとなく、意外だった。
実際、彼はそういった方面に興味ないかと思っていたし。
「……これでも、17年、生きてるんだ。好きな女が別の男を見ていることだってあったよ。ああ、人間界で彼女にフラれたこともあるしな」
「ふおぅっ!? ごめん、なんか、悪かった」
そう言えば、わたしと違って、九十九は彼女持ちだった時期があるんだ。
もしかしなくても、わたしよりそう言った経験はあるって考えるべきかもしれない。
……ぬ?
つまり、この話を総合すると、人間界での彼女さんは、好きな人ができたから、九十九と別れたってことかな?
「……そこで、謝られる方が複雑なんだが……」
そう言う九十九はどんな表情をしていたのだろうか?
未だに痛いぐらいにしっかりと顔を固定され、九十九に張り付いていた状態のわたしには分からなかった。
「とにかく、お前は気にするな。結果が出た後で、悔やんだって遅いんだ」
「そこまですぐに割り切れないよ」
「でも……、落ち着いたな」
「ぬ?」
九十九の声が変わった。
言われて気付く。
涙も……、周囲の風もとっくに止まっていたことに。
「ちょっと目を閉じろ。ちょっと腫れが酷いから……、絶対に開くな」
「分かった」
確かに目がヒリヒリする。
わたしが、素直に目を閉じると……、九十九が体勢を変える気配がする。
その後、温かくて、柔らかいものが瞼に触れ、同時に頬にも何かが当たる気配がした。
彼の指と手のひらなのかもしれない。
なんだろう?
いつもの治癒魔法より心地が良い気がする。
丁寧にしてくれているのかな?
眠くなるような陽だまりにいる感覚。
わたしは何故だか……、セントポーリア城下の森にある、あのミタマレイルの花を思い出したのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




