その火を止めろ
「離せ、リヒト!」
『断る』
今にも爆発しそうな水尾を、リヒトは懸命に抑えた。
「離せ! このままでは九十九が……」
水尾の瞳には、女たちに囲まれ、担ぎ上げられた黒髪の少年の姿が映っている。
トルクスタン王子では、あの銀髪の王子を止めることはできない。
それならば……。
『嫌だ。ツクモは「火を止めろ」と叫んだ』
「それがどうした?」
『だから、俺は火属性の魔気を纏う王女を止めているんだ』
「なっ!?」
リヒトは正確に九十九の言葉の意味を理解した。
この場にいる火属性の魔気を纏っているのは二人。
だが、一人は、あれからずっと目を覚まさない。
それならば、今、止める火はたった一つだろう。
『アリッサムの王女殿下がこの場に二人もいることに気付かれてはいけないのだろう? いずれ、かの国に情報が届くことは避けられなくても、少しでも先に伸ばせとユーヤからも言いつけられている』
「生意気に庇ってんじゃねえよ。九十九がこのまま、攫われたら、私は……、高田になんて言えば良いんだ!?」
その言葉にリヒトは息を呑む。
彼だって、それも考えた。
だが、その当人の意思がこの王女を止めろと言っているのだ。
この場で何が正しいのか?
まだ、そこまでの判断能力はこの褐色肌の少年にはなかった。
それでも……、リヒトの言葉は、水尾の頭を冷やすには十分な時間ではあったのだが……。
「ようやく、口を開いたかと思えば……、火の心配とは、大物だな、お前……」
そんな状況も知らず、眩しいほどの光属性をその身に纏う銀髪の王子は、女たちに掲げられた黒髪の少年を見る。
「住んでいた家が焼けたことがありまして……。それ以来、火の元には十分気を付けるようにしております」
黒髪の少年は、王子に目を合わせずにそう言った。
いや、彼は身動きできないほど雁字搦めの拘束を施され、その身体を天に向けられた状態なのだ。
下にいる王子を見ることなどできるはずはない。
「それでも……、この状況で慌てないとは、並の胆力ではないな。それに……、お前は拘束されても、笑うほどの余裕もあった」
銀髪の王子は興味なさそうに見えて、その実、じっと周囲を含めて観察をしていた。
「お前は……、何者だ?」
王子は、その黒髪の少年を見た時からあった違和感を口にする。
この国には治癒魔法の使い手はいなかった。
だが、適切な振り分けに、適切な処置。
それを全て、見も知らぬ他国の人間であるこの少年が中心となっていたとすれば、それはかなり恐ろしいことでもある。
そして、使用された跡があった「紫」の布。
それは、かなりの数だった。
しかもそれぞれべっとりと大量の血が付いたものが多い。
重篤な状態にあった人間に結ばれていたことは想像にかたくない。
「何人、治療した?」
「……数えていません」
あの時の少年にそんな余裕はなかった。
リヒトに言われるまま、順番に治癒魔法を施していたのだから。
「少なくとも、100は越えるだろう?」
「それも……、自信はないです」
越えたかもしれないし、越えてないかもしれない。
結構な数の人間を治癒した覚えはあるが、ここまで多くの人間に治癒魔法を使ったのは初めてだったことは間違いない。
さらに、その途中で料理を作ったり、様々な人間たちに指示を出したりしていたのだ。
正確な人数を把握することなど、この少年にできるはずなどなかった。
「もう一度、問う。お前は、何者だ?」
「……トルクスタン王子殿下に雇われた助手……です」
その言葉に偽りはなかった。
少し前から、彼はこの国の王子の趣味に付き合っていたのだから。
「王子殿下の……助手?」
だが、銀髪の王子はその事情を知らない。
他国の人間が、機械国家の王子に取り入るとは一体……?
「降ろしてくだされば、僅かながらの成果をお見せすることはできます」
「ほう……?」
それまで曖昧な表現でのらりくらりと言葉を交わしていた少年が初めて、分かりやすい証拠の提示をすると言う。
そこに興味を惹かれた。
そして、黒髪の少年は内心、ほくそ笑んだ。
確かにその系統は兄によく似ているが、兄よりはもっとずっと分かりやすい。
「お前たち、降ろしてやれ。但し、拘束はそのままだ」
そう王子より指示があれば、女たちも素直に従い、少年をその場に降ろした。
「ツ……」
「トルクスタン王子、自分の記録をお見せしてもよろしいでしょうか?」
トルクスタン王子が口を開くよりも先に、少年が彼に問いかけた。
「あ、ああ。あれはお前の成果だからな」
トルクスタン王子は少年の意図に気付く。
彼は、このまま、銀髪の王子に名乗らないつもりだと。
自分が少年の名前を呼び掛けるよりも先に、言葉を封じたのはそう言うことだろう。
「王子殿下。未熟者の成果でお目汚しとなりますが……」
そう言って、黒髪の少年は、紙で作られた冊子を召喚し、銀髪の王子へと差し出す。
通常の製本とは違う、紐で綴じられた簡素な記録。
カルセオラリア製とは違う紙のようだが、それなりの質のものを使っていることは分かる。
それを、手に取り、銀髪の青年はパラパラとページを捲る。
「これは……」
それは、一見、使われている植物の特徴、調味料の製法やその記録を記しただけのものに見えるが……、その書き方が問題だった。
何より、色が付いた丁寧な図。
これは……、情報国家としても、驚くべきことである。
少年は「未熟者の成果」と言ったが、これはどう見ても、記録慣れをしている人間の手によるものである。
必要な事項を余すことなく書き連ね、さらにはその欄外に補足や詳細を記した注釈まで施されていた。
これ一冊で十分な情報価値がある。
そう思わざるをえないものであった。
惜しむべくは、トルクスタン王子の薬品物の成果ではなく、何故か調味料が中心となっていることだろうか。
勿論、黒髪の少年はトルクスタン王子の調合薬品も記録していたが、それをこの場で提供するつもりはなかった。
それは、彼の成果ではないのだから。
自分の作品はほとんどが調味料だった。
だから、情報としては大したことはないと思って深く考えずに手渡したのだ。
そんな少年にとって完全に計算違いだったことは、彼の記録の仕方が情報国家の王子も驚愕するようなものだったという点である。
厳しい兄の指導結果がこんな形で表れてしまったのだ。
「この絵も……、お前が……?」
「いえ、それは別の人間です」
「その人間はこの場にいるのか?」
妙なことを聞いてくる王子に、少年は表情を変えずに答える。
「いいえ。既に別の国へ旅立ちました」
それは、誰も確かめてはいないのだけど……、それでも、この少年は確信をもって返答したのだ。
「惜しいな。この絵と色遣いは……、俺好みだ」
―――― 趣味があうな、この男。
黒髪の少年はそう思うしかなかった。
「トルクスタン王子の助手を辞めて、我が国へ来る気はないか?」
どうやら、直接交渉の方が御しやすいと思われたようだ。
「ありません」
少年は笑顔で答える。
「報酬は弾むぞ」
「現状で満足しております」
「ほう……。お前はこの俺がトルクスタン王子に劣るとでも?」
「いいえ、王子殿下」
「どこの王子かを承知しているか?」
試すような物言いに、少年は怯むことなく答える。
「先ほどまでの会話により、トルクスタン王子に並ぶ方だとは予想しております」
情報国家は機械国家と同じ中心国である。
少年の言い方は、その核心に触れているようだが、断言しない辺り、絶妙にその方向を逸らしていた。
その在り方に、自国の人間たちと同じ気配を感じる。
「なるほど……。確かに等価ではないな。トルクスタン王子は見る目がおありのようだ」
情報国家の王子はフッと笑った。
「トルクスタン王子、悪いが、俺はこの少年が気に入った。このままもらい受ける」
「先ほどの話で何故、そんな結論に至ったかをお聞かせ願いたい」
「機械国家には不釣り合いだ。この男は情報国家でこそ生かすことができる」
またも少年の意思を無視したやり取りが始まる。
「それは貴方の考えだろう?」
「昨日までの機械国家ならともかく、今の機械国家がこの男に相応の対価を支払える……とでも?」
その言葉に、トルクスタン王子は一瞬、怯んだ。
今の機械国家には何の価値もないことを遠回しに伝えられたのだ。
そして、その隙を情報国家の王子は見逃さない。
今度は自らが、九十九を肩に担ぎ上げる。
「邪魔したな、トルクスタン王子。この男の対価は追って、使わせる」
有無を言わせず、その場から立ち去ろうとする銀の髪の王子。
だが、そこで簡単に機械国家も引き下がらない。
「お止めください!」
その場に甲高い声が響いたのだった。
次話は本日18時に投稿します。
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