少年は選択する
「ぐあっ!!」
無理矢理服を引っ張られ、壁に叩きつけられたために、一瞬だけ目の前が暗くなる。
だが、ここで意識を失うわけにはいかない。
「兄貴!!」
黒髪の少年が駆け寄る。
ソレとほぼ同時に、玉座の傍の空間がゆらりと歪んだ。
「これは……」
呆然とする少年を尻目に、男は言った。
「行くぞ。この先が、恐らく地下へと続いているはずだ」
男はそう促したが、少年は、首を横に振る。
「オレは行かない」
そして、そんな言葉を口にした。
「九十九?」
その返答は、男にとって意外なものだったらしい。
「兄貴とリヒトで行ってくれ。オレはここに残る」
少年は力強い瞳を自分の兄に向けてそう言った。
「九十九……、お前……、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「分かってるよ!」
兄の言葉を振り切るかのように、その少年は力強く叫ぶ。
「兄貴こそ、判断を誤るな! 今、カルセオラリアの王族に貸しを作らねえと、全部、有耶無耶になるだろうが! それに、こいつらをここで殺せば、その責任は誰に取らせるつもりだ!?」
「九十九……」
「時間がねえんだろ! こんな所で無駄な問答を続けるより、高田の方は兄貴に任せるってんだよ! ここにアイツがいれば、絶対にそう指示する」
「彼女の判断は甘いからな」
男はそう言って、この場には不似合いな笑みを零す。
「人を救いたいって言ったオレが、アイツに顔向けできないことなんてできるかよ」
「彼女よりも優先させるほどのことなんてないだろうが」
「だから、問答無用なんだよ。兄貴は、リヒトと高田を探して、オレはここの面倒を看る。それが一番理想だろ? 高田なら、アイツなら絶対大丈夫だ! オレは、アイツより強い人間なんか知らねえからな」
どこか自嘲気味に少年はそう言い切った。
『ツクモの言うとおりだ。ユーヤ。時間がない。探索、俺がツクモの代わりになる。ツクモはここに残らせてくれ』
黒髪の少年の言葉に、褐色肌の少年も賛同する。
「ああ! このお人好しどもめ!!」
この男にしては珍しい叫び。
「この事態を起こしたやつらを救っても責任の処遇を押し付ける以外、何の役にも立たんが、今後のためにも精々、恩を売っとけよ!」
そう言って、男は褐色肌の少年を伴って、玉座の傍で起きた空間の歪みへと消えた。
ごごんっ!
男たちが消えると、それを待っていたかのように、より一層、音も振動も激しくなる。
「兄貴も、もうちょっと手を選べば良いのに……」
男たちが消えた空間を見つめ、黒髪の少年は呟いた。
「状況が……、じょう、きょうだ。仕方ない……」
自分だって分かっている。
先ほどの行動は、あの男にしてはどこか余裕がないやり方だったことも。
「……兄貴を恨まないでくださいね」
「恨む?」
逆ならともかく、俺にあの男を恨む理由など思い当たらない。
「オレをここに残すためですから」
そう言いながら、少年は俺の肩口を看る。
「ぐっ!? 俺より……、陛下とメルリ……妹を先に」
「ああ、これは肩を外しているな。ちょっと失礼」
俺の言うことなど無視して、少年は俺の左手首を掴んで、引っ張った。
ぐぉきっ!!
「ぐあっ!!」
肩からありえないような音が聞こえ、口から唾液と血の混ざった飛沫が飛び出る。
「オレも治癒は嗜み程度なんで……。国王陛下たちは……、少しだけ処置して、外に出てからの方が良いでしょう。ここではあまり集中できないし、あまり時間もなさそうだ」
そう言いながら、俺の肩口を癒し始めた。
こんな状況でも、コレだけの集中力。
これで「嗜み程度」と言われては、正直この城の者たちも立つ瀬がないだろう。
「とりあえず、ここももちそうにないので、応急処置程度でお許しください。オレは、恐れながら国王陛下を運ばせていただきます。トルクスタン王子殿下はそちらの女の子を」
「……体格的に逆の方が良くないか?」
少年は小さくはないが、俺より少しばかり細く見える。
「先ほども言いましたように、王子殿下にした治癒はあくまで、応急処置程度です。体力的には、オレの方が良いでしょう。それに……、高田……、主人以外の気絶した女を運ぶのって苦手なんですよ」
「ああ、そう言う理由なら……仕方ないか」
そうして、少年は陛下を、俺は妹を担いだ。
「事情は……、ここから出てからゆっくりと聞きます」
落ちてくる破片を器用に右手だけで払いながら、少年は言った。
「分かっている」
「あと、城内通信はまだ可能ですか? オレは城内の通信珠の操作方法に少し不慣れなので、分からないんですよ」
「完全には無理そうだが……。やってみよう」
「良かった。それに……、呼びかけはオレより王子殿下の言葉の方が説得力あるから」
「どういうことだ?」
「城内にまだ残っている人間がいます。水尾さん……、ミオルカ王女殿下がある程度は、回収しているはずですけど、それでも機械や、この城に縋り付いている人間が隠れていないとは限りません」
「そうか……。……そうだな」
機械国家の崩壊を目の当たりにしても、城が崩れている最中にも、まだ捨てきれない想いを抱えている人間たちは少なくない気がする。
そうして、俺は王族として初めて城内に残っている者たち全てに命令を下した。
「この城を捨てて、逃げよ」と。
恐らくは最初で最後だろう。
俺が王族として国民に命令するのは。そんな日が来ることは考えてもいなかった。
俺はずっと ―――――― だったから。
「しかし……、この城の門はこんなに遠かったのか」
いつも、移動は機械に頼っていたから気付かなかった。
「そうですね~。まあ、それでもオレたちが出るまでは天井……、なんとかもちそうですよ。床の方も、まあ、なんとか?」
どこか呑気な声で、横にいる少年は答える。
「……お前も、本当ならシオリを助けに行きたいのではないのか?」
本来ならば、仕えるべき主人であるそちらが最優先のはずだ。
それなのに……少年は、ここに残る方を選ばされた。
「オレが行っても役に立たないんですよ」
「は?」
どこか、耳を疑うような言葉が返ってきた。
「オレは自身の強化はできても他人の補助や強化はできない。できることと言ったら治癒ぐらいです。だから、高田……アイツの方には兄貴が行くほうが正しい」
「だが、シオリが怪我をしていた時はユーヤには癒せない。あのリヒトも……、癒しのタイプとは思えないが?」
俺がそう言うと、少年は黙る。
どうやら、その可能性は気付いていながらも、否定をしたがっているようにも見えた。
「リヒトは、ああ見えて耳がかなり良いんです。それに兄貴が間に合えば、今以上に傷を広げるようなことはしないでしょう。そして、瞬間的な状況判断力もオレより兄貴の方が上です。今、高田の傍にいると思われる者は、多分、オレでは対処できないような相手でしょうから」
唇を噛みながら、少年は自分に言い聞かせるように言う。
「シオリの……、傍にいるモノ……か」
ソレがこの事態を引き起こした者だということは、俺も……、そして、この少年も知っている。
そして、その相手に俺が敵わないことも。
「確かに場には……、ユーヤが一番適切なような気がするのは確かだな。だが、それならば、三人で行くという選択肢もあっただろうに、何故残った?」
「あまり喋っていると体力を落とすだけですよ」
「痛みを紛らわすためと気力を維持するためだ。付き合っても損はないだろう」
それでなくとも、まだ出口までは遠そうだ。
「オレが残らなければ、カルセオラリアの王族は全滅でしょう?」
顔に似合わず辛辣なことを口にした。
この辺は、まあ、あの男の弟だ。
よく似ていると思った。
「悔しいがそのとおりだ。俺一人では、諦めていただろうな」
諦めかけていたし、覚悟もしていた。
これは自分たちの報いだと。
だが、俺たちのそんな甘い考えを乱暴な形で叩き壊したのがあの男であり、そんな俺らを救おうとするのがこの弟だった。
形は違うが、「最後までその責任はしっかりとれ」……、と。
「諦めることはオレも兄貴も許しません。生きている以上、しっかり足掻いてください。本当に贖罪の気持ちがあるのなら。そうでなければ、兄貴の行動が無駄になってしまう」
人間の残酷な面を見せれば、そんな耐性などほとんどない妹は、出血量の関係もあって、気絶するのは確実だっただろう。
騒ぎ立てて、より出血量を増やすこともなくなる。
現に、妹は今、意識を失っているため、重くないといえば嘘になるが、足手纏いにはなっていない。
あの男は、全てを救うためにあの場で決断したのだ。
弟の前で俺を見せしめのように扱ったのも、この少年に即決させるため。
友人とはいえ、王族に乱暴を働けば自身がどうなるかも承知の上で。
あの男が本当に最終的なプロテクトの解除法に気付かなかったはずがないのだ。
アイツは知っている。
貴重な王族の血などそう多くは流せない。
だから、重要機密を保護するためには、王族の血で保護することが最適だということを。
つまり、それらの遣り取りは、弟が来るまでの時間稼ぎだったのだろう。
そうでなければ、咄嗟に、崩れてきた物から俺たちを護ったことと、その後の行動は結びつかない。
だが、この弟は――――?
そんな兄の思惑を理解した上でも納得するのは別の話だ。
常日頃、傍にいた主が確実な危機にあっても大人しくしていられるような人間だとは思えない。
どちらかというと、他人を傷つけてでも主のみを護ろうとするタイプだと思っていたのだが、読み違えたか?
「高田は……、絶対、大丈夫だ。兄貴なら……」
城が崩れる音の中で、そんな声が聞こえた気がした。
その言葉は、どれほどの思いの中で発したものだということかは、この時の俺には理解できなかった。
この少年が苦渋の思いで選び取った道と、その理由を知るのはもう少しだけ先のことになる。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




