見えない部分の傷
「……とりあえず、お前は場を外せ」
兄貴は最初にそんなことを言いやがった。
「なんでだよ?」
オレは納得がいかず食い下がる。
「栞ちゃんと話がしたい。それにお前は邪魔だといっている」
いつもの調子で言われると、もう身体は治ったように見える。
だが、それは普通の人間の話。
伊達に長い付き合いじゃない。
兄貴の身体の調子ぐらい、ある意味本人以上に分かるところもあるんだ。
いや、見栄は張るまい。
リヒトに言われて、注意深く観察するようにして、ようやく気付いた……だけだったりするのだが。
「断る。どんな話かは知らんが、重傷者だけ残しておけるかよ」
オレがそう答えると兄貴にしては分かりやすく怪訝な顔をしやがった。
今の状況を説明すると、オレは高田のところへ向かい、朝食を食わせた後、そのまま彼女と共に兄貴の部屋に来たのだ。
朝の様子だと早く行きたそうだったからな。
リヒトはなんか、トルクスタン王子に用があるとかでそっちに行っている。
もしかしたら、真央さんが目覚めたのかもしれないが、今は、そんなことは正直どうでも良かった。
なんとなく、高田なら兄貴の現状を回復させてしまうのではないかなどという奇跡を起こしちまう気がしたのだ。
だから、まだ気は進まなかったが、彼女がこの部屋に来ることを承知したのだ。
そんな風に、オレなりにいろいろと考えて行った結果が、先ほどの言葉だった。
兄気がどんな意図があってそんな言葉を吐いたかは分からない。
だからって、簡単に二人だけに出来るか。
「……空気の読めんヤツだな」
そう言って、深い溜息を吐く。
オレにだって分かってるよ。
兄貴は、高田に何か言いたいことがあって、それをオレの前では言いにくいってことぐらい。
だけど、それは身体が万全でない今、どうしても、言わなければならないことなのか?
「九十九……」
今まで黙っていた高田が口を開く。
「コレがあるから大丈夫だよ」
そう言って、彼女は掌に乗せた珠を見せる。
ソレは通信珠だった。
「雄也先輩に何かあったら、ちゃんとすぐ呼ぶから。それに、体調以外の危険は、今、この国じゃあまりなさそうだよ?」
「つまり、お前もオレに出て行けと?」
つい不満が口に出てしまう。
「雄也先輩がそう言うのは何か事情があるからでしょ?」
だが、高田はオレの棘のある言葉も気にしていないように答えた。
「分かったよ。でも、何かあったら必ずオレを呼べよ?」
「うん」
そう笑顔で返事をされたら、オレも従わないわけにはいかなかった。
だから、オレは知らない。
オレのいないところで高田と兄貴の間で交わされた約束事など……。
そして、それがとっくに意味を成さないことなんて……、知るはずもなかったんだ。
****
九十九がいなくなった後、わたしは雄也先輩と二人きりになったわけですが……。
なんだろう?
雄也先輩がかなり難しい顔をしている。
「お話ってなんですか?」
とりあえず、切り出してみる。
「まあ、いろいろとあるのだけれど……」
彼にしてはどことなく、歯切れの悪い言葉だった。
いつもとは違う、珍しい物言いだから、うまく言葉を整理し切れていないのかもしれない。
リヒトの話では、雄也先輩は痛みの中で、なんとか考え事をしている状態らしいから。
「雄也先輩の方がすぐに話せないなら、わたしの話を先にさせてもらってもいいですか?」
「ああ、構わないよ。悪いね。まだ頭の働きが鈍いみたいで……」
「大怪我の後なのだから、仕方ないと思います」
実際にはその痛みが続いているのだ。
そして、その原因となったわたしが「仕方ない」と、言うのもおかしいかもしれないのだけど。
「痛い……ですよね?」
「まあね。不思議といえば、不思議な感覚なのだけど」
雄也先輩は腕も動かさず、視線だけで右手を見た。
どうやら、そこが一番、痛むらしい。
「ありがとうございます。雄也先輩のおかげで、わたしはこうして生きています」
まずは、一番大事なお礼を言う。
彼のおかげで、多少の痛みはあるけれど、わたしはこうして生きているのだ。
「とりあえず動けるようになったみたいで安心したよ。布団ごと九十九に抱えられている姿を見たときは驚いたけれど」
雄也先輩はそう苦笑する。
確かに、あの姿は巨大な饅頭みたいだったから、何の前情報もなく目撃することになった人は驚いたことだろう。
「まあ、まだまだ傷だらけなのですけれどね」
そう言いながら、袖を捲り上げると、自分で言うのもなんだが、痛々しく無数の紅い傷が現れる。
「え……?」
雄也先輩はどこか驚いた顔を見せる。
「自分では、見えないのですけど、背中とかも結構、凄いみたいです」
朝、部屋についている浴室を利用した時の痛みはまた激しかった。
全身に消毒薬を浴びたように沁みて、声も出なかったのだ。
夜の例もあるから、叫び声を出してしまうと、九十九が飛んできたかもしれないのだけど。
それに、巻かれていた薬草付きの包帯を取る時にバリッとかベリッとか変な音と感覚はしたし、ちょっと痛むな~と自覚がなかったわけではない。
ただ……、この国の、それも聖堂内で使用している水は聖水とも呼ばれていて、穢れを祓う効果もあるとかいうのをすっかり忘れていただけのことだ。
「背中か……。確認しづらい位置だね」
「わたしも分かるのは見える位置だけなのです。でも、時間が経てば、治らない傷じゃないらしいので、あまり気にしてはいません」
本当のところ、すっごく痛いし、自分の目で確認できないような見えない場所というのは逆に気になる要素が豊富なわけだけど、今の雄也先輩にそんなことは言えない。
彼は、痛みの場所が全く見えないのだから。
「いつもの栞ちゃんと違うこの香りは……薬草ということで良いのかな?」
わたしの香り……。
少なくともいつもは、こんな独特の香草臭はしないと思うけど……、日頃の匂いを覚えられているということなのかな?
それって、なんか、恥ずかしくなるのはわたしだけ?
「やっぱり匂い、きついですか?」
独特の香りがしているのは分かる。
「いや? 香を焚き染めた部屋にいたのかなとは思ったけど、不快な感じではないよ」
雄也先輩はそう言ってくれるけど、いつまでも嗅ぎたい種類の匂いでもないことは分かっている。
香草というより、漢方薬のようなイメージなのだ。
「本当に傷は残らないんだね?」
雄也先輩が確認する。
「はい。大神官さまがわたしの傷と身体の状態を確認してくださいました。皮膚の再生速度は鈍化しているけれど、すべての傷において治癒の兆候が見られるとの事で、跡すら残らないだろうとのことです」
恭哉兄ちゃんの定期診察が復活した気分になる。
いや、検診時は左腕だけだけど、今回はそれ以外の部分もあった。
背中とまではまだ良いけど、位置的にはかなり恥ずかしい所もあるのだ。
でも……、医療行為みたいなものだから、そこを気にしたら駄目だよね。
それに、長耳族にいきなり治療行為として全身丸裸にされたことを思えば、隠させてもらえただけ、かなりマシだと思う。
魔界人は、地球人と違って皮膚の再生を含め、身体に傷が残るということがあまりないらしい。
それだけ自己治癒能力というものが特化しているそうだ。
それに普段から「魔気の守り」という防護膜があるので、致命傷を負うことも少ない。
但し、魔法によるものは魔気同様、同じ魔力の塊であるために一般的な傷よりは治りにくい場合もあるそうだ。
さらに、今回のように魔法を通さないものによる物理的な攻撃も、「魔気の護り」を簡単に通過してしまうので、体内魔気による過信は良くないとも説明された。
世の中、やはり万能なものはないって事なのだろう。
「そうか……。でも、治るまで安心は出来ないってことだね」
雄也先輩は他人事のようにそう言う。
「それは雄也先輩もですよ?」
「俺も?」
どうやら、分からないらしい。
「わたしを護ってくれたのは言葉で言い表せないぐらい感謝しています。だけど……、その結果、雄也先輩がいなくなってしまったら、わたしはどうすれば良いのですか?」
今回のわたしの行動は、自分でも無謀だったと思った。
だけど、護衛であっても、その無謀に付き合う必要はないのだ。
だから、あの時……、真央先輩を託すときに強制手段をとってでも、彼を逃がそうと思ったのに。
「栞ちゃんは……、命を懸けられるのは重い?」
優し気に尋ねる雄也先輩のその問いかけに対して、わたしは思わず首を大きく縦に振ったのだった。
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