情勢把握
「それにしても思ったより大物だな、我らが主は……」
「大物っていうか……、なんだろう? あの女、やっぱりオレにはよく分からん……」
弟がそう言いたくなる気持ちも分かる。
彼女は、普通の思考では理解が出来ないほどぶっ飛んでいるわけではないのだが、その言動を予測するのは何故か難しい。
「それでも、護ると決めた以上、責務は果たせ」
「分かってるよ。落ちた信頼も回復させないとな!」
彼女を護ると決めたのは10年以上も前。
その間に状況は大分変わってしまったが、その気持ちは今でも変わっていない。
「ところで……、魔界は今、どんな状況なんだ?」
「今まで気にしたこともないくせに……」
「気にしてなかったけど、戻るなら話は別だろ?」
弟はこの10年間、一度も魔界へ帰っていない。
そのことを咎めたことはなかったし、その判断は正解だったと今は思っている。
「まあ、普通だ。目立った争いごともない。法力国家の大神官猊下がそろそろ隠居されるとか、魔法国家の王女殿下が20歳の誕生日を迎えるとか、我が国には関係のないような話はあるけどな」
「他国の情勢はどうでも良いんだが……」
どうやら、興味のないことまで覚えたくはないらしい。
「どうでも良くはないぞ? 他国のこととはいえ、それが自国にどんな影響を及ぼすかは分からないからな。特に、大神官が交代となると……、我々も無関係とは言えなくなる」
「神官が? なんでだ?」
「お前の脳みそはニワトリ並みか?彼女に施された封印に法力が絡んでいる以上、法力国家には必ず橋渡しの必要がある」
「セントポーリアにも神官ぐらいいるだろう?」
「いるにはいるが、どうやって事情を説明する気だ? 彼女のことは公に出来ないのに……」
尤も、彼女に施されたあの封印は、自国の神官程度ではどうにもできないだろう。
そして、セントポーリアにいるのは正神官までだ。
それより、神位が上の神官はいない。
しかし、聖堂建立を許されるような上神官といえど、手に余るかもしれない。
だが、それ以上、神位が高い神職となれば、法力国家に7人しかいない高神官と神官の頂点に君臨する大神官しかいないのだ。
それだけ、彼女に施された封印は強固だと見ている。
「一体……、どんなやつが封印したんだろうな?」
弟の疑問も尤もである。
人間界にそんな法力を持った魔界人が来るとは思えない。
高位の神官ほど、年齢も重ねているのだ。
そうなると、国でも重い地位になる。
簡単に人間界への向かう許可が下りるとは思えない。
ただ……、法力国家の高神官の中に「赤羽の神官」と呼ばれている神官がいるのだが、次の大神官の最有力候補とされている。
漏れ聞いたところ、彼は異例の早さで位階を上げていったために、まだかなり若いという話だった。
はっきりした年齢と素性はよく分からないので、魔界に戻った後、改めて情報収集する必要があるだろう。
「セントポーリアの……国王陛下や王妃、それに王子はどんな様子だ?」
「国王陛下や王妃殿下は息災。王子殿下も日々懸命に勉学に励まれ、ますます頼もしくなっている」
「まあ、国王陛下はともかく……、あの王妃は滅多なことじゃくたばりそうもないが……」
弟がそう言いたくなるのも分かる気はする。
今まで我がままに、思うがままに生きてこられた方だ。
幼い頃は大臣の娘であり第二王子の婚約者として、成人後は王の正妃として、何不自由なく生きてこられた。
まあ、その唯一の誤算は国王陛下の愛を得られなかったことだろうが、それ以外は貪欲なまでに欲するものをその手にしてきたのだ。
あれで早死にするとしたら、栄養過多ぐらいだろうか?
「……滅多なことを口にするな。それに……、あの御方があの地位にいらっしゃる限りは俺たちの気苦労は耐えないことに変わりはない」
尤も、あの御方なら王太后、太王太后になったとしても、その権力を誇示しかねないのだが、そこは国王陛下がご存命ならその裁量で何とかしていただくしかないだろう。
国王陛下が存命ならば……。
「……また、城に行かなきゃ行けないのか? オレ、あそこは居心地悪いんだが……」
何かを思い出したのか、弟は分かりやすく眉間に皺をよせた。
困ったやつだ。
他の人間に対してはそうでもないが、ある程度、気を許した相手に、感情が出過ぎなのは褒められたことではない。
「城への勤務……、国王陛下への報告に関しては、今までどおり俺だけで事足りる。王子殿下や王妃殿下の様子伺いも問題ない。一応、城下に住まいを手配しているから、何事もなければ暫く滞在は可能だと思う」
「何事もなければ……というのがポイントだな」
「城下で騒ぎを起こさなければ、早々、目に付くこともない。王子殿下はともかく、王妃殿下は下々のことに興味はないそうだからな」
もっと耳目が優れていれば、厄介な存在になっただろう。
だが、幸い、そうではなかった。
「庶民の気持ちを知らずして何が王妃だか」
弟は吐き捨てるように言う。
「国王陛下が知っているなら問題はなかろう。あの方は、未だに城下への興味が尽きないようだからな」
「まさか……、あの方、お忍びでもしてるのか?」
「馬鹿を言うな。当人は王の身分ではそれも儘ならんと嘆いてらしたよ。城下より出入りする者たちの話を聞くことしかできないからな」
王ともなれば、流石に気軽な街歩きなどできない。
どんなに姿を隠したところで、誤魔化すのは限界もある。
「国王陛下のことは嫌いじゃねえんだけど……。なんであんな女を正妃にしたのか未だに分からん。他の女を選んでいたならオレたちもこんな苦労をする必要もなかったし、ミヤドリードだって……」
「幼い頃より決められた婚姻というのはそう言ったものだ。特にセントポーリアの王族はその純度を保つ必要があるとされる。王族に他の女性がいなければ仕方あるまい」
「消去法かよ。王の横に立つ女って資質じゃ選べねえのか?」
「王族ということが最大の資質、持って生まれた才能だからな」
王族として生まれた時点で、通常ではありえないほどの魔力を有する。
そして……、それがあるからこそ、誰もが認めるしかないのだ。
「それは認める。あの日、高田が放出した魔力の固まりは桁が違った……。あれは、間違いなく王子以上だと思う」
この弟は、時々そのことを口にするようになった。
彼女とともに謎の集団の襲撃を受け、結果として、彼女が魔力をぶつけることによって事態を収束させたのだ。
実に力技的な解決法だが、それだけ、弟にとっては印象的だったということなんだろう。
だが、本来なら喜ばしいはずのそれは、彼女の立場からは良いことではない。
「……お前が贔屓目で見ていることを祈る」
「なんで?」
「その話が本当なら王妃殿下は黙っていない」
「……だよな」
邪魔者とみなして秘密裏に消す。
それぐらいはしそうだが、ある意味もっと、最悪な状況がある。
仮に彼女に数多くの暗殺者が放たれても、自分や弟、それに彼女自身が打ち払うだろう。
それだけの力がないとは思っていない。
分散され、集団で攻められたら分からないが、そこまでの労力を割かないはずだ。
そして、国王陛下自らが来ない限り、国内で彼女を簡単に害せる人間がいるとは思っていない。
それだけ、王族は生命力、魔力が強いのだ。
大気魔気……、魔界に漂う魔力の手助けが働く以上、王族は、神や精霊等の加護や祝福を受けやすくなる。
だが、万一、最も天敵であるはずの王妃が、彼女を取り込む選択をしてしまったらどうなるだろう?
国王陛下は尻尾を握られた状態になってしまい、王妃の権力は絶対的なものとなってしまうことは間違いない。
そこまで賢明な選択をするとは思えないが……、厄介なことに、セントポーリアは近親婚も認めている国だ。
王子の魔気、魔力の資質に焦りを覚えているあの方が、その手段を考えないとは思えない。
何より、今、セントポーリアには公式的に王子と年の近い女性の王族はいないのだから。
「とりあえず、魔力の暴走だけは、させないようにしておかねば」
「オレの魔力で抑える自信はないぞ」
「元よりそんな大それた期待はしていない。結界を強化しておくしかないだろう。セントポーリアの魔法具だけでは心許ないから、法力国家から取り寄せるか。できれば、持ち運びが可能な携帯型で……」
法力国家の法具なら、間違いはないだろう。
大神官は無理でも、高神官クラスならなんとか王の名を使えば手に入らないことはない。
できれば、噂の「赤羽の神官」の法力なら尚良い。
若き高神官の法力の質の確認をしておけば、今後の指針にもなりそうだ。
「兄貴は凄いな」
「何を今更」
「オレ、そんなことはさっぱりだからな」
「学べ」
いずれ、自分の頭だけでは足りなくなる。
一人分の努力や鍛錬の積み重ねだけで超えられない壁というのは必ずあるのだ。
「分かってるよ」
そう言いながらも生あくびをする愚弟。
殴っても良いものだろうか?
「確認のために尋ねるが、お前、夢の中のことをどれだけ覚えてるんだ?」
「さっきのアホ面下げた話。それと、元カノの姿をした夢魔に襲われて、高田のお陰で助かった? ……で、あってるよな?」
「……その後は?」
「その後? なんか、高田といろいろと話した気もするけど、覚えてねえや。夢だし」
よし、殴る理由が出来た。
俺は弟の頭に拳骨を落とした。
「何するんだよ?」
「阿呆に鉄槌を」
「は?」
「覚えていないなら、お前にとって大したことじゃなかったんだろう」
「なんだそりゃ?」
「分かったから、朝食の準備でも手伝って来い。千歳さんは、もう動いてるぞ」
「マジ? わ~、主婦ってやっぱ、早いんだな。」
そう言って、多くの疑問を持たずに部屋から出て行く主夫候補生。
どこで教育を間違えたのだろうか?
時々、そんな疑問が湧く。
弟が、何故にあんな家庭的になったのかは分からない。
まあ、掃除ができないのが最大の弱点という主夫だが。
「まったく……」
思わず深く息を吐いて、あの時の言葉を思い出す。
『九十九が護ってくれるからどんなことがあっても大丈夫だよ』
そんな絶大的な信頼。
そこに恋愛感情が伴っているかは状況からは判断しかねるところだが、彼女は確かにそう言ったのに。
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