あの時とは違う
「高田……、今、良いか?」
トルクスタン王子と二人だけで話し終わった後、近くに待機していた九十九が、いつものように部屋に送ってくれた。
その時、彼の方からそんなことを言われたのだ。
「何?」
「少し、話がある」
「……分かった」
どの話についてか分からないけれど、彼が真面目な顔をしているから、大事な話なのだろう。
しかし、その話題については、困ったことに心当たりが多すぎて見当がつかない。
中でも……、真央先輩の話中にシリアスムードをぶち壊してしまったことに対するお説教が最有力候補だった。
わたしは、いつものように招き入れようとして……。
「あれ? これ自体がお説教のもと?」
そのことに気付いて、足を止める。
「説教?」
彼が奇妙な顔をして見せるが……。
「いや、いつもみたいに、『男を簡単に部屋に入れるな』とかそんな話に繋がっちゃう?」
わたしがそう言うと、ふっと笑う。
「……警戒してくれるようで何よりだが、その辺りについて、オレはもう諦めた。これまで、メシとかの世話も散々していて、今更……というのもある」
「そうなの?」
「ある程度はオレが我慢すればすむことだからな」
「……そうか」
その言葉に少し、ほっとする。
確かに今更の話ではあるが、わたしだって彼を毎度、怒らせたいわけではないのだ。
ちゃんと確認はしておきたい。
距離が近すぎて、忘れがちになるけど、わたしたちは「異性」なのだから。
****
「話って何?」
九十九の淹れてくれたお茶を飲みながら尋ねる。
今日のお茶菓子は、ほんのり洋酒の香りが漂う四角いチョコレートケーキ。
ワカから聞いたところによると、お菓子にお酒を使うのは、魔界人の感覚からすればおかしいらしい。
人間界ではかなりのカルチャーショックだったそうな。
わたしとしては、美味しいし、作り手が納得しているのだから良いと思うのだけどね。
「今回のこと、お前は……大丈夫だったか?」
「……いろいろと思うところはあるけど……、大丈夫だよ。大丈夫じゃないのは、雄也先輩の方……じゃないかな」
あの長くて重い話が終わった後、雄也先輩は九十九によって、元の部屋に戻された。
彼は相当、気が張っていたのだと思う。
それでも、トルクスタン王子に対して、遠隔から威嚇する程度の元気はあったみたいなので、そこまで心配はしていないのだけど。
「微熱程度だから、心配するな。兄貴の状態も今は落ち着いている」
九十九は穏やかに笑った。
なんだろう?
九十九は、こんな風に笑う人だっけ?
「わたしの方は、傷もすっかり癒えたから……、大丈夫だよ」
そう言って、わたしは彼に笑顔を向ける。
だが……。
「嘘つけ」
彼は眉間に深い皺を刻んだ。
「真央さんの話を聞いている時から、ずっと奥深いところでお前が悩んでいるのがオレには、分かるんだよ。それで、『大丈夫』とか言われたって、カラ元気にしか見えねえ」
「そんなことを言われても……」
わたしは困惑するしかない。
「何を迷った?」
「迷う?」
「今の張り付いている笑顔は、お前がオレを誤魔化す時の顔だ。それぐらいは鈍いオレにだって分かる」
そう言われて、思わず顔をペタペタと触ってしまう。
わたしのそんな様子を見て、九十九は目を細めて言った。
「今のその顔は、魔界に来る前と同じなんだよ」
「ふっ!?」
具体例を出されて、思わず、顔が歪んでしまったことが分かり、咄嗟に両手で顔を隠す。
だけど、目の前の少年は、それを許さない。
わたしの両手をとり、こう言った。
「隠すな。全部、見せろ」
そう言う彼の方が、何故か、わたしよりずっと苦しそうな顔をしていると思う。
それでも……。
「なんで……?」
わたしは彼の顔をまともに見ることができずに、思いっきり、顔を下に向けた。
「なんで、見せなきゃいけないのさ……?」
口から出てきたわたしの言葉は、自分が思っている以上に、か細い声となっていた。
「最近のお前はいろいろ我慢しすぎなんだよ」
九十九は、そんなことを言う。
さらに……。
「今は泣きたいんだろ? あの時の……、夜中の人間界で泣いたぐらい泣け。それぐらい、オレが許す」
わたしの大泣きを知っている数少ない人間は、そんな無責任なことを簡単に言う。
「もう、あの時とは違うよぉ……」
今のわたしはあの時と違って、魔力の封印を解いてしまった。
だから……、今、感情を爆発させてしまえばどうなるか……。彼にだって分かっているはずだ。
「この部屋には結界がある。それも、王族クラスでも抑える強力なものらしい。それは確認済みだ」
「ふ?」
思わぬ言葉に、わたしは短く返す。
彼は、既にこの状況を予測していて……。
「だから、遠慮なく泣け。大神官猊下にも許可はとってる」
「きょ……恭哉兄ちゃんも……?」
大神官と呼ばれる青年も、わたしのこの不安定な状態に気付いているってこと?
「お前の風に対しては、兄貴よりもオレの方が耐性もある。だから……、全部、受け止めてやる」
毎度ながら、不器用な彼の言葉。
だけど……。
だから……。
わたしの周囲から竜巻が起こった。
自分が思っていた以上に、あふれ出す風の魔力。
見た目だけでもその脅威は理解できる。
周囲の重たそうな家具が次々と巻き上がり、そのまま、部屋に飛び散る。
彼の顔が一瞬、歪んだが、構わず、さらに前に踏み込んでくる。
本当に彼は、わたしに対して、いつも遠慮がない。
「我慢してるから余計に辛いんだよ。ちゃんとオレに向かってぶち撒けろ! 喚き散らして全部、一緒に流しちまえ」
あの時とほとんど同じ言葉。
「じゃあ、また肩を貸してくれる?」
轟音の中、わたしは九十九に笑いかける。
「優しい言葉を期待すんなよ。オレにできるのは、お前を支えることぐらいだ」
そう言って、彼は、自分の胸にわたしの顔を強引に押し付けた。
あの時より、随分、高さが変わっちゃったなと思う。
彼は本当に羨ましいぐらい、背が高くなっていた。
ああ、でも、硬い肩の骨に当たるよりは、心臓の音を聞かせるようなこの姿勢はかなり落ち着く気がした。
耳に届く音は力強い。
そして、安心するのだ。
彼が生きているって分かるし、同時に自分が生きているってことも感じるから。
だから……かな?
どうしても、涙が止まらなくなってしまうのは……。
でも、涙が流れ落ちるだけでは、我慢できなくて……。わたしは、目の前にある彼の服を強く固く握る。
そうしないと後から後から溢れ出してくる感情に……、とてもじゃないけど耐えきれない。
それを察してくれたのか……。
彼もわたしの頭と身体をしっかり自分に向かって動かないように押さえつける。
恐らく、顔を見ないようにしてくれるのだろう。
「わたしは……間違っちゃった……の、かな?」
それは、ずっとあった疑問。
カルセオラリア城が崩れたあの時から、絶え間なく押し寄せている後悔の渦。
もう少し、わたしに冷静な判断ができていたら、こんなことにはならなかっただろうか?
あんな方法をとるしかないほど追い詰められてしまったウィルクス王子。
それに協力した真央先輩。
そして、彼が何をしていたか分からないまでも、見て見ぬふりを続けていたカルセオラリアの王族たち。
もし、何かが違っていたら、いろいろと上手くいったのではないだろうか?
わたしが……、あの時、彼をさらに追い詰めるような余計なことを言わなければ……。
褒められた手段ではなくても、それは、わたしの感覚の問題だったのかもしれない。
人間界とは医学に対する考え方も、倫理も、違う世界なのだ。
それに、すぐには上手くいかなくても、いずれ、あの水槽から新たな生命が誕生することができていたら……?
それは……、望んでも、子供ができないこの世界の人たちの希望に繋がったのではないだろうか?
「わたしが……、彼らの、未来を、奪……っちゃったのかな?」
真央先輩の話を聞いている時から、ずっと押し寄せる悔恨。
それを思うと、涙が止まらない。
唯一の希望に縋ろうとした彼らを、何も知らない無関係なわたしが、突き落としたのだ。
「阿呆」
だが、そんな迷いを彼はたった一言で否定したのだった。
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