眠れる家の少年
それにしても……、夢の中に入る魔物……か。
漫画やゲームでなら見たことはあったけど、現実にいるとは思わなかった。
しかも、それが同級生だなんて……。
最近、本当に信じられないことばかり起こっている。
まるで、ここ最近のことがすべて長い夢でも見ているみたいなんじゃないかな~、と思わず現実逃避したくなった。
「九十九~、すっごくにっがいお茶を……って、寝て……る」
わたしがお茶を淹れて戻ってきた時、九十九はそのまま倒れていた。
「え……と?」
確か、寝たらいけないんじゃなかったっけ?
「どうしようか……?」
九十九の顔を確認すると、彼は既に苦いものを口にしたような顔をしたまま、目を閉じていた。
滝のような汗をかいている辺り、相当嫌な状態なのだろう。
「通信珠……で、また、起こした方が良いのかな?」
だけど、それは根本的な解決にはなってないような気がする。
彼は眠るたびに魔物に襲われるのだから。
わたしだって、それにずっと付き合うのは辛い。
九十九のことは勿論、心配だけど、自分の睡眠も大事なのだ!
「遠隔からの誘眠か……。どうやら、既に精神の奥に入り込まれていたようだな」
「うわっ!?」
さっきまでいなかったはずの雄也先輩が、すぐ背後に立っていた。
「驚かせてごめんね」
雄也先輩は笑顔を向ける。
「い、いえ……、別に……」
口から心臓が飛び出すかと思ったけど、どちらにしてもわたし一人でどうにかなりそうな問題ではなかった。
ここに彼が現れたのはある意味、運が良いのだ。
「雄也先輩……、どうすれば良いでしょう?」
「まあ、本体を探し出すのが一番の良策だね。魔気から辿ることができれば良いんだが……、現状ではちょっと難しそうかな」
雄也先輩が少し困ったような顔をして、結論を口にする。
「……ってことは、このままでは、九十九は生命力を奪われちゃうってことですか?」
「何もしなければそうなるね……」
「そんな……」
渡辺さん……、夢魔は……、わたしたちの学校にいたのだ。
だから、九十九がわたしを護ってなければ、彼は魔物に会うことはなかったはずなのに……。
「落ち着きなさい、栞」
見ると、いつの間にか母も立っていた。
「眠ってから、まだ数分でしょ。今なら、間に合うはずよ」
「え……?」
「そうでしょ? 雄也くん。普通の人では難しいけど、貴方なら、何とかできるんじゃない?」
「そうなんですか? 雄也先輩!」
なんで、母がそんなことを知っているのかはこの際、置いておこう。
今、一番、気にしなければならないのは九十九のことだから。
「まあ……、確かに手はないこともないのですが……」
そう言いながら、彼は少し部屋を見回した。
そして、溜息を一つ。
「九十九の夢に入ること自体は、難しくないと思います。ただ、相手が女性の夢魔と言うのが少し自分にとっても分が悪いですね」
いや、分が悪い以前に、夢に入ることって普通の人間にはできませんが?
魔界人の標準なのでしょうか?
「ミイラ取りがミイラになりかねないという話ね」
「え……と?」
雄也先輩の端的な説明で、母は理解できているみたいだけど、わたしにはさっぱり分からなかった。
ミイラ取りがミイラ……。
この場合、九十九を助けようとすると雄也先輩も危ないってことだよね?
「夢はね。その夢を見ている当人の領域、支配下にあるんだ。それについては、理解できるかな?」
「はい」
まあ、自分の思い通りの夢が見ることができるわけではないのだけど、自分の頭が無意識にその状態、情景を作り出しているのはどこかで聞いたことがある。
「夢魔は、その個人の頭の中でソウゾウされているはずのものに入り込むことができる。それは分かるかい?」
「はい。雄也先輩も出来るってことなんですよね?」
さっきの話を総合すると、そ~ゆ~ことになるはずだ。
「俺が出来るのは入ることだけ。その夢を司る……、夢を支配している人間に話しかけたりすることはできても、夢の中で魔法が使えるわけではないんだ。でも、夢魔は違う。他人の夢の中でも魔法に似た力を行使することが可能な魔物なんだよ」
「つまり、雄也先輩が九十九の夢の中に入っても、魔法で攻撃は出来ないのに、夢魔の方は好き勝手、やりたい放題できるってことですか」
「そういうことだね」
それは確かに酷いバランスのゲームをやっているような心境になってしまう。
「しかも、九十九くんの夢にいるのは女性の魔物でしょ? なんの対策を持たないまま雄也くんが行っても、食料が増えて喜んでしまうだけってことね」
ああ、なるほど。
美味しそうな餌のおかわり追加状態になってしまうのか。
それは良くない。
雄也先輩の気が進まない理由がよく分かった。
「俺で喜んでくれるかは分かりませんけど……。もっと厄介なのは、九十九が完全に取り込まれた時かな」
「取り込まれた……? えっちな夢を見せられて、生命力を吸われている状態ってことですか?」
そんな状態、あまり想像したくはないな。
「それはある意味、肉体的な支配だね。そして、もう一つ、精神的な支配」
「精神的な支配? それって、まさか……、九十九が操り人形みたいな感じになっちゃうってことですか?」
「それに近い状態と考えて問題ないよ。そうなると夢に入ったところで、九十九自身の激しい拒絶にあってしまうことになる」
「じゃあ、どうすれば……」
な、なんか、話を聞けば聞くほど、打つ手がないような気がしてきた。
このまま、わたしは、九十九が夢魔の餌になっちゃうのを見ることしかできないの?
「俺はあまり、気は進まないけど、手がないわけではないんだ」
「へ?」
雄也先輩が不意に言った。
「栞か、私が行けばいいのね?」
「はい?」
さらに、母がとんでもないことを言う。
「現時点で、九十九を助けようとするなら、それが最善な手立てになってしまうとは思います」
「で、でも! わたしは魔法が使えませんよ?」
そんなわたしが行ったところで、どうなると言うのか?
「どちらにしろ、九十九くんの夢の中じゃ誰でも使えないのよ?」
「いや、どうやって、夢に入るの? って話」
どう考えたって、一番の問題はそこだろう。
「……と、娘は言うけれどどう? 不可能?」
母が笑いながら雄也先輩に確認する。
「可能だとは思いますよ。単純に魔法の範囲を広げれば、1人ぐらいまでなら何とか愚弟の夢へとご案内はできるかと」
「じゃ、きまりね」
「へ?」
そう言って、母はわたしの肩に手を置いた。
「貴女が、九十九くんを助けに行きなさい」
母が、強い瞳をわたしに向ける。
普段はのんびりした口調の母は、時々、信じられないほど強くなる時がある。
今はその強い時だ。
「そ、そりゃ、助けたいけど……」
相手は魔法使いですら餌として見る魔物だ。
ただの人間に等しいわたしに助けられるとは思えなかった。
「でも、今の状況では貴女しかいないのよ」
「ど、どういうこと?」
わたししか……いない?
「俺が、案内。だけど、俺自身が夢魔に取り込まれる恐れは否定できない。そして、完全に無防備な身体たちを護る人間も必要なんだよ」
「そして、それは栞にはできないけど、私なら彼らほどではなくても多少の真似事はできる。つまり、魔法を使うことが全く出来ない貴女が行くしかないの」
「九十九を見捨てるなら別にそれでも構わない。寧ろ、俺はそれを推奨するよ?」
どこまで本気で言っているのか分からない。
だけど……、雄也先輩は間違いなくわたしの退路を断った。
「……行きます」
笑顔でそんなことを言われたら、退くことはできない。
ここで、わたしが断るのは、九十九を見捨てるのと同じってことになるらしいから。
それだけは絶対に嫌だった。
これまで、彼が自分を助けてくれたことを思えば……、そんな選択肢を選べるはずもない。
こうなったら、女は度胸!
覚悟を決めてやる!
確かに、九十九も雄也先輩も眠ってしまったら……、わたしたちを守るものがいなくなる。
真似事と言っている母に、実際、どれだけのことができるかはわからないけれど、わたしよりは魔法の知識もあるのだ。
確かに何もできないわたしが残るよりは良い。
「わたしにどれだけのことができるかは分かりませんが……、やってみます」
「アイツを見捨てないんだね」
「九十九はわたしを助けてくれましたから。今度はその恩を返す時だと思います」
だから、そんな選択肢はない。
「九十九はそれが仕事だから。でも、キミはそうじゃないよ?」
「……それでも、自分ができることがあるのに、何度も助けてくれた恩人を見捨てるような教育はされていませんから」
わたしがそう言うと、雄也先輩がちらりと母を見て……。
「違いない」
そう肩を竦めたのだった。
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