彼女と会ってしまったら
妙に緊張感を漂わせた水尾とトルクスタンを遠目に眺めがら、九十九はなんとも言えない顔をした。
彼は王族ではないため、突然、現れたフード姿の青年のことをよく知らない。
ただ相手が持っている雰囲気とその佇まいで、なんとなく「偉そうなヤツ」という印象が最初にあった。
そして、同時に「非常時に雰囲気を察することもできない男」という感想もある。
つまり……、九十九にとって現れた男の第一印象は物凄く悪い。
だが、今は、そんなよく分からない者に構っている暇はなかった。
重傷者はかなり減ったが、まだ完全にいなくなったわけではない。
心を読めるリヒトが傍にいるおかげで、痩せ我慢をしてしまうような人間を見つけ出すことができているのは幸いだった。
大きな傷は、早めの処置がとても大事なのだ。
「リヒト……、次は?」
九十九がそう声をかけたが……、そのリヒトは何故か難しい顔をして、あの現れた青年を見ていた。
「どうした?」
『ツクモ……、今はあまり目立たない方が良いかもしれん』
「は?」
リヒトの言葉に九十九は短く問い返す。
『俺には判断ができないが……、トルクスタンとミオが、かなり警戒している』
「あの二人が?」
確かに先ほどから、二人の様子がおかしいことには気付いていた。
だが、常時、うっかりなトルクスタンはともかく、魔法関係に関しては無敵と言っても良いような水尾が警戒する相手に、九十九は心当たりがない。
「リヒト、ヤツの正体は分かるか?」
『情報国家……、イースターカクタスの? 第一王子、『シェフィルレート、クラク? イースターカクタス』……と言う名前らしい』
その肩書きと名前を聞いて、九十九はようやくこの状況を理解した。
二人が警戒しているのは道理だ。
あの兄が最も警戒している国……情報国家イースターカクタス。
しかもその国の王子は現状、唯一の嫡子と聞いたことがある。
「なんで、そんな大物がホイホイ、災害現場に現れてるんだよ!? 邪魔でしかねえ!!」
小声ではあったが、思わず九十九が口にした言葉は、既に水尾とトルクスタンの胸中にある言葉でもあった。
『機械国家に恩を売るためらしいぞ?』
「この非常時にそんな阿呆で暇なことしてんじゃねえよ」
まるで兄貴だ……と九十九は思わざるを得なかった。
非常時こそ、藁にもすがる思いとなる。
その隙を突いた狡猾的な罠だろう。
『ツクモも似たようなことを城内で言っていた覚えがあるが……』
「あれは、あの場で兄貴を説得するためだ」
それに状況が違いすぎる、と九十九は付け加えた。
リヒトからすれば、どちらもその状況を利用しようとしているのだから似たようなものなのだが……。
改めて人間は難しい、と彼は思うしかない。
「シェフィルレート王子。ご無沙汰いたしております」
トルクスタンは進み出る。
「トルクスタン王子。無事だったか」
シェフィルレートと呼ばれた青年はフードを外しながらそう答える。
露わになる銀髪と青い瞳を見た瞬間、九十九は思わず息を呑んだ。
「似ている……」
そう呟かずにはいられないほどに。
『ユーヤに……少し、似ているな』
同じように青年を見たリヒトは九十九の反応を見ながらそう言った。
「いや……、それよりも……」
何かを言いかけて、九十九は思いなおす。
魔界人は似たような顔立ちの人間は少なくない。
逆に、同じ血が流れている親兄弟姉妹でも似ないこともあるぐらいだ。
だから、これも偶然、ということだろう。
『ああ、例の……祖神……というやつか……』
九十九の心を読んで、リヒトはそれに気付く。
「あの男。高田が前に描いた、努力の神ティオフェってヤツによく似ている」
「……それは、ツクモとも似ている、ということではないのか?」
「アイツは髪色と瞳がそのままだ。オレなんかより、ずっと近しいと思う」
不意に、九十九は黒髪の少女を思い出す。
姿が変わってしまった自分を見つめながら、凄く嬉しそうに、そして、愛しそうに銀髪の男神を描いていた彼女を。
もし、彼女が……、あの青年と出会ったらどんな反応を見せるのだろうか?
そう考えると……。
『なるほど……、あの男とシオリを会わせない方が良いということだけはよく分かった』
リヒトの瞳に珍しく熱が籠る。
「いや……、オレの考えをさらりと読んだ上に、勝手に結論付けるなよ」
九十九はそう言ったが、その考えはあまり外れていなかった。
彼も、彼女とあの青年を会わせない方が良いと思っていたことに間違いはないのだから。
「オレの場合は私情からじゃねえ」
情報国家の人間と彼女を絶対に接触させないこと。
それは、昔から兄弟で決めたことだった。
自分の主人は、あれだけの経歴を持つ少女だ。
情報国家に目を付けられては、その全てを食らい尽くされる未来しか見えない。
さらに最近、余計な肩書が付随してしまった。
ますます会わせられない理由が増えたということだろう。
『誰も聞いていないのに、言い訳をしている辺り、少しは、自覚が出てきたようだな』
「兄貴がいないのに、何故か兄貴の気配がする……」
九十九は複雑な顔をしながらも笑った。
だが、その間にも状況は変化していく。
「この状況を説明できるのは、貴殿だけ……ということか?」
銀髪の青年は笑いながらもそう言った。
「自分も詳細は分かりません。気が付いたら、このような状況に巻き込まれたのですから」
トルクスタンは決して、嘘を言っていない。
彼は本当に全てを知らなかったのだ。
兄が何かをしていたことに気付いていても、それが、これだけの事態を引き起こすなど、夢想だにしていなかった。
国民を巻き込むようなことに発展すると分かっていたなら、根が悪人でない彼は、必死で止めたことだろう。
今となっては、全てがもう遅いのだけど。
銀髪の青年は、じっとトルクスタンを見つめる。
全てを見透かすような瞳は、黒い髪の友人を思い出し、酷く居心地の悪さを感じるものではあったが……、同時に彼ほどではないなとも思えた。
当人が知ったら、憤慨しただろうが。
「貴殿は本当にまっすぐな人間だな」
銀髪の青年は困ったように微笑んだ。
「では、貴殿以外にこの状況を説明できそうな人間はいるか?」
「説明できそうな人間は、全て、その行方が分からない状況です」
それもまた事実だった。
原因を引き起こした兄王子は、今も城から出てくる様子はない。
そして……、兄の行動の意味を理解できそうな従者も……、この場にはいなかった。
笑えるぐらいに真相から蚊帳の外に置かれた弟王子は、それでも尚、落ち着いた笑みを浮かべている。
その強さが、彼の武器の一つであると、現状で理解できているのは数少ないことだろう。
そして……、その一人は、今、彼の目の前にいる。
「なるほど……」
そう言いながら、銀髪の青年は周囲を見渡す。
重傷者を中心に集められた場所。
軽傷者は立って、自分が来るまではそれぞれ動いていたようだ。
だが、今はその手を止め、突然現れた人間が、自国の王子に無礼を働かないか、見守っているかのように、ギラギラとした眼差しを向けている。
なるほど。
自国の王族に対する敬意は残っているらしい。
周囲の状況から、そう銀髪の青年は判断した。
自国の王子自身の口から、銀髪の青年のことも他国の「王子」と知れたことはずだ。
しかし、どこの国の王子かは知らされていない。
まさか、中心国の一つである情報国家の王子が自らこの場に現れたとは思っていないだろう。
一般的な国王の第一子は外交以外の理由がない限り、城の外に出る自由などないはずなのだから。
「なんともやりにくい状況だな……」
銀髪の青年は溜息を吐いた。
重傷者も軽傷者も、寝かされた状態の人間たちも、何故か違う色の布をその肩に巻き付けている。
「紫、青……緑……それに……橙?」
肩に巻かれているのは、確認できるだけで、四色。
それ以外に赤や、黄、黒い布地は地面に置かれていた。
赤や黄色は一度、巻き付けたような皺や、血痕が付いていたが、黒だけはきちんと畳まれている。
「まさか……、優先割当?」
「?」
銀髪の青年の独り言に、トルクスタンは不思議そうな顔をした。
この様子では彼にその知識がないことが分かる。
銀髪の青年はさらに周囲を見回す。
この国に、治癒魔法の使い手も、単純な応急処置の仕方も、それらに付随する知識を持つ人間もいないと青年は思っていた。
だが、この状況。
それらの知識を持つ人間が、知恵を貸したとしか思えない。
銀髪の青年はさらによく見回すと、多くの衆目の中に、一人の少年を見つけた。
その黒い髪、黒い瞳の少年は微弱な風の気配を纏っている。
その上、明らかに周囲の視線とは別種の視線を自分に向けていたのだ。
敵意でも反感でもないが、警戒の色。
王族でも見たことはなく、漂っているその魔力からどこかの貴族とも思えないが、彼は、恐らく自分の正体を明確に知っているということだろう。
「見つけた……」
「は?」
銀髪の青年の言葉の意味がトルクスタンにはすぐに理解できなかった。
その差が、動きに出る。
「お前たち、そこにいる黒髪の……風の気配を持つ男を捕らえよ!」
突然、銀髪の青年はそう叫んだのだった。
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