死なない限りは
部屋の前にたどり着くと、大神官が先に中へと向かった。
真央さんの言葉を受けて、兄貴を癒している神官たちに話をするためだ。
「じゃ、最終確認だね。本来ならできる限り当人に意思確認するところだけど、既に意識がなさそうなので、身内……、弟のキミに尋ねるよ?」
待っている間、真央さんがオレに向かって言った。
「今から私が使う魔法は、さっき説明したとおり。瀕死の状態からでも僅かでも生命力が残っている限り、完全に傷を治すことができる。それが明らかな致命傷であってもね。ただし、痛みは残り続ける」
「痛みが残る期間はどれくらいですか?」
まさか、一生ってことはないだろう。
「個人差だね。とりあえず、過去経験に基づく中での最長記録は約半年」
「半年でも……、死ぬよりかはマシだと思います」
死んだら、そこで終わってしまうのだから。
「生きているからこそ死んだ方がマシだと思うようなこともあるんだよ」
真央さんはそう言いきってしまうだけの何かがあったのだろう。
「それでも、オレは、兄貴に生きてほしい」
どんなに弟に対する仕打ちがひどくても、あんな鬼畜街道まっしぐらな男でも、オレにとってはたった一人の血が繋がっている人間……、それがあの兄貴なんだ。
「その後に、兄貴が死を選ぶなら、それは当人の意思だと思います」
「あのプライドが高い男が自ら死を選ぶなんて考えられないけどな」
オレもトルクスタン王子の言葉と同意見ではあった。
あの兄貴がどんな状況でも自分が苦しいからと簡単に死を選ぶとは思えない。
血反吐を吐きながらも、生きることを願うと信じている。
「つまり……、それは了承したと認識して良いのかな?」
「はい。お願いします」
オレは頭を下げる。
「でもね。九十九くん……」
マオさんがオレに何かを言おうとした時……。
「どうぞ、中へ」
部屋の中から、神官の一人が姿を現した。
「あ、はい!」
真央さんは素早く、部屋に入っていく。
そのまま、オレたちも続いた。
だから、彼女のその言葉の先を聞くことができなかった。
****
「じゃあ、暫く離れていて。できるだけ範囲は絞るけど、広範囲も可能な魔法だからね。近いと最悪、巻き込まれるよ。そうなったら私にも責任がとれないから、何があっても近づかないで」
……高田の魔法かよ。
オレが思ったのはそんな言葉だった。
尤も、あそこまで広範囲の魔法だとは思えない……とも。
彼女の風魔法はかなり広範囲に及ぶ。
基本は、攻撃型と治癒型の二種類。
本人は攻撃型ではなく防御型もあると言い張るが、何度食らっても、防御であるとは思えなかった。
先ほどまで治癒を施していたと思われる神官たちは壁の方に集められ、寝台に横たわっている人間を見つめていた。
兄貴だ。
部屋が薄暗いとはいえ、あちこちが傷だらけで、生きている人間とは思えないほど血の気がない顔をしているのが分かる。
その様が……、15年前近く前の光景と重なり、軽く眩暈を起こした。
「大丈夫か? ツクモ」
同じように兄貴を見た自分もかなり青い顔をしているというのに、トルクスタン王子はオレを気遣ってくれた。
本来なら、死んだと告げられた自分の兄の方が気になっているだろうに。
だが、オレは死に掛けの兄貴の状態を見てショックを受けたというより、兄貴がアノ人に似ていることの方が衝撃的だったんだと思う。
いや、似ているのが当たり前なんだが、改めて見ると……、本当に腹立つぐらい似てたんだなと気付く。
もうほとんど……、あの顔すら忘れていたはずなのに……。
15年近く前にオレは、同じように横たわっていた人間を見た。
熱病にかかり、死を待つだけの状況が数日間、続いていた。
そのことが酷く、辛くて苦しかったことを覚えている。
黒い髪が汗にまみれ、力強かった存在が……、少しずつ、衰えていった。
不幸にもアノ人は、並の人間よりも生命力が強かったのだろう。
なかなかすぐに楽になることができなかったのだ。
それでも……、オレも兄貴もその人を見つめるだけで、止めを刺してすぐ楽にしてやろうとは思えず、ただ見守るしかなかった。
ただ早く、楽になってくれ……と、子供心にそう願うしかなかった。
でも、あの時と今は違う。
今なら、もう少し手立てはあっただろう。
あの熱病が何であったかが今も分からない以上、根本から治すことができなくても、もう少しは癒せるはずだ。
少なくとも身体を癒すために、絞りの甘い布巾を顔に乗せて、無駄に体力を消耗させるような愚行はしていないだろう。
水浸しの布巾が幼子の手によって乗せられたのは額ではなく、顔。
それでも、アノ人は死ななかった。
まだあの時は笑いかけるような余裕もあった。
しかし……、細かく思い出せば、オレたちは兄弟で、さり気なく事故に見せかけて止めを刺す行為をしていたのかもしれない。
そんなことを考えていた時だった。
「うわ!?」
青く色濃い何かが兄貴を纏わりついていく。
それは、炎にも風にも蛇のような生き物のようにも見えるが、よく目を凝らしても、アレが何の形をしているのかが分からない。
そして、このまま、あの身体があの良く分からない何かに飲み込まれ、消えてしまうのではないかと思えてしまうほど、複雑な動きをしていた。
「くぅっ!!」
それを操っていると思われる真央さんはひどく苦しそうで、その顔は滝のように汗をかいている。
よく考えれば、先ほどまで水尾さんによる「昏倒魔法」の影響下にあったのだ。
起きてすぐに、棺桶に足を突っ込んでいる人間を引き戻すような魔法を使って大丈夫なのだろうか?
「マオ!!」
真央さんの忠告を忘れ、思わず近寄ろうとしたトルクスタン王子。
オレと同じことを考えてしまったのかもしれない。
「大丈夫! だから、こっち来んな!!」
そんな彼を、真央さんは鋭い目ときつい言葉で制止した。
そんな姿を見て、そこにいるのは間違いなく魔法国家の王女で……、あの水尾さんの双子の姉だとオレは今更ながら納得した。
魔法に対する意思の強さと、緊急時に出る口の悪さがそっくりだ。
青く深い色の炎は兄貴の全身を包み、揺れていた。
先ほどまで能面のように真っ白く、ある意味、落ち着いていた兄貴の額にも汗が滲み始め、その顔が苦痛に歪み始めたことが分かる。
表情と激しい魔気の乱れに、状態が悪化しているような気がしたが、顔にできていた傷が塞がっていく姿を見ると、確かに怪我の治療をしていることは間違いないらしい。
確かにオレの治癒魔法とは違う不思議な魔法は……、まるで時間を巻き戻しているかのように見えた。
しかし、あの魔法を「治癒魔法」……と言っても良いのだろうか?
どう見ても、自己治癒力を促進しているような感じではない。
それに、あれだけ生命力が燃え尽きそうな人間にそんな驚異的な治癒能力や回復能力が残っているはずがないのだ。
そうなると、あれは魔法国家独自の魔法ということだろうか?
水尾さんを見ていれば、その可能性も否定できない。
魔法国家の魔法に関する柔軟な発想力は、他国にはないものだ。
水尾さんの魔法を初めて見た時のことは今でもはっきりと思い出せる。
高田と共に七色の炎と水の龍を見た。
その衝撃は、自分の知識が足りないだけかと思っていた。
だが、今はジギタリスやストレリチア、カルセオラリアの人間が使う魔法を見た後だからはっきりと分かる。
魔法国家の発想は明らかにおかしい……と。
別属性の魔法を組み合わせる……は、まだ分かるのだ。
炎と風を組み合わせたり、光と地を組み合わせたりして、別種の魔法を作り出す……。
それはちょっとした発想があれば、可能だろう。
だが、水尾さんの魔法は……、水や炎で龍や鳥の形状を作り出したり、無色……つまり、透明の炎を地雷のように設置したりするのだ。
相手を怯ませるだけではなく、確実に仕留める方向性の魔法。
それが魔法国家の人間が普通に持っている知識だと言うのなら、どれだけ恐ろしい国が存在していたのだろうか。
そして、それだけの国が奇襲という奇策によって、消滅させられたというのは、この世界にとって、かなりの損失であり、ある意味、救われたのではないかとオレは思っている。
だから、真央さんが今、使っている魔法もそんな常識外れの魔法の一種なのだろう。
オレは改めて、世界の広さを思い知るのだった。
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