世界にとっての「異物」
「居場所を全力で守りたいという気持ちはよく分かります」
俺の言葉を聞いて、黒い髪の少女はそう答えた。
「わたしも……そうですから」
普段、あまり聞くことはない彼女の弱気な言葉。
彼女がこの世界に来てから、二年を優に超えるが、いつも明るく、前向きで……、基本的には笑顔だった。
だけど、時折見せるどこか物憂げな表情に気付かないはずもない。
「どこか……、異物の感覚が抜けないのです」
それは、昔、彼女の母親も言っていた言葉だった。
あの人も……、「自分はこの世界にとって、『異物』だから」……と。
その時はよく分からなかった言葉だったが、今なら理解ができてしまう。
あの人はこの少女と違って完全に、この世界の人間ではなかった。
気が付けば、この世界で生活するしかなくなっていた。
だから、慣れない異世界で、自分の居場所を探し続けていたのだ。
だが、それを理解できたところで、そんな彼女たちにどんな言葉を掛ければよいだろうか?
俺はこの世界で生まれ育った。
だから、その立場にはどう頑張ってもなれないのだ。
俺は少し、考えて、とっておきのネタを披露することにした。
「栞ちゃんは、『救国の神子』って知っているかい?」
「へ?」
俺の唐突な言葉に、彼女が戸惑ったことが分かる。
「この世界を滅亡から救った七人の聖女のことなんだけどね」
「ああ、あの救国戦隊カント……、いや、なんでもないです」
彼女は、不思議な言葉を口にしかかったが、そこを気にしてはいけない気がした。
「彼女たちは異世界人だったという説がある」
「へ?」
「この国に残された資料によると、いくつかの『オーパーツ』と言える物があることがその説の根拠かな」
「『オーパーツ』……って、その時代にあるはずがない技術による加工品とか……そんな物ですよね?」
話が早くて助かる。
その時代、文明にそぐわない出土品の造語のことだ。
「うん。シルヴァーレン大陸の礎となった『ラシアレス』様は、その『救国の神子』たちの中でも、多彩な文書を最も多く遺された方だったと言われている」
「多くの……、文書を?」
「その中に、『棒グラフ』や『円グラフ』、『折れ線グラフ』など、当時のこの世界にはなかったはずの図がびっしりと書き込まれていたんだ」
「は!?」
彼女の驚きもよく分かる。
この世界に、そんな統計学的な知識は一般化されていない。
あの情報国家なら分からないが、保守的なシルヴァーレン大陸の人間が、そんなことを考え付くとは思えなかったのだ。
それも、今よりもずっと、気が遠くなるほど遥か昔に。
「俺もその資料を拝見させてもらったけど……、どう見ても、人間界で見たような事務文書にしか見えなかった」
「ちょっ!?」
実際、その前後の時代にはそんな図表は存在していないことも確認している。
そして時代的に、確かに既に文字はあったが、紙に書いて資料として纏めるという行動は、一般的でもなかった。
当時の文字の使い方は、長々とした魔法の知識や、箇条書きでちょっとした情報を記す……ぐらいである。
「グラフだけじゃないよ。俺と大神官様だけが気付いた、彼女たちが『異世界人』だと決定づけた物もある」
「そ……、それは……一体?」
「『神子文字』と呼ばれる文字。これが、決定的だったよ」
「みこ……文字?」
「七人の神子たちが遺した、彼女たちしか使った形跡の無い文字。それを彼女たちがどこで学び、どこで得た物かは一切の資料がないんだ。でも、七人全てが同じ文字を使っている」
「ど、どんな文字ですか?」
「日本語だよ」
「にほっ!?」
先ほどから、彼女は理想的な反応をしてくれた。
だから、こちらとしても、気分良く言葉を続けることができる。
「漢字、ひらがな、カタカナ。さらには、アラビア数字、加減乗除の記号。これだけ揃ってしまえば、彼女たちが割と近年の日本人であることは疑いようもないよね」
それに気付いた時の俺の衝撃が少しでも伝わるだろうか?
漢字だけなら出身国は分からない。
だが……、それ以外の文字や記号で証明してくれている。
いや、もしかしたら、彼女たちからのメッセージだったかもしれない。
いつか見つける誰かのために……。
「ちょっと待ってください!! でも、その時代って今よりずっと昔ですよね?」
「そうだね。数千ではなく、数万年単位の話。つまり、考えられることは、彼女たちは星だけではなく、時空を超えた……ってことかな」
「な、なんてこと……」
彼女は驚愕してくれた。
この法力国家でも、それを知る人間は大神官しかいない。
「救国の神子」が自ら遺した資料については、機密事項に当たるらしく、普通ならば拝見することなどできないのだ。
それを何故、他国の人間であるはずの俺が見ることになったかと言うと、我が弟のように片付けの苦手なストレリチア国王陛下が、長い間、放置していた資料の数々を片付ける手伝いを任されたからという……なんとも言えない裏事情があるのだ。
ストレリチア国王陛下は、難解な記号にしか見えない「神子文字」が読めなかったこともある。
だから、他国の俺に理解できるはずがないと思われたのだろう。
そのことを知った時の大神官は、「貴方の主人である栞さん以外には内密にお願いします」と口留めをしてきたぐらいだ。
だが、その気持ちはよく分かる。
そして、この国が誇る大神官も、日本語が読めた。
この国の王族でその日本語を解しそうなのは王女殿下ぐらいだが、彼女は建国神話に興味を持たない。
だから……、これまでは彼以外に気付かれることもなかったらしい。
カタカナで書かれた自分の名前の後ろにハートマークを付ける神子もいたようだが、それを俺より先に発見してしまった大神官の心中は如何ばかりだったことか……。
だが、もし、彼が人間界の、それも日本へ行っていなければ、この情報は、俺だけが知ることになっただろう。
しかし、情報が大きすぎる。
重荷が分けられたのは、ある意味、悪いことではなかっただろう。
そして、これらの事実が万一、公表されたらこの世界は大変な大騒ぎになってしまうかもしれない。
この世界が救われた後、さらに多くの時が流れ、この世界のほとんどの人間は、「救国の神子」の血が混ざっていると言われている。
滅亡に向かっていたこの世界に多くの子孫を残した「救国の神子」たち。
謎が多く、神秘のベールに包まれている聖女たちの正体が、実は「未来から来た異世界人だった」とか、荒唐無稽な大衆小説でもありえない。
ああ、人間界なら許されたかもしれないな。
宗教が混在し、歪曲され、雑多に交錯する不思議な世界。
俺たちにとって、あの国こそ、「幻想世界」だったとしか言いようがない。
「これって、実は、大変な話なんじゃないですか?」
「大変な話だね」
「そんな話を何故、わたしなんかに話しちゃうんですか!?」
「栞ちゃんは、主人だし、この国においては、一応、『聖女の卵』扱いだから、知っておいて損はないと思って」
少なくとも、この情報の大きさとその重さが分からないような少女ではないことは分かっている。
だから、大神官も彼女なら良いと判断したのだろう。
「何より……、この世界では、異世界から来た人間がうっかり『聖女』になることは珍しくないと分かってくれた?」
「どんなファンタジー小説ですか!? しかも『うっかり』って、なんですか!?」
顔が見えないままではあるけど、どんな顔をしているか手に取るように分かる。
「それに、大神官の話では、当人が望んで『聖人』になることは、本当に稀らしいよ」
俺がそう口にすると、彼女は無言になった。
当人が望んで「聖人」認定を受けることなど、ほとんどない。
いや、自分からその肩書を望むような人間に、「聖人」の資格などないと大神官は苦笑しながらも語っていたのだ。
ほとんどが世界の勝手な都合に巻き込まれた人間たち。
当事者が意識せぬまま、うっかり行ってしまった偉業によって、認められる「聖人」と言う名の地位。
そこに見え隠れをしているのは、人ならぬ神の意思。
だから、何も知らない「異世界人」は都合が良いのだろう。
既に世界の意思に固められた魔界人より、神すら予想ができないようなことをしでかしてくれる存在。
それらは、暇を持て余した神々にとって、退屈しのぎにはもってこいなのだ。
勿論、割と酷い話だとは思うが、現状がそうなのだから仕方ない。
「『異物』は……わたしだけではなかったのですね」
そう言って……、彼女は小さく息を吐いたのだった。
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