慣れない痛みの嵐
―――― 全身が痛い。
一瞬で通り抜けるような鋭い痛みではなく、いつまでもその場に留まり続けるような重量感のある鈍い痛みが、断続的に続いていた。
同じ痛みが持続していれば少しぐらいこの激痛にも慣れるのかもしれないが、困ったことに脈打つように、途切れがちであるため、なかなかこの身体は、これらの痛みに慣れてくれる様子もなかった。
目を閉じると、感覚……、痛覚まで研ぎ澄まされてしまうのか、身体に響いている鈍痛はより重くなることが分かる。
それでも、この激痛に耐えがたく、目を閉じては、また新たな痛みに襲われる。
もうずっと、その繰り返しが続いていた。
―――― ああ、これは確かに心が折れても不思議ではないな。
思わずそう思うしかなかった。
この魔法により、魔法国家の聖騎士団長に至った人間すら、暫くは己自身との戦いだったと聞いている。
今、自分に襲い掛かっている痛みと全く同じではないと思うが、それでも、あの魔法国家の第二王女が、この特殊な魔法を使わなければならない事態になったのだから、その人間が、瀕死に近い状況にあったのは間違いないだろう。
この世界に存在する痛みというものに、どれだけの種類があるのかは、その全てを体感したことはないため知るはずもないが、死に至るほどの傷の痛みに、これ以上、多くのバリエーションがあるとすれば、創造神とされる存在は、かなりのサディストと言わざるを得ない。
なかなか良い趣味だと言うしかなかった。
―――― そして、勉強にはなるな。
自分が負った傷の種類が分からないほど余裕がなかったわけではない。
どんなものが、どの勢いで当たってきたか。
どの程度の爆発で、どの部分がやられたか。
確かにあの時、周囲は暗く、視界も悪かったとは言っても、それぐらいは見えていたし覚えてもいる。
はっきりと覚えていないのは……、最後に転移門に当たった上、自分を圧し潰した天井だったもの……ぐらいだと思う。
そして、それらを避けきれなかったのは、単に、連れが多すぎただけだ。
元々、自分は誰かの傍で自分以外の人間を守るような行動をしたことがない。
つまり、この状態は不慣れなことをした代償だと思う。
これらの痛みによって、思考が散漫になるかと思えば、不思議なくらい、頭の中はしっかりしていた。
寧ろ、いろいろと余計なことを考え続けていた方が、そちらに意識が集中するのか、身体の痛みが緩和されているような気がする。
―――― 確かにこの状態は痛覚異常、脳の誤作動ということだな。
あの時に負ったはずの傷は、綺麗に治っている以上、この痛みが本物であるはずがないのだ。
この状態は、自分の意識が痛みを記憶したまま、身体が癒されたことに気付いていないと説明をされている。
従来の治癒魔法は、身体本来が備えている治癒能力を促進させるものだ。
だから、傷の治りも自覚できる。
だが、今回、自分に使われた魔法は、そんなどこにでもあるような普通の魔法ではなかったらしい。
自身が持っている能力とは無関係に、無理矢理、傷を負う前の状態に身体を戻すというものだ。
それは、治癒魔法というよりも、もっと別のものから影響を受け、さらに影響を与えているようにも思えた。
自分の推測が間違っていなければ、それは一般的な魔法とは異なる次元にある魔法だろう。
そして、その考えが正しければ、同じ魔法ではないが、同じ系統の魔法ならば、幼いころから何度も見てきた。
―――― もし、そうならば……。
人間は苦痛を多く感じることはできないと聞く。
それは、それだけ自身の思考を分割させることは、かなり難しいということに繋がっている。
それでも、一度に多くのことを考えられないわけでもない。
だから、できる限り、多くの情報を取り入れ、そして整理することで、自分の痛みに集中しすぎないように意識を別方向へ飛ばし続ける。
それが、今の自分に必要なことだと、そう理解していた。
だが、身体の感覚に逆らって、ずっと別のことを考え続けることができる人間も、そう多くはない。
ふとした時間に、脳は休息を欲するものなのだから。
例えば、喉が渇いたとか。
例えば、今の時間の確認とか。
例えば、一息吐きたいとか。
そんなよくある無意識の行動。
だが、今の状態は、そんな一瞬の隙すら許してくれないのだ。
「ぐあっ!?」
ほんの少しだけ、気を緩めた瞬間だった。
長く堰き止められたダムが、一斉に放流された時の水の勢いのように、自身に襲い来る激痛の嵐に、思わず自分でも無様と思えるような声が口から吐き出される。
『――――っ!?』
その激しい痛みの中で、何かの音が聞こえた気がした。
だが、今は、それが何であるか確認するような心の余裕などない。
痛みに耐えかねて、八つ当たりに近い感情で、手の届く位置にあったものを羽交い絞めのように抱き潰す。
今は、何かを力強く抱き締め、気を逸らさねば、この苦痛に耐えがたかった。
そのために、世話係を務めてくれる神官たちに依頼して、潰してしまっても構わないような寝具類を周囲に置かせて貰っている。
申し訳ないことに、既に、この部屋に来てから3つほど、クッションと呼ばれるものを抱き潰していた。
『――――っ!!』
そこにはいつもとは違う手応えがあった。
さらに微かに聞こえた音。
そして……、それらを疑問に思うこともできないほど余裕もなく弱ってしまった心。
それは、寝具ほどではないが、柔らかい何かだった。
こうしていると、温かく、不思議なことに心も安らいでいく。
先ほどまであった痛みが、嘘のように落ち着き、静まった気がした。
勿論、痛み自体がなくなったわけではないが、耐えられないほどではない程度には治まってくれた。
何よりも、漂ってくる空気に身体が蕩けそうになる。
その感覚は、自分にとって酷く懐かしいものだった。
どうしても手に入らなかったもの。
欲してもどうにもならないもの。
だが、傍にあるだけで心が癒されて、それだけのために、自分の身体を動かしていた時期すらあった。
だから、これは夢なのだろう。
あの方が……、ここにいるはずがないのだから……。
「チトセ……さま……」
思わずそう呟いてしまった自分がいた。
「へ?」
さらに、自分のすぐ近くで、聞き覚えのある声が耳に届く。
痛みが和らいだ分、心に余裕ができたのか、瞬時に今の状況を理解することができた。
いや、理解することができてしまった。
そして、同時に……、自分の言動の迂闊さに気が付くこととなる。
「ゆう……や……、せんぱ……い?」
自分の胸元に息がかかるほどの距離から、おそるおそる尋ねてくるその声に、応えることができない。
目を開けることすらできなかった。
いっそ、一連の流れの全てが夢であってほしいと、現実逃避したくなる。
「……えっと……その……?」
その声の主もどう対応して良いか分からない様子。
それは仕方ない。
全て、俺が悪いのだ。
俺の気の緩みから出た言葉が。
「……栞ちゃん」
俺は彼女の名を呼びながら、ゆっくりと目を開けると、そこには、見知った彼女の黒い髪の毛が目に入った。
「はい……」
彼女は下を向いたまま、返答してくれる。
すぐに顔が見えなかったことを幸いと思うしかないだろう。
「聞こえて……しまったよね?」
「はい」
彼女はさらに小さく返答した。
「そうか……」
それならば、観念するしかない。
昔の彼女が知っていたかどうかまでは分からないが、あの人とこの少女の関係が変わったわけではないのだ。
「察しの良い栞ちゃんのことだから、先ほどの言葉で全て分かってしまったと思うけれど」
彼女は顔を上げず、黙ったまま俺の言葉を待っている。
「……俺は、ずっとあの方をお慕いしているんだ」
俺は初めて、今の彼女にそう伝えたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




