もしも、裏切るなら
「そんなことより……、雄也先輩がわたしに伝えたいことってなんでしょうか?」
そう言って、今度は彼女の方が話を変えようとする。
「そうだな。そろそろ、頃合かもしれないね」
彼女との会話は楽しかったのだと思う。
だからこそ、まだ口にして、終わらせたくはなかった。
ここにいる彼女は、もしかしたら、本当ならあの先、見ることができたかもしれない本当の彼女の姿なのかもしれないのだから。
あの日、俺たちを置いて、彼女とその母は人間界へ向かった。
そして、俺たち兄弟が、何もできないまま、何も知らない間に、彼女は魔界人としての自分を封印してしまったのだ。
昔の自分には分からなかったけれど、ある程度状況が見えるようになった今。
その意味が分からないはずもない。
彼女は……、母親と自分自身を守るために、永遠に「魔界」と呼ばれる故郷を捨て去ってしまったことに……。
だが、ここにいる彼女はその魔界にいた頃の記憶までも持っている。
それは、あの日……。
俺たちごと「魔界」の記憶を消さずに成長した彼女の未来の可能性。
そう思い込みたくなる程度には、俺も、昔の彼女に未練があったらしい。
あまり弟のことは笑えないなと自嘲する。
だけどそんな自分の心を知らない彼女は無邪気に語りかけてくる。
「もしかして……、愛の告白ですか?」
彼女はそんな風に冗談めかして言った。
いつもの彼女からは出てこないような言葉。
そこに違和感は確かにある。
だけど……。
「……ってそんなわけないですよね。雄也先輩はちゃんと今でも好きな人がいるのですから」
それは自分にとって、見事なまでの不意打ちだったと言えた。
それは、今も昔も、彼女には一度も言ったことなどないはずの話だったから。
「つ、九十九から聞いた……?」
うっかり動揺してしまった自分が酷く情けない。
しかし、自分が知る限り、彼女に伝えることができるのは、弟ぐらいであることは間違いないだろう。
「やだな~、雄也先輩。九十九はそんなことを言いませんよ」
それは確かにそう思う。
では……、何故、彼女が知っていると言うのか?
「乙女の勘というやつですね。気付いたのは5歳ぐらいの頃でした。ああ、今のわたしについては、なんとなく『雄也先輩って、実は本命がいるっぽい』ぐらいの感覚みたいですけどね」
そう言って、彼女はペロリと舌を出した。
「そうだったね。5歳でもキミは女性だった」
恐れ入りましたと頭を下げる。
それでも……、まさか、伝わっていたとは思わなかった。
いや、あの頃の自分の感情表現は酷く分かりやすかったとは思う。
だから、その近くにいた彼女が気付かないはずもない。
「いやいやいや! 過去形にしないでくださいよ! 今の方が体型的にはしっかり女性しているはずですから」
拳を握り締めて主張する彼女。
今と昔を比べたわけではないのだが、17歳の彼女はそれなりに思うところがあるらしい。
「そうだね。もう立派な女性だ」
小柄で細身だが、女性的な体つきになっている。
ストレリチア城で友人たちに磨かれたこともあるだろう。
さらに、「聖女の卵」として、多くの人間たちの視線に晒されるようにもなった。
人目を気にする生活の中で、常に自分の姿を意識しするようになり、身内以外に隙を見せなくなった。
そのために彼女の仕草は、魔界に来たばかりの時よりも、ずっと洗練されている。
「あら嬉しい。雄也先輩に認められたら、自信持っちゃいますね。ああ、でも雄也先輩の場合、守備範囲がかなり広すぎる気がしますけど」
「それを言うなら、……射程範囲……じゃないかな?」
いろいろ複雑だが、突っ込んでおこう。
この場合、守ってどうする? と。
「え? あれ? 何か違います?」
両頬に手を当て、考える彼女。
そんな仕草や台詞は今の彼女そのものだった。
「では、素敵な女性に成長した我らが主人たちに、僭越ながらお礼の言葉など」
俺はそう言いながら、彼女に跪きながら、ずっと彼女に言いたかった言葉を告げる。
「ありがとう」
彼女とその母親がいたから、俺はここまで来ることができた。
ここまで生きることを許された。
使い古された表現だが、あの日、あの時、あの場所で……。
あの母娘に出会えたから、今の自分があるのだ。
自分が笑うことも泣くことも怒ることも、人を護ることも、愛することすら彼女たちがいたからこそ得られたものだ。
それを夢の中で……、言い逃げのように告げることを許して欲しい。
だが、俺に残された時間は恐らく、そう多くは無いだろうから。
「雄也先輩……?」
いつもと違う俺の雰囲気に、彼女が戸惑っていることが分かる。
だが、俺はここで言葉を止める気はなかった。
「キミたちに出会えて本当に良かった。今も昔も、心から感謝している。もっとキミの成長を傍で見守りたかったけど……、どうやら、それは叶わないようだね。残念だけど、俺はここまでみたいだ」
そう言いながら、先ほどから微妙な違和感のあった右手を出す。
俺の右手はうっすらとぼやけ始めていた。
指だけではなく、腕の輪郭そのものすら怪しくなってきているのが見て取れる。
まるで、夢から覚める時のように。
やはり……、こうなってしまうのか。
彼女の言うような奇跡は起きないようだ。
「駄目です! 雄也先輩!!」
そう言って、彼女は両手で俺の手を強く握ってくれた……らしい。
残念ながらそれを把握するような感覚も、もう今の俺には残されていないようだ。
「悪いけど……、九十九の事……を頼む。……あん……な阿呆……でも、……もう、たった……一人の…………身内……な……んだ」
意識が途切れ始めた。
既に口から出たものは、まともな単語にもなっていないだろう。
正直、やり残したことも、伝え残したことも多い。
だが、俺は、あの弟を信じて託すしか道が残されていなかった。
アイツは恨むかな?
いや、誇ってくれるか?
それでも……、泣くことだけはないだろう。
身内が死んだくらいで泣くような、そんな余計な感情は教えていない。
「駄……! 消え……!!」
視界が白くても何も見えないし、聞こえない。
そうか……。
これで……、俺はようやく……。
****
「駄目って……言っていたのに……」
雄也先輩の姿が完全に消えてしまった後、わたしは一人この場に残された形となった。
ここは自分の夢の中だ。
介入者がいなくなれば、誰もいなくなってしまうのは当然のことだろう。
だがそれは、まるで、本当のわたしを表しているようで、酷く嫌な気持ちにもなる。
「諦めたら……、諦めたら、そこまでなのに……」
いつだって、この世界では心が強いものが一番強い。
だからこそ、「運命の女神は勇者に味方する」と言うような言葉が生まれるのだ。
彼の心は決して弱くない。
だが、時折、投げやりになってしまう部分が昔からあることを知っている。
全てを諦め、生きていくしかなかった人。
全てを捨てることで、ずっと弟を守り続けている人。
感情的だった幼い部分は隠しきってはいたけれど、それでも、わたしは彼の熱さを忘れたことはない。
たった二つ年上の……ずっと憧れていた人。
わたしは自分の両手を見つめる。
ほんの僅かだけど、まだあの人の温もりが残っている気がした。
だから、わたしは上を向く。
彼女に伝えるために。
「尤も、あなたは諦めないよね? そんなに簡単にいろいろと諦めきれるような人間なら、今まで何度も無茶はやってきてないでしょう?」
他人のために無謀とも見える行動に出る彼女。
それは馬鹿馬鹿しくもあり、どこか羨ましくもある。
「だから聞こえているならちゃんと覚えていて。もし、あなたがわたしを裏切るような生き方を選ぶなら……」
それはある意味、宣戦布告の決意。
「わたしはなんとしてでも、あなたを殺してでも表に出てきてやるからね」
わたしは、わたし自身の意識に向かって、そう告げたのだった。
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