意識を割く部分
「う……?」
重くなっていた頭を押さえながら……、彼女は自分の身体を起こした。
「マオ? 気が付いたか!?」
彼女の状態に、一番初めに気が付いたのは、トルクスタン王子だった。
「と、トルク……?」
まだ状況を掴めていないのか。
彼女はどこかぼんやりとした顔で、心配そうに覗き込む青年の顔を見つめ返す。
「『トルク』……じゃねえ!」
彼女と同じ顔をした女性がそれに気づいて、叫ぶ。
だが、その手には湯気が漂う料理。
色々、台無しだと思うのは九十九だけだろうか?
「気付いたなら、さっさと怪我人の救護をしろ! 九十九だけじゃ、そろそろ限界だ」
「ど、どういうこと!? ミオ……、せめて、状況を説明して……」
「そんな暇はない!」
水尾の周囲から、仄かに炎がにじみ出る。
「……ミオ、お前がまず、落ち着け」
慌てて、トルクスタン王子が二人の間に割って入る。
水尾は怪訝そうな顔をしたが、素直に自分の体内魔気を抑え始めた。
妹の慌てた様子と、トルクスタン王子の珍しく真剣な顔を見た真央は、どこか戸惑ったような顔を見せる。
「マオも……、落ち着いて周囲を見ろ」
そんな彼にそう言われて、真央は周囲を見渡す。
怪我人だらけのこの場所。
それも十や二十という話ではなかった。
この周囲だけでも、それらが敷き詰められるように転がされているのだ。
全てを数えれば、どれだけの数がいることだろうか。
だが、この場にはカルセオラリア国王も、その子供であるトルクスタン王子も、メルリクアン王女もこの場所にいるのに……、一人だけ足りない。
「ウィルは……?」
「ああ、シオリと、ユーヤが救出に行ってくれたらしい。俺も見ていないから、詳しい話は分からないが……」
そう言って、トルクスタン王子は九十九とリヒトを見た。
彼らはこちらを気にしつつも、既に作業をしている。
彼も、あの少年たちから聞いただけだった。
だから、今、自分の兄がどうなっているか分からないのだ。
だが、真央は思い出す。
自分が意識を失う前に、起きた出来事を……。
ああ、あの時、崩れ始めていた城の地下で……、自分の代わりに瓦礫と共に床に呑まれていく男の姿を……。
「私……、行ってくる!」
「マオ!?」
真央の突然の言葉に、トルクスタン王子は驚くほかなかった。
彼女は、先ほどまで倒れていたというのに、立ち上がった……、が、足や肩を怪我しているために、ふらりとする。
「ウィルはあの時、私を助けてくれた! 本当なら……、あの場所に落ちていたのは私だったはず!」
「馬鹿! あの城の状態を見ろ! 俺はお前を絶対に行かせない!」
トルクスタン王子が指さした方向。
それは城があった場所……だ。
すでに、砦のような城壁や塔は崩れ落ち、一部だけを残すのみとなっている。
爆発や振動はなくなったが、時間差と言うことも考えられる。
何より、この城には地下があるのだ。
その場にある物の重さで、今、残っている場所も一気に押しつぶされてしまう可能性はあった。
他の国の建物なら、魔法を使ってなんとか解決することもできただろう。
地盤を強化するとか、瓦礫を軽くして掘り起こしていく……とか。
ここには多彩な魔法を操る魔法国家の第三王女がいるのだ。
ある程度の無理ならば、魔法を使って押し通すことができる。
だが、残念ながら、ここは機械国家だ。
この国の建物のほとんどに、彼女の魔法が通じない。
「高田たちに任せるわけにはいかない! 私は、あの人の……」
―――― ぱぁんっ!
乾いた音が、周囲に鳴り響く。
「あ……?」
真央はその左頬を抑える。
スナップを効かせた平手がその頬に打たれたのだ。
「いつまでも女々しくぴいぴいと囀りやがって……」
彼女の頬を張った人間は、振り切った右手首をぶらぶらさせながら、そう言う。
「お前ってヤツは、こんな状況でも気にするのは男のことなのか? 一刻を争うような時に、わざわざ怪我しているトルクの手を止めさせ、時間を割いてまで説明してもらって出した結論がそんなことなのか!?」
「ミオ……」
真央は頬に手を置いたまま、自分と同じ顔の妹を見る。
「お前には、私と違って人を癒す力があるのに、こんな時に使わなくてどうするんだよっ!?」
人を癒す力がある姉を……、彼女はずっと羨ましく思っていた。
誰かの助けになることができる能力。
自分自身は壊すことしかできないから。
この平和な時代に何かを守ることよりも、壊すことしかできない力を持って生まれてしまったことを残念に思ったことだってあるのだ。
「ミオ……。今のマオをそう責めるな」
トルクスタン王子が水尾の肩に手を置いて、宥めようとする。
「じゃあ、誰を責めろと? この場の責任を誰に取れって言えば良いんだ?」
「それは……」
迫力ある水尾の視線に、トルクスタン王子は一瞬、怯んでしまった。
「それに……、今更、城に戻ったところで、あそこには入り口なんかとっくにない。破壊系も筋力増強効果も使えないマオにできることなんかほとんどねえよ」
水尾は真央に視線を流した。
「ミオには分からない」
「分からないよ。当り前じゃねえか」
どこか吐き捨てるように水尾はそう言った。
この国の王子が、この事態を引き起こした人間が、どれだけの人物か水尾には分からない。
彼女に分かっているのは、王族でありながら、国民を巻き込むほどの破壊活動をしただけではなく、自分の可愛い後輩や、可愛くない先輩までも巻き込んだということだ。
幸い、現状で死者はないと聞いている。
だが、少しでも何かがずれていたら、死人が出てもおかしくはない状態だったのだ。
そして……、この状態は今もまだ続いていた。
あの呑気な笑顔の後輩も、皮肉な笑いを浮かべる先輩も、まだあの城の地下にいるはずだ。
機械国家の建物のせいか、その距離のためか。
かなり微弱にしか感じないが、それでも、二人ともまだ生きていることは間違いない。
「仮にも中心国の王族の婚約者を本気で名乗るつもりがあるのなら、少しぐらい仕事しろ。ここでは、王族最年少のメルリクアン王女ですら、働いてんだ。それに、全く関係のない九十九やリヒトまで手伝ってる」
水尾は、周囲に目をやる。
この場に倒れている人間たちは、ここまで騒いでも身体を起こせないような重傷患者ばかりだった。
九十九は、彼女たちの様子を気にしつつも、目の前に並ぶ重傷患者たちの治癒を再び始める。
彼が治癒魔法を施した人間は、既に100を超えている。
命の淵に立っている人間たちを、ギリギリから少しだけこちら側へと引き戻す程度の応急処置とはいえ、これだけの人間たちを癒したのは、彼も初めてのことだった。
『大丈夫か?』
「大丈夫だ」
リヒトの気遣いにも、彼は短い言葉しか返せない。
治癒魔法に集中しつつも、少しずつ、その意識が離れようとしていることは分かっている。
少年の頭にあるのは、目の前の人間たちよりももっと大切な人間たち。
それでも、あの場を任せると決めたのは自分だ。
だから……、だから、彼は祈るのだ。
「運命の女神は勇者に味方する……だったか?」
それは昔の彼女が口にした台詞であり、今の彼女も時折、口にする台詞でもあった。
頭を振って、意識を再び治癒魔法に集中させていく。
「アイツが強い存在なのは、誰よりもオレが一番知っている」
目が離せなくて、誰よりも弱そうな外見に反して、決して、予測することもできない最強の女。
昔の彼女については知らないことが多くても、今の彼女のことならば、身近で見守り続けた少年は、誰よりも知っているという自負があった。
勿論、あの娘の全てを知っていると己惚れるつもりはない。
少年自身が知らないこともあるだろう。
そして、全てを知りたいとも思っていない。
知らない方が幸せと言う言葉もある。
「だから……大丈夫だ」
少年はそう力強く言い切った。
『いや……、少しぐらい、自分の兄にも意識を割いてやれ』
「兄貴については、端から心配しちゃいねえんだよ」
弟に心配される方が不服だろう。
彼の兄はそんなタイプだから。
「兄貴も……大丈夫だよ」
先ほどとは明らかに違う軽いノリの九十九の言葉に、リヒトは肩を竦める。
―――― その直後。
これまで見た中でも、最大級の爆風が起こり、さらに、崩れていく城より空へ向かって真っすぐ伸びた深く青い光を、その場にいた意識ある人間たちは目撃することとなったのだった。
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