我慢とは違うもの
「ところで……笹さん?」
若宮が亜麻色の髪をかき上げながら、オレに声をかける。
「人を一人ぶっ飛ばしておいて、平然と話を進めるな」
オレは自分に治癒魔法をかけながらそう言った。
この国の結界は本当におかしい。
防護魔法なら人への攻撃手段として使用しても作動しないのだ。
だから……「魔気の護り」を乱れ撃ちするなんて、高田も阿呆なことを思いついてしまうのだが。
「自分で治癒できるって、本当に便利で羨ましいわ」
王女殿下は笑顔でオレに声をかける。
問題はそこでもないのだが、これ以上、この女のペースに引っ張られるのも困る。
「分かったから、話を続けてくれ」
「そうさせてもらいますか。わたくし、こう見えても今、多忙なので」
ならば、オレで遊ぶのは止めていただきたいです、王女殿下。
そんな言葉を飲み込んだ。
「ところで笹さん? なんで高田のところにすっ飛んで行かないの? いつもの笹さんならすごい勢いで駆けつけると思うんだけど?」
「オレが行ったところで眠っているあの女が目覚めるわけでもないだろうが」
体力回復のための眠りなら、邪魔になるぐらいだと思う。
「そう? 古来より眠り姫の目覚めは王子様の口付けって相場が決まっているのに」
どんな相場だ?
「オレは王子じゃねえし、アイツが姫って柄かよ」
「あら? 『眠り姫』というフレーズは限りなく高田に合っている気がするけど?」
人間界での彼女の親友は、どこか含みのある笑みでそう言った。
「……そこは否定しないが」
アイツは時折、とんでもないタイミングで眠りに落ちるからな。
あの左手首以外も何かに呪われてるのではないかと思うぐらいに。
「それに安否の確認ぐらいは護衛として大切なことなんじゃないの?」
「大神官猊下が命に別状がないと判断されたなら大丈夫だろ?」
この魔界中で一番、信頼できるといっても過言ではない方だ。
先ほどの件から見ても、嘘や芝居はあまり得意ではないようだし。
だが、目の前のお姫さまは納得がいかないようだ。
「あっま――――い!! 口にした瞬間頭痛がするぐらいとろっとろにとろけたスイーツを食べたぐらい甘すぎるわ、笹さん!!」
「そんなの食うなよ」
と、オレ。
「頭痛がするぐらいの甘さが想像できない」
と、トルクスタン王子。
「そのようなものを口にされるのは毒ですよ」
と、大神官。
銘々の反応を見比べて、若宮はオレに顔を近づける。
「ベオグラが笹さんに気を使って嘘を吐く可能性はないと思う?」
「ないな」
そんなの考えるまでもない。
「何故?」
それでも、若宮は不敵な笑みを浮かべて問い返す。
「すぐにバレるような嘘を吐くほど浅い御方か?」
お前の大事な人は……と続けようとしたが、止めた。
後が怖い。
「突き通せば真!!」
ぐっと拳を握る。
「突き通せんだろ」
「可愛くないなぁ」
「男に可愛げなんざいらん!!」
オレがそう言い切ると、若宮は腕組みをして、考え込んだ。
まったくこの王女殿下は、人をからかって何が楽しいんだか。
「じゃあ、これは?」
どうやら、新たなネタが浮かんだようだ。
「ここで暢気に茶ぁしている間に眠っている高田の身に危険があああああ!」
「それも……ありえないだろ?」
これがこの国の王女殿下っていうんだから、呆れてしまう。
自国の、それも聖堂内に危険があるなんて、普通ならば、本当にあっても言わないだろうに。
「過去に青羽の神官という存在がありまして……」
何故かオレに対して敬語の王女殿下。
「……アレは例外だ」
「事例があるということですよ?」
「……基本的に大聖堂を出入りする神官は大丈夫だろ?」
確かに以前、高田に迫った高神官がいるが……、あれは大神官が不在の時だった。
大神官が常に目を光らせている大聖堂で、何かをやらかすような度胸がある神官はいないと思う。
「そうか?」
ところが、意外なところから返答がきた。
茶菓子をつまみながら、オレと若宮の会話を静観していたトルクスタン王子だ。
「以前、この国は発情期の男による女性への被害が高いと耳にしたことがあるんだが? なあ、大神官?」
すると、大神官も戸惑いがちに目を伏せた。
「自らを律することが出来ない見習神官が多いのは恥ずべきことですね……」
そんな衝撃の告白をぶちかました。
この国最高位の神官から言われると、この上なく、説得力がある。
「ほらほら、笹さん?」
亜麻色の髪の悪魔が勝利の笑みを携えた。
「~~~~。分かったよ! 行けば良いんだろ!!」
どうやら、どうしても行かなければいけないらしい。
これ以上、ここにいたら、もっと陰惨な責め苦を受ける可能性も否定できない。
「あははは。笹さんのそ~ゆ~所好きよ」
「ありがとよ!」
こんな風に言われても嬉しくないけどな。
「ところで……、さっきの話は、本当ですか?」
大神官が言う以上、まったくのでたらめではないだろうけど、少し前にこの国に滞在した身としては、あまり心中穏やかではいられない。
「但し、城外に限る!」
と、トルクスタン王子が力をこめて言った。
「未熟な方は聖堂入りも許されませんね」
と、微笑む大神官。
結果として、騙された気がしないでもない。
「まあ、あれだな。神官の道を目指したは良いが、精神修行が足りず、神官として認められる前に発情期で女性を襲ってしまうと。そんなヤツは初めから神官にはなる資質がなかったんだろうが」
「発情期は自覚症状のある異常。前もって兆候も出ますので、聖堂内でそのような前触れがあれば、それより上位の神官たちが警戒態勢に入ります」
それなら……大丈夫……か?
だが、少し、何かがひっかかった。
「それなら最高位の大神官が発情した場合はどう対処するんだ?」
トルクスタン王子の発言で、場の空気が変わった。
「私の場合は、兆候が現れた時点で自室に篭もり潔斎を致します。その間、神官……、特に神女を近づけない処置をしていますよ」
「へ?」
間の抜けた声を出したのはトルクスタン王子だった。
「大神官は、そこの王女殿下と婚約したと聞いていたのだが?」
「婚約してはいるんですけどね~。そういった関係には一切なってませんね~」
ややひねくれた言い方で若宮は返答した。
……いや、正直、まだだとは思わないでもなかったけど、実際口にされるとその……なあ?
「でも、発情期って辛くないか? 目の前に触れても問題のない女がいるってのに」
「私はこの方を大切にしたいだけですよ」
無遠慮なトルクスタン王子の言葉に臆面もなく真顔で返せるのは羨ましいような恥ずかしいような……。
「自信があるのだな」
トルクスタン王子が肩を竦める。
かつて、この大聖堂内で人知れず繰り広げられた騒動があった。
神官の命を捨てようとしてまで見せた大神官の心。
あれ以上の行動で想いを示すってのはちょっと難しいかもしれない。
「大切にされすぎて困りますわ」
でも、言葉の割にそんな嫌そうでもない。
諦めたのか、悟ったのかは謎だが。
「流石は大神官といったところか。自らにさして必要ではない苦行を課すなんて正気とは思えないが、それも、お前たちの言うところの神が与えた試練ってやつか?」
「そうですね」
「勿体無い話だな。俺なら我慢はしない」
「我慢とは少し違いますから」
そう言われてはトルクスタン王子も二の句が告げないようだった。
「話も纏まったところで……、じゃあ、笹さん。行こうか?」
と、若宮がオレを振り返る。
「そうだな」
あまり、気は進まないんだが……。
「そうか。じゃあ、行って来い。俺は少し休ませてもらう。いろいろありすぎて、流石に疲れたみたいだ」
そう言って、トルクスタン王子はオレに手を振った。
「じゃあ、案内を頼む」
「あいあいさ~」
こうして、オレは若宮と大神官に連れられて高田の眠る部屋へと向かうことになったのだった。
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