苦痛に耐えて
「雄也先輩はどれくらいの時間なら会話に支障はないの?」
『今日より短い方が好ましい。今日は少し無理させたようだ』
わたしの言葉に、リヒトが返答してくれる。
「脳の意識が原因の痛みなんだから、多少は、身体の痛みから気を逸らした方が良いんじゃねえか?」
九十九はどこか面倒くさそうにそう言った。
『ユーヤは常に痛みを意識しながら会話をしている。普通の会話程度では、気は逸れないだろうな』
「器用なんだか、不器用なんだか……。我が兄ながら、よく分からんな」
痛みを紛らわせるような会話をする……。
それが簡単な話ではないことは、わたしにだって解る。
現に今、それを体感しているわけだし……。
『借り物の知識となるが、人間の脳の容量や情報の処理能力というのは個人差があるらしい。書物などに集中している人間に対し、横から問いかけても全く反応すらしない人間もいれば、すぐに問いかけに反応し、答えを返せる人間もいる』
集中力の違い?
いや、趣味に没頭するとかそんな感じ?
『シオリの場合は、人との会話に集中していれば、ある程度、痛みは和らぐようだが、ユーヤの場合、痛みを考えながらの会話。日常会話程度ならある程度の返答を常に用意しているようだからな』
「嫌な兄貴だな」
『ある程度、会話慣れをしているということだ』
なるほど……。
日常会話の流れまで予測をしてしまう人なのか。
「でも、リヒト? それって……、雄也先輩の意表を突く会話とか、熟考が必要となる質問なら多少の気は逸れるってこと?」
『そのようだな。実際、お前たちとの会話中に、ユーヤが身体の痛みから気が逸れた瞬間は何度かあった』
「それでも、瞬間……なのか」
それは、短すぎるため、1、2分とかの時間ではないってことだと思う。
そうなると、秒単位ってことか。
「それでも……、人との会話は悪くないってことよね」
「……お前、何をする気だ?」
九十九が何か警戒したような表情になっている。
『先ほどまでの会話の流れから、今のシオリの考えをお前が問うまでもなく、俺が心を読むまでもないだろう? シオリなりに考えて決めたことだから、俺は反対しないが?』
「オレが言いたいのはそう言うことじゃねえ! こいつだって……、まだ怪我人、外傷だけなら兄貴以上だ。そんな状態でふらふら歩かせられるか!」
九十九はわたしのことを心配してくれているのは分かる。
でも……。
「先輩がこうなったのは、わたしのせいだよ? それなら、わたしが雄也先輩の看病……は無理でも、出来る限りのことをするべきじゃない?」
「兄貴は望んじゃいねえ。オレたちがお前を護るのは当然のことで、お前がそのことで気にする必要なんかねえんだよ」
九十九がそう言うが……。
「わたしは気にする」
「お前は、もっと別のことを気にしろ!!」
『確か……水に油を注ぐ……というのか? こういうのは……』
おおっ?!
リヒトから諺が出た!?
でも、微妙に何かが違う。
「そんな勿体無いことするな! 水も油も貴重品だ!!」
九十九がそう突っ込むが……、それもどこか違うと思うのはわたしだけだろうか?
「多分、火に油を注ぐ……かな?」
確かに「水と油」って言葉もあるけどね。
「つまり、何か? オレが反対すればするほど、こいつは考えを曲げないと?」
『そう言うことだな。シオリが一度決めたら、譲らないのは承知だろ?』
あれ?
わたしって、そんな頑固者だっけ?
一応、自分が間違っていると思うなら、正すつもりではあるのだけど。
『シオリの場合、物事はやってみなければわからない。何もせずにじっとしているのは性に合わない。やらずに後悔するよりやって後悔しよう……という考えの持ち主だからな』
リヒトは溜息を吐きながら、わたしを見る。
『彼女は、よほど強い反対理由や、曲げられない事実を突きつけるか、感情的に言葉をぶつけるよりはさり気なく軌道修正するか、互いの妥協点を見つけるしかない』
その意見には確かに思い当たるところはあるけど、結構、ひどいことを言われている気がする。
「間違いなく、兄貴の分野じゃねえか」
『まあ、ユーヤの考えだからな』
ほほう?
雄也先輩はそう言う目でわたしを見ているのですね?
「まあ、九十九が怒る理由も分かるよ。どう見たって、今のわたしの身体、普通じゃないからね。だけど、それでも今は、わたし自身が雄也先輩のことが気になるんだよ」
あんなに弱々しく見える雄也先輩は、恐らく、初めてだったから。
『シオリは、ユーヤに同情しているのか?』
「いやいや? どちらかというと、責任……かな。わたしの勝手で怪我させちゃって……、本当なら、九十九にも雄也先輩にもいくら謝っても足りないくらいなのに」
「……だから、それは……」
『考え方の違いだな。いくら話し合おうとしたところで、話し合う机が違う以上、意見は届きにくい』
九十九の言葉をリヒトが制止する。
「どうすれば良い?」
『シオリが周りの言葉通り自分の身体を第一に考え諦めるか、ツクモが妥協点を持ち出すか』
周りの考え……。
ええ、先ほどからしっかり頭を過ぎってますとも。
大神官である恭哉兄ちゃんのお言葉とか、雄也先輩の心配そうな顔とか、先ほどの九十九やリヒトとの会話とか。
「はぁ~~~~~」
九十九が深い溜息を吐く。
「兄貴のとこまでどうやって行く気だ?」
お?
「そんな身体でよたよたと歩いてると、神官たちの邪魔になるだろ? ここは一応、大聖堂だ。しかも、兄貴の部屋までは結構あるぞ」
なんでも、雄也先輩は一刻の猶予もなかったために、聖運門のすぐ傍にあった部屋を、緊急に空けたらしい。
大聖堂の一番奥まったところで、普段ならば儀式の控えの間として使われているとか。
そして、今、わたしのいる部屋は大聖堂の最も人の来ないところ。
一番静かで休養しやすいところを大神官自らが手配したらしい。
簡単に出歩けないようにという意図もあるかもしれないけれど。
「しかも、お前は天才的な方向感覚の持ち主だ。一人で辿り着けると思っているか?」
ううっ。
言い返したいけれど、言い返せない。
わたしに対して、九十九が珍しく理詰めで来た~。
『俺が案内しても良いが、シオリに何かあったとき、俺では難しいからな』
「それでも、お前は兄貴のとこに行く気か?」
九十九の言葉にわたしは考え込む。
どうすれば、この状況を打破できる?
『ユーヤと同じ部屋にするという手もあるが?』
「「は? 」」
リヒトの突拍子もない提案に九十九とわたしの目が点になる。
『シオリはどうしてもユーヤと話がしたい。だが、移動に不安がある。……というのなら、これが一番の妥協点ではないか?』
「ば、ば、馬鹿言ってんじゃねえ!! 兄貴と二人きりになったら……」
『今のユーヤなら何も出来まい? それに、シオリは守護の対象者だ。例え、健康体であっても害は与えるはずがない。それともあの男は自ら首を絞めるような阿呆に見えるか?』
「高田も何か言え!」
「何かって?」
これは、リヒトの助け舟だ。
ありがたく、乗っかろう。
「ああ、もう!! オレが連れて行けば良いんだろう!? くっそ~~~~~~~~~~~~~!! ミニ兄貴め!!」
褒めているのか、貶しているのか良く分からない悪態を吐く九十九。
でも、その気持ちはわからないでもない。
『……だそうだ』
リヒトが笑みを浮かべて、わたしを向く。
『ツクモがユーヤの元へ案内してくれると言っている』
「え? どういうこと?」
『護衛の仕事を私情なく全うするとのことだ』
「言っておくけど、オレは反対なんだからな」
「そっか……」
九十九の心配は素直に嬉しい。
リヒトの心遣いも嬉しい。
わたしは周りに恵まれている。
それは、自覚している。
でも……、あの人はどうだったのだろう?
とんでもないことをしでかして、さらに無関係の他人までも巻き込んで、たった一人で死んでしまったあの人は。
「……どうした? どこか痛むのか?」
不意に変わったわたしの変化に気付いたのか、九十九が覗き込む。
雄也先輩と似ているけど、全然、違う顔。
似ているのに似てないと言うのは、お互いが持つ雰囲気のせいなのかな?
それとも……、兄弟って言うのは皆こんな感じなの?
「ちょっと……、痛いかな」
そのわたしの言葉に、九十九の顔が少し曇る。
ああ、そうか。
九十九は表情が出やすいのだ。
特にその大きな黒い瞳が。
他人に嘘や誤魔化しを許さず、自分も誤魔化さない。
そして、雄也先輩はいつも笑っているけど……、そこまで分かりやすい表情の変化は見られない。
そこが、この兄弟の最大の違いだと思う。
……ということは、確かにお世話をしてくれる神官たちも雄也先輩の状態など読み取れるはずもないということだ。
わたしたちには幸い、心を読めるリヒトがいるけど、リヒトだって、他人の心などそんなに読みたくはないはずだ。
ましてや、「心を読めるから、制御石を外したいくらい」と言っていたぐらいだ。
それだけ、雄也先輩の心を読むのが苦痛になるってことだろう。
「とりあえずは、無理するな。兄貴のところに行くなら別に急ぐ必要もないだろう?」
「うん……」
九十九の言葉にわたしは頷いた。
確かに急がないといけない理由はないのだ。
生きているなら、いつでも会えるよね?
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