自覚がなくても
「ここが眠れるお姫様の部屋なり」
そう言って、若宮が扉を軽く叩く。
中からは、何の反応もなかった。
「この様子だとまだ、寝てるっぽいな~。それが、高田らしいといえば高田らしい気もするから、なお、腹が立つんだけど」
扉を少しだけ開け、中の様子を伺った若宮はそう言った。
「ここからは、お二人でどうぞ。私は、別の用がありますので……」
そう大神官に促されて、オレと若宮だけが中に入る。
「あ~、眠っているからといって悪戯しちゃ駄目よ、笹さん」
若宮は声を潜めながらそう言った。
「顔に落書きは許容か?」
「ん~? 面白ければおっけ~」
そんな声を扉が閉まる直前まで聞いていたせいか、戸を閉めたときの静寂が、居心地悪さを強調する。
流石に、部屋に入れば、若宮も先ほどのように軽口を叩かなくなった。
薄暗い部屋を進むと、盛り上がった寝台に、彼女が眠っている。
感じられる彼女の魔気は、オレが思っていた以上に落ち着いていた。
だが、ここから見る限り、その顔は血の気がない。
……というか、あまり生気が感じられなかった。
ある意味、ぼろぼろだった兄貴の方が、生きた人間という気がする。
それほど、今の彼女は人形のように見えた。
でも、生きている。
間違いなく。
以前、この大聖堂で前触れもなく仮死状態になった時とは全然違う。
そのためか、あの時に比べれば、かなりオレの心は落ち着いていると思えた。
「生きてはいる……と言ったところよね」
若宮が彼女の顔を覗きながら、そう呟く。
「それだけ、いろいろな機能停止をさせているんだろうな」
魔法を封印する結界と彼女に施された術の気配。それが余計に普段の彼女らしさから遠ざけている気がする。
「当初の予定通り、顔に、落書きしちゃう? 筆記具なら準備するよ?」
若宮がそんなことを言うが……。
「生憎、そんな気分じゃねえよ」
オレはそう答えるしかなかった。
間違いなくオレが知っている少女であるはずなのに、その気配は、まるで見知らぬ他人を見ている気分だった。
魔気の印象は間違いなく彼女なのに、そんな気が全然しない。
意識がないせいか、魔気が落ち着いているというよりひどく弱々しく感じられた。
「どう? 笹さん? 愛しい彼女の寝姿は?」
「いつもみたいに寝言の一つや寝返りまでもいかなくても、もう少し生命活動しているってことが分かれば安心できるんだが……」
寝息もほとんど聞こえないほど小さく、弱弱しい。
「重症患者の前じゃなければ思いっきり! 全力で! 突っ込みたくなるような台詞をありがとう」
「は? どういうことだ?」
今のオレの台詞のどこに、そんな突っ込みたくなるような隙があったというのだろうか?
オレは首を捻るしかなかった。
今のところ、高田が目を覚ます様子はない。
封印を解除した時も、暫く、彼女は眠った状態が何日も続いた覚えがある。
そう言えば、あの時使わせてもらったのも……確か、この部屋だった。
「笹さん? やっぱり、高田に会いにこなければ、良かったって思っている?」
若宮はオレの顔を横目で見ながらそんなことを聞いてきた。
「そうだな。これはオレの知る高田じゃない」
オレはそう素直に答える。
「ふむ……」
少し考えるような仕草をして、若宮はオレの近くに来た。
「……そんな発言は、高田の顔をしっかりと見据えてから言って欲しいものですね、笹さん」
そう言いながら、若宮はオレの頭を押さえつけて、無理やり、眠っている彼女に顔を近づけさせる。
微かに彼女の唇から洩れる呼吸の音が聞こえてしまうほど近くに。
「おい!?」
触れていないのが不思議な絶妙な距離に置かれ、オレは思わず彼女に反論しようとする。
「直視したくない気持ちも理由も理解できないわけではないけど、明後日の方向を見ながらの判断で、何ができるっての!?」
若宮は苛立った声でそう言った。
「笹さんは高田の護衛でしょう? だから、その対象である彼女から絶対に目を逸らすな。ちゃんと見てあげて!」
若宮の言いたいことはよく分かっていた。
「分かったから、頭を離せ」
本当に分かっているのだ。
彼女のこんな状態を見たくなくて、オレがどこか別の場所へ思考を飛ばしていることも。
そして、この状況はオレの選択の果てにあったものだということも分かっている。
崩れ落ちる城の中で、オレはその場にいなかった彼女より、すぐ近くにいた傷ついた人間たちを助ける方を選んでしまった。
誰よりも守らなければいけない人間を、見捨てたのだ。
そのことに後悔がないはずもない。
だが……、それでも、あの時……、オレが傷だらけの人間たちを捨て置くこともできなかった。その事実も曲げられないのだ。
それでも……、若宮が言うように目を逸らすわけにはいかないのは確かではある。
オレは高田の護衛なのだから。
オレは改めて、眠っている高田を見た。
いつものように呑気で平和な印象はどこにもない。
伏せた睫毛がやたら長いとか、少しだけ唇が突き出ているとか特徴は確かに同じなのに、不思議とどうしても同一人物だという気がしないのは何故だろう?
オレが知っているいつもの彼女は、もう少し幼さが強調されていて、こんなに ―― ではなかったはずだ……。
もっと彼女は…………。
ゴン!
「はい、そこまで」
「へ? は? あ?」
若宮に、額を弾かれるように殴られて、ようやく自分のしでかしたことに気付く。
「お、オレ? なん……で?」
「眠り姫の呪いとやらを解くためでしょう? でも、まさか、私の目の前でしちゃうほど笹さんが我慢できない人だったとは思わなかったけど……」
「い、いや……、今のは……」
思わず、自分の口を押さえる。
「あらあら? 自覚がないのはタチが悪いというヤツかしら? 困ったものね、笹さん」
そうだ。
今の行動は本当に意識していなかった。
だが……、今もこの唇に残る感触は……?
「まあ、それぐらいの接触なら、どの国でも挨拶みたいなものだけど。ストレリチアだって、感謝の意思を示すのに髪にキスするしね」
若宮は高田の布団をかけなおしながら言葉を続ける。
「でも、ほっぺとはいっても、眠っている人間にやっちゃ、ダメでしょう?」
「そうだな……」
オレは、無意識に彼女の頬に……。
しかも、よりにもよって、この女の目の前で!?
「自覚したなら良いわ。でも、今後は気を付けて」
その言葉の裏に隠された若宮の酷く冷たい声が重なって聞こえる気がした。
『自覚をしないと、貴方が、彼女を傷つけるから』……と。
「分かってるよ」
そんなことは若宮に言われなくても。
少し前にあの紅い髪の男が本当に言いたかったことも。
鈍いオレだって分かっているのだ。
……ったく、どいつもこいつも人の気も知らねえで、勝手なことばかり言いやがる!
「笹さん?」
薄暗い中、若宮の緑色に光る瞳が目に入った。
それは、強く、真っすぐでぶれない瞳。
その直後――――。
どすどすどす!
自分を目掛けて、無数の枝が伸びてくる。
「なっ!?」
驚いたのは、オレではなく、それを放った若宮の方だった。
その枝は彼女を中心に、守るように広がっている。
「ご、ごめん! 私の……守り? これって……暴発……かな? したと思う?」
若宮の言葉に疑問符が付く。
彼女自身、動揺しているのか、珍しくどこか支離滅裂な言葉だった。
「いや、正常だ」
オレはそう答えるしかない。
恐らく、オレの中に一瞬だけ浮かんだ僅かな害意に反応したのだと思う。
いや、これは害意……とは、違う種類のものなのか。
この国や、この部屋の結界に反応はなかったのだから。
「…………笹さん、大丈夫?」
若宮がどこか不安げな眼差しで、オレにそう尋ねる。
「まだオレは大丈夫だよ」
そう答えたオレに対して、若宮が目を見開く。
「……笹さん」
彼女から出たとは思えないような気弱な声に、オレは黙って頷くしかなかった。
そろそろオレも自覚しなければならない。
平和な時間は長く続けることなどできないのだ。
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