親の甘茶が毒となる
雄也先輩の問いかけに対し、わたしは大きく頷いた。
誰だってそうではないだろうか?
自分のために誰かが命を懸けてくれるなんて重すぎる。
わたしは、そんな大した人間ではないのに。
そこまで過剰な期待をかけられても、それに応えることなんてできるはずがないのだ。
「そうだね。大半の人間は、自分のちょっとした行動一つで他人の命が左右されるなんてあまり喜ばしいとは思わないだろう。そして、生まれつき上に立っていて、そのことが当然と思う人は、この世界でもほんの一握りだと俺も信じているよ」
「ゼロではないのですね……」
「地球でも、ゼロではなかっただろう?」
わたしの言葉に雄也先輩は苦笑した。
確かにそんな人に会ったことはないから、そんな人が存在しているかどうかの真偽までは分からない。
けれど、上司の命令一つで多くの人間が命を投げ出す国も、そんな時代もそう遠い世界の話ではなかったと記憶している。
特に宗教とかそんなものが絡んだ時……。
神や仏など、自分以上の存在が関与した時、人は死を恐れなくなる……らしい。
それは、わたしにはとても、理解できない感情だけど。
「別に、俺たち兄弟も自ら死を選びたいわけではないよ。単に、自分の命と栞ちゃんの命を秤にかけたら、少しだけキミの方が重いというだけの話だね」
「そんな……」
そんな天秤の存在なんか知らない。
だから、そんな天秤なんかに勝手に載せないで欲しい。
「それだけ俺たち兄弟は、キミに恩も義理もある。そして……、それだけの価値も……ね」
彼は笑いながら簡単に言ってくれるが、それはおかしいと思う。
わたしにそんな価値なんてあるはずはない。
だけど、彼はそれを実際に示してしまった。
文字通り、その身体を盾にして、わたしを守ってくれたのだ。
「でも……、その恩も義理も、今のわたしに対してではなく、記憶をなくす前のわたしのことですよね?」
わたしは震えながらそう口にする。
彼が言うのは、わたしの知らないわたし。
わたしが覚えていない彼らとの歴史。
そんな時代なら、確かにそれだけのものがあったかもしれない。
でも、今のわたしにそんなものは何一つとしてないのだ。
だから、そんな知らない時代の縁だけで、命を懸けないで。
そんな時代の縁を考えさせないで。
それは、わたしであって、わたしではないのだから。
だけど、そんなわたしの考えを見抜いたかのように、彼はくすっと笑った。
「九十九の方はどうか知らないけれど、俺は今の栞ちゃんにこそ、それだけの価値を見出しているんだけど?」
「はい?」
きょとんとするわたしに対して、雄也先輩はどこか悪戯っぽく笑いながら、言葉を続ける。
「栞ちゃんが魔界に来てからまだ二年半ほど……。キミ自身は気付いていないかもしれないけど、その僅か二年半という期間にキミがこの世界に与えた影響は決して小さいものじゃないと俺は思っているよ」
彼からそう言われてわたしは思い出す。
「まあ、確かに城一つ崩壊させていますが……」
そう答えながら、思わず目が明後日の方向を見てしまう。
確かに、直接、手を下したのはわたしではないが、それに関わってしまった以上、この部分において否定もできない。
カルセオラリア城が崩壊した間接的な原因は、わたしにもあるのだ。
だが、そんなわたしの言葉に対して、彼にしては珍しく破顔一笑した。
「それだから、俺は栞ちゃんにいろいろと期待してしまうんだ」
「いや、わたしも別に破壊活動は趣味じゃないですよ?」
そんな恐ろしいことが趣味でも困る。
そして、彼が言う「期待」の意味もよく分からなかった。
「考えるのは俺の役目。そして、動くのは九十九が担当する。俺たちの仕事は栞ちゃんがやりたいことを存分にさせること。今のこの状態は、単に俺の未熟としか言いようがない。身体を張ってキミを護ろうなんて慣れないことをした結果だよ」
困ったように笑いながら、雄也先輩はそう言葉を続ける。
「渦中に飛び込んでいったわたしが言うのも何ですが……、誰だって……、あんな状況なら大怪我をしてしまってもおかしくないと思いますよ」
あちこち爆発して、床が抜け、天井も落ちてくるなんて、どんなアクション映画だったのかと言いたい。
いや、周囲の派手さの割に、自分の動きは少なかったのだから、アクション映画としても面白くはなかっただろうけど。
どちらかというとパニック映画になるのかもしれない。
「あの状況を作り出さない方法を見つけておけば良かったんだよ。俺もまだまだ読みが甘いね」
「いや、そこまで読めるのは、リヒトぐらいでは?」
「リヒトでも無理かな。彼ができるのは今、考えていることを読むだけだ。突発的に浮かんだ考えまでは対処できないだろうね」
ああ、なるほど。
心が読めると言っても、衝動的になった人の行動までは予想できないって事か。
「だけど……、栞ちゃん? キミが望む限り、俺たちは出来る限りの補助をするけど、自分でも無茶だと思うような行動はあまりしないで欲しい。キミが今の俺の状態を心配してくれるのと同じように、俺たちもキミを心配するんだ」
そこで雄也先輩は視線を落とした。
「崩れゆく城で、ウィルクス王子殿下と一緒に倒れていた傷だらけの栞ちゃんを見つけた俺がどんな気持ちだったか想像はできるかい?」
そう言われて考えてみる。
もし、逆だったら……、一斉に顔から血の気の引く音が聞こえた気がする。
ああ、大神官である恭哉兄ちゃんも同じようなことを言っていたね。
何の前触れもなく、聖運門から転がり出てきた血だらけのわたしを見た時に、自分がどんな思いをしたか分かるか? と。
「俺もお説教する気はないんだよ。ただ、伝えておきたかっただけなんだ」
そういえば……、そのことについても、恭哉兄ちゃんは同じようなことを言っていた。
自分のことを気にかけている人を忘れるなって。
「でも、多少のことは魔法で何とかなると思っていた傲慢な自分に気付けたのは確かかな。今回のことはいろいろと勉強になってよかったと思うよ」
死に掛けても、全身が痛んでいても、その原因となったわたしに向かってそう笑って言えるこの人は、どれだけ強いのだろう。
「雄也先輩は甘いです。もっとガツンと強く言わなければ、わたしみたいなのはまた同じようなことをしちゃうかもしれませんよ?」
勿論、反省はしている。
でも、目の前で似たようなことが起きても、次は黙って見過ごせるかと言えば……、多分、できないだろう。
「俺はまた同じことをしても構わないと思っているよ?」
「は?」
意表を付く答えに、自分の目が丸くなってしまったのが分かる。
「次は、俺たちがもっとうまく立ち回れるようになれば良いだけの話だから」
「ドロ甘すぎます」
この辺り、雄也先輩は、日頃から過保護な九十九や、誰に対しても優しい恭哉兄ちゃんより遥かに甘いと思う。
「だけど、知ってるかい? 栞ちゃん」
そのどこか妖艶な笑みに、わたしは思わず息を呑んだ。
「人間界では、甘いお茶って毒らしいよ?」
ああ、そう言えば人間界にそんな諺があった気がする。
確か……「親の甘茶が毒となる」だったかな?
子供可愛さに甘やかして育てると、その子のためにはかえって良くないって意味だったと思うけど。
つまり……。
「そうですね。雄也先輩からのご忠告、確かに頂戴いたしました」
これが、彼なりの、わたしに対する忠告なのはよく分かった。
そういえば、彼も甘いだけの人ではなかったよね。
気を付けないとその甘さにやられてしまう。
だから、ちゃんと自分でしっかり考えなければならない。
これから先は、自分の足で立って真っすぐ歩けるように。
大事な人たちに護られるばかりではなく、ちゃんと守れるように。
そして、何より彼らに恥じ入ることのないように。
わたしは、改めてそう思うのだった。
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