彼の動機
「二十歳まで一度も発情期の兆候すら出なかった……?」
真央先輩の言葉に水尾先輩が呟く。
「……それって、単純にヤることヤった結果なんじゃないのか?」
先ほどまでのトルクスタン王子とそこまで変わらない言い方に、九十九がこっそり溜息を吐いたことが分かる。
「ミオ? 貴女は仮にも、王女だったんだよね? 言葉を選んで? そして、それなら、第一王子も深刻に受け止める必要はないんだよ?」
真央先輩は水尾先輩にどこか冷たい言葉をかけた。
うん。
さっきの言い方は王女と呼ばれる立場にいる人らしくないと、わたしでも思ったので、仕方ないだろう。
「兄上は……、15歳の生誕の儀はしなかったのか? 王族は発情期防止のために行うはずなんだが……」
「しなかった……、って本人から聞いている。多分、何かを確認したかったのかもしれないのだけど」
トルクスタン王子の言葉に、真央先輩は困ったように笑った。
その儀式が何を指すのかは分からないけれど、発情期を防止する目的があるのなら、まあ、夜に何かする……ってことなのかな?
「当人がいないところで言うのは、申し訳ないけど、語る口がないから仕方ないね。第一王子は異性経験がない状態で二十歳の誕生日を迎えた。それでも、発情期の兆候……、異性を欲する心は全く湧かなかったらしいよ」
「異性を……、欲する心……?」
それが……、「発情期」の兆候?
「一応、確認しておくけれど、同性愛者だったという可能性は?」
「仮にも婚約者だった人間に酷いことを聞きますね、先輩。でも、それもないらしいです。その熱病を患うまでは、人並みに興味はあったらしいので。だから……、15歳の時も、生誕の儀を行わなかったのかもしれません」
「そう言えば、使うことはできたと言っていたか」
えっと……、雄也先輩?
『ユーヤ、好奇心が洩れすぎている。少し、抑えろ』
それまで黙っていたリヒトが雄也先輩にそう声をかけた。
彼は……、心が読める。
もしかしたら、この場にいる誰よりも、この複雑な背景を理解できているのかもしれない。
「失礼。確かに女性に対して配慮が足りなかった」
雄也先輩はそう言って、笑顔のまま自分の口を閉じる。
「発情期がなかったからって……、それがすぐに、子供が作れない身体かは分からないのではないのですか?」
九十九が、真央先輩にそう尋ねた。
「うん。確かに当人もそう思ったらしい。だから……、禁を破ることにしたらしい」
「兄上が!? そんな、まさか……」
真央先輩の言葉にトルクスタン王子が反応する。
それだけ、彼にとっては意外だったのだろう。
でも、あの水槽を見ているしまったわたしとしては、あの人が禁を破ることは不思議ではない気がした。
寧ろ、目的のためなら禁忌と呼ばれる手段に対して躊躇うこともしないだろう……とも。
「彼は……カズトルマを頼って、彼が滞在していた人間界へ行ったんだ」
「「は!? 」」
トルクスタン王子とわたしの声が重なる。
「「ああ、なるほど……」」
そして、九十九と雄也先輩の声も。
「第一王子が人間界へ? それは確かに禁を破ってるな」
水尾先輩だけが別の所に反応したようだ。
「王位継承権第一位が外交以外の理由で国を離れることは許されていない。そうでなくても、どこの国の王族も、他国への滞在期でもない限り、人間界へ行く許可なんて、簡単には降りないだろう」
水尾先輩はそう続ける。
「でも、彼には人間界しかなかったんだよ」
「それは何故だ? しかも二十歳……。俺は、それを知らないぞ!?」
真央先輩にトルクスタン王子が確認するかのように叫ぶ。
「一日数時間、王子がいないことに気付く人は少ないよ。転移門の反応も、カズトルマが帰ってきて報告している時に合わせていたからね。それに……トルクが城下に出ている間を狙ったとも聞いている。知らないのは仕方ないんじゃないかな」
「……兄上」
真央先輩の話を聞いていると、あのウィルクス王子という人はかなり警戒心が強かったのかなと思う。
実の弟にも何も伝えていなかったのだ。
それは……、王位が関係するから隙を見せられなかったから……だったのだろうか?
「人間界は、医学が発達しているからね。トルクには信じられないかもしれないけれど、母親の胎内まで確認できるそうだよ。だから……、彼に次世代へ繋ぐ遺伝子があるかないかも分かるんだって」
言葉は濁しているけど……、不妊検査をしたってことで良いだろうか?
でも、医師もびっくりしたかもしれない。
二十代の、それも未婚の男性が、そんな検査を受ける……なんて、人間界でもかなり珍しいことなんじゃないかな。
男性は、なかなか検査してくれないって話をどこかで見たことがある気がする。
「王子殿下は、人間界で検査をしてもらって診断されたということでしょうか?」
九十九が真央先輩に確認する。
「うん。結果は最悪だった……で伝わる?」
「最悪……」
「ああ、やはり無精子症だったのか」
どこか呆然としたような九十九と、あっさりと言葉にする雄也先輩。
その瞬間、真央先輩の顔が引きつったのは多分、気のせいじゃないだろう。
ああ、でも……、これで、あの人の行動の理由が繋がってしまった。
だから……、彼は、全てを犠牲にしてでも……、あんな行動に出たのだ。
あんな行動に走るしかなかったのだ。
でも、分からないことがまだまだある。
そんなわたしの視線に気が付いたのか、真央先輩はこう言った。
「動機は分かってくれた?」
「分かるかよ」
わたしではなく、水尾先輩が答える。
「子供が望めないことは仕方ない。だけど、それならなんで、マオと婚約するんだよ。子ができないこと知ってんのに。それに、今回の行動が変だろ? なんで、高田を巻き込んだ上で城を壊すんだよ」
水尾先輩は吐き捨てるようにそう言った。
「ミオは……、あの場にいなかったからね」
真央先輩は底冷えするような低い声を出す。
「アリッサムが関わらなければ、ここまでの状態にはなっていないと言っても、ミオは彼を責められる?」
「は?」
「その集団は財産と呼べるものはほとんど持ち合わせていなかった。移動手段で全て使ってしまったからね。だから、第二王女を差し出すことで、援助を得ようとしたんだ。第一王女の指示だったからね。その集団は素直に従い、交渉した」
「姉貴が……か……」
水尾先輩が少し苦々しそうに呟いた。
「本当はこの国もそんな申し出、断りたかったんだよ? 女王陛下がいたならともかく、未熟な王族が二人しかいなかったんだ。厄介ごとに巻き込まれる前に、魔法国家の魔力に固執している国に売り渡すのが、一番楽だったはずだ」
「マオ……」
トルクスタン王子はなんとも言えない顔を向ける。
「トルクスタン……。援助の話はどちらから出た?」
だが、その場の雰囲気に流されず、雄也先輩がそう尋ねる。
「どちら……と言うと?」
「カルセオラリアか? アリッサムか?」
「アリッサムの方からだと聞いている。あの時、アリッサムの代表者と立ち会ったのは、国王陛下と兄上だけだった」
まあ、援助の申し出をカルセオラリア側からすることはないと思う。
「では、その援助の対価を申し出たのは?」
「……っ!」
雄也先輩の言葉に、トルクスタン王子が一瞬、言葉に詰まった。
「私ですよ、先輩」
彼の代わりに真央先輩は口元に笑みを浮かべてそう答える。
「先ほど言いましたように、私たちは既に財を使い切っていた。残っていたものは、私と姉……ぐらいでした。それならば、どちらを売り渡すか。分かりませんか?」
それはどこか挑発的な物言いで……。
「……第一王女殿下の婚約者は?」
「将来の王配候補を渡せるわけはないでしょう? ある意味、王族より貴重な存在なのに。それに……聖騎士団長がいなくて、その後、どうやって生活せよ……と?」
「なるほど……。アリッサムの第一王女殿下が総じて世間知らずと言うのは、本当の話のようだな」
そんな真央先輩の言葉に、雄也先輩はどこか嘲笑とも思えるような笑みを浮かべて応じる。
「先輩っ!?」
「ユーヤっ!!」
雄也先輩の言葉に、水尾先輩とトルクスタン王子が反応した。
「九十九……。雄也先輩が何を言いたいのか、その……どういうことか分かる?」
わたしは真横にいる当人ではなく、背後にいる九十九に確認する。
なんとなく……、雄也先輩本人に確認するのは……、自分も世間知らずだって言っているみたいで、抵抗があったのだ。
いや、真横にいるのだから、この会話も筒抜けなのは分かっている。
「なんで、頼ったのが、カルセオラリアだったのか……とはオレも思ってた」
「へ? 幼馴染だから……じゃないの?」
「幼馴染なのはトルクスタン王子殿下と水尾さんと真央さんだけだろ? しかも転移門を使うならともかく、定期船を利用する長距離移動とか……亡命としては時間もかかるし、金もかかる。普通なら、交流のある隣国を頼るべきじゃないか?」
当然のように九十九は答える。
でも、言われてみれば確かにそうだ。
わたしたちがストレリチアからこの国へ来る時だって、結構な距離だった。
具体的な価格は確認してはいないけれど、移動手段や宿泊費などでそれなりにお金だってかかっているはずだ。
それもわたしたちのように少人数の移動ではないのに……。
「ユーヤ、説明しろ。今の言葉は、どういう意味だ?」
トルクスタン王子が雄也先輩に確認する。
彼にしては、珍しく、その言葉には怒りとかそう言ったものが含まれていた。
「目が眩みすぎだ、トルクスタン」
雄也先輩は、苦笑しながら言った。
「国が滅びの憂き目に遭って、財がないなら……、何故、情報国家を頼らなかった?」
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