大神官からのお説教
「ウィルクス王子殿下は魔法を使われたのだと思います」
恭哉兄ちゃんはそう言った。
「この国の結界は他者への害意に反応するものであり、自傷行為にまでは責任を持たないようですから」
ああ、なるほど。
攻撃する意思、悪意が無ければ反応しない……とだけ思っていたけれど、自分に対しては、除かれるのか……。
「神官たちにとっては、神によって作られたと言われる人間の肉体を、自ら傷つける行いは考えもつかないことですから」
人間界でもそんな思考を刷り込む宗教は珍しくない。
人間の血肉は神によって造られているため、人間の意思で自然に反するようなことを禁止するのだ。
自殺は罪深いとされる宗教や、避妊や堕胎を許さない宗教、他者からの輸血を拒む宗教すらあると聞いたことがある。
でも、あらゆる事態を想定していない辺り、この国の結界は強力だけど、ザルとしか言いようもないと思う。
いや、どの国も自殺までは想定しないか。
まあ、そんな凄惨な事件もあり、大聖堂だけではなく、ストレリチア城内も大混乱に陥ったらしい。
全く関係がなかったのに、巻き込んでしまって……、本当に申し訳ない。
いや、実を言うと、わたしも巻き込まれた身だけど、それでも、この国まで巻き込むことになった原因は、間違いなくわたしにある。
もしかしなくても、カルセオラリア国内だけですんだ問題を拡大させてしまったのではないだろうか?
でも、あの時は……、それ以外、考え付かなかったのだから、仕方ないと言わせてください。
そして、わたしを巻き込んだ人に、これらすべての責任を負わせたいところだが……、既に故人となってしまった。
これって、どう収拾を付ければ良いの!?
同じように巻き込まれた雄也先輩は、大聖堂へ来てくれた真央先輩の魔法によって、一命を取り留めることはできたらしい。
だが、恭哉兄ちゃんの話では、瀕死の状態にあり、いつ、彼の魂が、聖霊界へ向かってもおかしくはない状況だったという。
そんな話を大神官が言うと、説得力がありすぎて困る。
だけど、一つ疑問が浮かぶ。
その、雄也先輩の命を救ってくれた真央先輩は、どちらかというと魔法は苦手だと本人自身が言っていた覚えがあった。
確かに、治癒や修復は使えないことはないと言っていたけど、瀕死状態……大神官の目から見ても、明らかに死の淵にいたような人間を、何故、引き戻すことができたのだろうか?
いや、でも、彼女のおかげで彼が助かったのだから、それは本当に些細な問題なのだろうけど、巻き込まれた人間としては、その辺りも気になってしまう。
少し前に、八つ当たりみたいなことも言われているから、余計にそう思ってしまうのかもしれないけれど。
「そして、先ほど、ミオルカ王女殿下と、お連れの方が一人、大聖堂へ来られました」
水尾先輩と一緒に来るなら、リヒト……かな?
メルリクアン王女殿下なら、恭哉兄ちゃんも面識はあるっぽいから。
リヒトをあの森から連れてきて、まだそんなに時間は経っていないのに、短期間でこんなことに巻き込んでしまって、彼にも悪いことをしたと思う。
彼の中で、あの森とは別方向のトラウマができあがっていないことを祈ろう。
森の中では、天井が崩れて、大きな欠片が上から降ってくるようなことはなかっただろうからね。
「そのお連れの方から伺ったのですが……」
む?
なんだろう?
少しばかり、風向きが変わった気がする。
空調が効きすぎているような、そんな寒気が……?
「栞さん、今回はかなり無茶をされたようですね」
大神官……、いや、恭哉兄ちゃんが微かに笑った気がした。
でも、その表情にいつもの優しさは欠片も感じられない。
もしかしなくても……、恭哉兄ちゃんはかなり、怒っている?
「地下で、城の崩壊に巻き込まれたことは仕方ないと聞きました。しかし、その後、さらに最深部へ、供も連れずに単身、向かったと言う話は本当でしょうか?」
絶対零度の冷ややかな微笑み。
話には聞いたことがあったけれど、まさか、それが自分に向けられる日が来るとは思ってもみなかった。
それだけ、恭哉兄ちゃんが本気で怒っているのだ。
わたしが……、誰の目にも無謀なことをしたから。
「貴女を発見した時、私がどれだけの思いをしたのか分かりますか?」
その声は厳しさを含んでいた。
「そして、その報告を受けた姫や王子たちも……」
この国にいる友人たちの顔が次々に思い浮かんだ。
心配していないはずがない。
ワカに至っては恐らく怒り狂っていることだろう。
でも、謝りたいのに、今のわたしの口からは何一つ、言葉が出てこなかった。
さらに、涙だけが瞳に溜まって、目尻からあふれ出しそうになっている。
筋肉は動かないのに、涙腺だけは、しっかりと仕事するなんて……。
だけど……ここで泣くのは卑怯だ。
わたしは、できるだけ我慢をする。
「他者の身を救いたいという貴女の御心は貴くご立派だとは思います。ですが、自身を軽んじて、無謀な行いに身を投じることだけはお止めください」
わたしはそんなに立派な人間ではない。
自分にできないことが多いことは自覚しているし、傷つきたくも、死にたいわけでもないのだ。
だけど、あの時……。
真央先輩の悲痛な叫びが、ウィルクス王子の驚愕的な行動が……、わたしの心と身体を動かしたのだ。
まるで、何かに導かれたかのように……。
あの時、ウィルクス王子を見捨てるという選択肢はなかった。
あの状況を引き起こした責任を取らせるとか、あのまま逃がしたくないとかそんなのは本当に建前の言葉だ。
言葉にすれば、簡単な話。
わたしは、ただ、彼に生きてほしかったのだ。
「貴女の御心はよく分かりました」
恭哉兄ちゃんは冷たい声のまま続ける。
「ですが、それは貴女を守る人を犠牲にしてでも、必要なことでしたか?」
そのことが、誰のことを言っているか分からないわけではない。
そんなことぐらい、わたしにもよく分かる。
そして……、犠牲にしたいとか、そんなことがあるはずはない。
だから、巻き込むまいと、強制的な手段をちらつかせてでも、その場から離れるように言ったのだ。
それでも、彼は戻ってきてしまった。
わたしの我が儘に付き合えば、その身がどうなるかを知っていながら。
落ち着いた今なら、その理由もよく分かる。
彼ら兄弟は、わたしの護衛だ。
それも王命によるものである。
主人を見捨てて安全な所に逃げるなどという選択肢があるはずもない。
九十九は、時折、釘を刺すかのようにそう言っていた。
自分たちの命を背負っている自覚をしてくれ……と。
だけど……、まさか、雄也先輩まで同じような無茶をする人だなんて、考えたこともなかったのだ。
彼はもっと、落ち着いて状況をよく見た上で、無茶で無益な行動は絶対にしないと思っていたから。
「同じ状況なら、私も同じことをすると思いますよ」
恭哉兄ちゃんはそんなことを言う。
「それだけ大事に思われているのです。自覚するようお願い致します。貴女は、既に一人の身ではないのですから」
まるで、妊婦さんに対するようなことを言われてしまった。
貴女一人の身体ではない……と。
それって、わたしが「聖女の卵」になっちゃったから……なのかな?
でも……少し前ならともかく、「聖女の卵」は、今、この国にもう一人いる。
グラナディーン王子殿下の婚約者で、楓夜兄ちゃんと同じように精霊を使う人。
確実に、この国に残る上、能力的にもわたし以上の存在があるのだから……、別に、わたしがどうなったって構わない気もする。
「栞さん?」
ん?
なんだろう。
さらに周囲の気温が下がった気がする。
「貴女は、九十九さんがいれば、雄也さんはいらないと言える人ですか?」
はい!?
なんかとんでもないことを言われた気がする。
いやいやいや? いやいやいや!!
そんなことはない!
九十九は九十九だし、雄也先輩は雄也先輩だ。
どちらも代わりになんて……。
ああ、はい。
そう言うことですね?
理解しました。
二人の代わりなんていません。
どちらも大事です。
「貴女を『聖女の卵』にしてしまったのは、私の不手際によるものです。あの時の『神降ろし』も、高位の神官にしか見えない程度の存在として呼び出すと思っていましたから」
それは、恭哉兄ちゃん自身に何度も謝られたから知っている。
自分の見立てが甘くて申し訳なかったと。
……謝られすぎて、あのワカが妬くぐらいに。
「ああ、でも……」
恭哉兄ちゃんは少し考えて……。
「『聖女』として、この国に縛り付けたなら、貴女も少しは大人しくしてくださるでしょうか?」
そう微笑みながら、わたしの顔を覗き込んだ。
―――― 鼻血が出るかと思った。
その妖艶な青い瞳は、どこか危険を孕んでいる。
大神官として、神秘的な魅力を持っている恭哉兄ちゃんだけど、これはなんだろう?
異性を引き付けるフェロモン大放出! ……な感じ。
いや、今の顔は男性でもかなり危ないかも?
ワカはよく、この人のこんな表情を耐え抜くなあ……。
「これは、いけませんね」
どこか遠いところで、恭哉兄ちゃんの独り言が聞こえた気がする。
いけない?
何が?
「鼻血」とか、乙女としてよろしくない発想?
「貴女は猛省してください」
ごめんなさい。
わたし自身はちゃんと反省しているつもりなのだけど、恭哉兄ちゃんに、「反省」ではなく、「猛省」……とまで言われてしまった。
つまり、「反省」では、全然、足りないらしい。
それにしても、恭哉兄ちゃんって間違いなく、わたしの心、読んでいるよね?
それも、会話として成り立つぐらい、しっかりと。
それとも、大神官が相手の表情を読むってそこまで高レベル能力なのだろうか?
……単純に、自分が顔に出やすいだけかもしれないのだけどね。
ここまでお読みいただきありがとうございました




