重々しく開かれる扉
どことなく暗い雰囲気の中。
この部屋には、今も意識を取り戻さない真央さんが寝台に寝かされ、トルクスタン王子はそんな彼女の方に身体を向けていた。
水尾さんの魔法は、術者から海を越えるほど離れたというのにまだ有効らしく、彼女が目覚める様子はない。
どれだけの魔法なんだ?
カルセオラリア城や城下でいろいろあった後、オレたちは城下外れにあった聖堂の「聖運門」と呼ばれる転移門を利用して、ストレリチア城内にある大聖堂へ移動した。
先に移動したトルクスタン王子は真央さんを抱え、待っていた神官に先導され、この部屋に通されたらしい。
後から移動したオレも同じ部屋に案内され、それから暫くして、大神官も戻ったと聞いている。
三回ほど、軽い音が響き、重々しく扉は開かれた。
「!?」
来訪者を見ると同時に頭を後ろから殴られたような衝撃があった気がして、オレは、思わず自分の後頭部に手をやる。
もちろん、実際に殴られたわけではないので、触れただけでは異状が分からない。
「どうした? ツクモ……」
そんなオレの不自然な動きが気になったのか、トルクスタン王子が声をかける。
「いや……、なんでもないです」
衝撃があったのは、扉が開いた直後だけで、今は本当になんともない。
開かれた扉の向こうには大神官が立っていた。
気のせいか、先ほどカルセオラリアで見た時と、彼の着ている服が変わっている気がする。
同じ白い服でも、その意匠が違うのだ。
「大変お待たせいたしました」
そう言って、彼は深々と頭を下げた。
「いや、仕方がない。それより……」
そう言いながら、トルクスタン王子は大神官の後方、扉の方へ目をやる。
「聖堂の方で、何かあったようだが?」
だからこそ、大神官はカルセオラリアからすぐに帰還要請されたとオレも思った。
だが……。
「いいえ。聖堂では何もありません」
大神官は表情の読めない顔で、きっぱりと否定する。
「ただ、城内で……」
大神官がその先を続けようとしたとき……。
「死んだのね」
いつの間にか目を覚まし、身体を起こしていた真央さんがそんなことを言った。
「は?」
「マオ!?」
―――― 死んだ? 誰が?
「はい」
大神官は真っ直ぐに、真央さんを見る。
「『ウィルクス=イアナ=カルセオラリア』王子殿下は、手にしていたカタナで、自らの首を刎ねるようにして亡くなりました」
「はい!?」
―――― あのウィルクス……王子が?
わざわざ手の込んだやり方で高田を拉致らせた当人が、あっさりと死んだ?
それも自ら首を撥ねる……、自殺だと?
「こちらの不手際です。お詫びのしようがありません」
そう言って、大神官は再度、深々と頭を下げた。
だが、この場合、大神官は悪くないと思う。
「兄……上……」
トルクスタン王子は青い顔で壁に身体を預けた。
だが、それと対照的に……。
「他の二人は?」
先ほどまで意識を失っていたはずの真央さんの方は、気丈にも大神官に問いかける。
「栞さんの方は、命に別状はなさそうですが、まだ意識が戻りません。用心のために魔法封じの結界を部屋に結び、五感機能の一部を麻痺させる魔法を施した状態で休ませています」
「五感機能の一時的な麻痺……。まあ、妥当なところか。あの子、見かけの割にかなりの無茶するから」
真央さんは深く溜息を吐いた。
「じゃあ、今、ここで瀕死なのは、やっぱり笹ヶ谷先輩しかいないってわけだね」
言葉を選ばずにはっきりと事実を告げながら、真央さんは立ち上がろうとして、ふらついた。
「マオ!」
慌てて、傍にいたトルクスタン王子が手を伸ばす。
「ありがと……、トルク……」
その彼を支えにして、彼女は大神官を見た。
「大神官さま。申し訳ありませんが、笹ヶ谷先輩……いや、ユーヤさんの所へご案内願います。あと、着いたら、周りの神官たちがやっていると思われる中途半端な措置を中断させてください。はっきり言って邪魔にしかなりません」
法力国家できっぱりと神官たちを否定してしまうのは、魔法国家の王女のサガか?
「ま、真央さん?」
兄貴が瀕死なことは、この国へ来る前から分かっていたことだ。
「彼を死なせるわけにはいかない。高田は約束を守ってくれた。だったら、私も相応のことをして返さなければ、立つ瀬がない」
「何か……、考えがあるのですね」
「勿論」
大神官の問いかけに自信を持って、答える彼女の姿は水尾さんと重なる。
城下ではかなり動揺していたようだが、落ち着けばやっぱり魔法国家の王女だけあるのだろう。
「九十九さんは、それでよろしいですか?」
「え? は? まあ、あんな兄貴でも、死なれると……、はい」
急に話を振られて、妙にしどろもどろな答え方になってしまった。
死なない限り、蘇生は可能だと……、以前、彼女が冗談っぽく口にしたことがある。
でも、もし、それが冗談やハッタリではなく事実だとしたら……?
そんな仄かに浮かぶ期待をよそに、部屋へ向かう途中、彼女はこんなことを口にした。
「勿論、先輩を死なせる気はないけど、結果として死んでしまったらごめんね。ウィルのように……」
「いや、それは……」
仕方のないことだと思う。
もし、そうなったとしても、真央さんのせいじゃなくて、兄貴の寿命だったんだろう。
多分、当人も同じように言う気がする。
「私の治癒魔法って……、人によっては、死んでいたほうがマシだったって、思うらしいから」
「へ?」
なんだそりゃ。
言っている意味が分からない。
「マオの魔法は特殊なんだ」
何か知っているらしく、横からトルクスタン王子が付け加える。
「特殊?」
「九十九も治癒魔法の使い手だから知っていると思うが、本来、治癒魔法は当人の自己治癒能力を促進や活性化させて身体の傷を癒すものだ」
それは、オレも良く知っている。
だから、どうしたって当人の生命力が低下した状態では、その治りも悪くなってしまうことも。
「だが、真央が使う魔法はどこかが違うらしい。身体は間違いなく治っているし、傷一つなくなった状態だというのに、暫くはその重傷を負った状態、つまり死ぬほどの激痛を維持してしまうそうだ」
激痛を維持……?
「重傷時の痛みの再現……、異常はなくても異状を認識する……ということでしょうか?」
自ら、案内をしてくれる大神官はそう言った。
「単純に治癒魔法なら、自己治癒と同じだから、頭……この場合、脳かな? 治っていくのも認識できる。でも、私のはそういった力に頼らずムリヤリ元の状態に戻す乱暴なやり方だから、意識が追いついてこないんだと思ってる」
真央さんは気まずそうにそう口にする。
でも、この様子だと、その仕組みを当人も分かっていないらしい。
「アリッサムが誇る精鋭部隊の聖騎士たちですら、その痛みに耐えかねて死を選ぼうとした者もいるらしい。それほどのものだ」
「兄貴なら……、あっさり痛みを忘れてけろっと動き出すかもしれませんよ?」
「見た目はそうかもしれない。だが、記憶力……、物覚えの良い人間ほど忘れるという行為は難しい。マオが少し躊躇うのもそういった事情があるのだ」
オレの軽口に対して、トルクスタン王子はそう答えた。
「そうだね。先輩がすっごいお馬鹿さんなら全然、気にせず魔法を使えるんだよ」
……随分、買われているみたいだな、兄貴。
「見た目元気そうなのに、なぜか正体不明の激痛にのた打ち回るあの男を見るのは楽しそうだとは思うが……」
「オレも同感ですね」
たまには、そんな光景があってもいい気がする。
「でも……、そんな魔法を使って、真央さんの方は大丈夫なんですか?その……、負担とか、後遺症とか」
「まあ、三日ぐらい激しい全身筋肉痛に襲われるとか、極度の疲労困憊状態になったことはあるけど、それも先輩の状態次第かな? 私は寝てれば治る程度だから大丈夫。久しぶりの重傷患者だから、ちょっとアレかもしれないけど」
ある意味、彼女が城下で積極的に治癒魔法を使おうとしなかったのは、そこに理由があるのかもしれない。
癒しで疲労困憊はともかく、激しい筋肉痛とか辛すぎるだろう。
水尾さんは、それを知らなかったのだろうか?
それとも……、知っていて?
「それも部屋に着くまでに、あの男の寿命が尽きなければの話だな。ここまで来ると、感知能力鈍い俺でもあいつが死に掛けているのが良く分かる」
トルクスタン王子の言うとおり、その先から感じられる魔気は間違いなく兄貴のもので、それがゆらゆらと揺れる蝋燭の炎のように、ひどく頼りなく感じられた。
「かなり無茶をされたようなので……」
どこか、うかないように呟く大神官の言葉は、カルセオラリアで高田を助けに行ったことに対してだけではなかった。
それをオレが知るのは、もう少し先の話である。
ここまでお読みいただきありがとうございました




