転移の果てに
今回の話は、人によってかなり不快感を催す表現があります。
ご注意ください。
こぽこぽこぽ……。
どこかで聞き覚えのあるような、一度も聞いたこともないような不思議な音が絶え間なく聞こえてくる。
何故だか、頭がぼーっとして、今、自分がどんな状態にあるのかを考えることもろくにできず、身体も指一本動かす気力が起きない。
魔法の干渉によるものではないと思う。
眠らされていたわけでも、意識を奪われていたわけでも、麻痺させられたわけでもなく、単に転移のショックと、その直後に頭を打ったのか、少しだけズキズキと痛んでいた。
だから、どれくらいの時間かは分からないけど、わたしは気を失っていたのかもしれない。
頭の痛みが少しずつ引くとともに、身体はともかく、今の状況を判断しようと頭は動き始めたようだ。
仰向けになっているのか、視界は広がっていた。
でも、何か見えるはずなのに、この場所自体が暗すぎて、今は何も良く見えない。
奇妙な音は、変わらず規則的に聞こえてくる。
その音にわたしは何故だか、人間界で見た水槽で飼っている金魚や熱帯魚を思い出していた。
カツン、カツン……。
不思議な音に混じって、やはり規則的な何かの音が頭に響いてくる…………。
それが、床に響く足音だと気付くのに、わたしはかなりの時間を要した気がした。
「ようやくお目覚めか、風の娘」
倒れている傍で、誰かが見下ろすように立っている。
わたしはその顔や姿、声にも覚えがあった。
「お前と話すのは二度目だな、風の娘」
わたしの意思とは関係なく、彼は喋り始める。
彼は元々、わたしと会話をする気などなく、ただ、自分の言いたいことだけを告げる気のようだ。
初対面の時もそうだった。
あれを会話と言って良いのかも分からないけど。
「お前のことは、マオやトルクスタン、そして、カズトより話だけは聞いている。とりあえず、身体を起こせ。目が覚めたばかりでもそれくらいのことはできるだろう?」
言われるまま、わたしは身体を起こすことにした。
何にしても、会話をする相手に対して、身体を倒した状態で話を聞くのは失礼だろう。
相手の態度はともかく。
そして、そのまま、彼に向かってなんとなく正座をする。
そのわたしの目の前には、この国の第一王子である「ウィルクス=イアナ=カルセオラリア」さまが立っていた。
身体を起こしたことにより、薄暗い部屋でも、近くのモノなら目に入るくらいにはなる。
そして、真正面を見据えてから、あることに気付く。
彼は、わたしの顔ではなく、別の場所を見ていたのだ。
それも、無遠慮にじろじろと……。
具体的には、肩とか、左腕とか、頭……だろうか?
幸いにして、異性と意識されているようではないのだが、とてもではないけれど、そんな相手に向き合う気にはなれなかった。
威圧的な物言いと、それに伴う高圧的な雰囲気。
わたしの知る王族たちの誰にも該当しない異質な眼差しはまるで、半分以上正気を失っているような彩りをしている。
真央先輩は凄い。
それでも、この人を尊敬に値する人物だと褒めることができるのだから。
わたしには無理だ。
この人とは存在する次元すら違う気がする。
疑念や驚愕は多々あるし、多少の戸惑いはあったけれど、不思議と恐れは感じなかった。
だけど、わたしは言葉が出なかった。出すことができなかった。
彼と向き合おうと身体を起こし、座ったわたしの視界にすぐ入ったモノ。
すぐ目に付いてしまったモノ。
目の前にいるこの人の横に当然のように存在するモノに、目を奪われてしまったからだ。
ゴクリと、唾を飲み込む音が、やたらと大きく聞こえた。
彼に何かを言わねばならない。ソレが何であるかを聞かなければならない。
だが、わたしの本能がそれを阻んだ。
それを一度口にすれば取り返しの付かない方向へ言ってしまう気がしていたのだ。
確かに今のわたしには恐怖という言葉はない。
それはそのモノ自体は特に恐ろしいものではないことを意味しているのだと思う。
だが、その恐怖と言う感情が働いていなくても、わたしは、この先の危険を察しているのだ。
「言葉もないか?」
彼は嘲笑を交えて言った。
「無理もない。お前のようなものには過ぎた光景だ。これらを目にすることができるのは、この場に来ることが許されているのは、この城内でも俺とマオだけ。それ以外の者は例え、国王陛下といえども立ち寄ることはできぬ神域なのだ」
その言葉に少し、寒気がした。
それは、真央先輩が……、この光景を見ていたということだったから。
「お前のような娘には、コレが何であるかも理解できまい」
そう言って、彼はガラスのような材質でできた、筒状になっている不思議な液体などが入った水槽のようなケースを愛しそうに撫でる。
それは、まるで自分の大切なものを慈しむような光景だった。
そして、同時に悟る。
先ほどから絶え間なく聞こえている音は、このケースたちから聞こえてくる音だったと。
「何故、何も言わない?」
言えば、何か壊れてしまう気がしたから。
「何故、何も応えない?」
応えれば、わたしは抑えられない。
だが、わたしが彼に感じているのは間違いなく嫌悪だった。
生まれ育った場所など、この場では関係ない。
彼は、この場所を「聖域」ではなく、「神域」だと言った。
それはつまり、神の領域だということ。
人間の手に余る大それた行為を行う場所だと。
この薄暗い部屋にはいくつもの似たような水槽があった。
液体が入っている以上、この筒状のケースは水槽と呼んでも問題はないだろう。
そして、この水槽にはなみなみと琥珀色に近い色をした液体で満たされ、下の方から気泡が上がっていく。
それ以外入っているモノといったら、いろんな管につながれた紅やピンクの塊たちだろう。
その塊たちはパッと見た限り、ほとんどが人間界のスーパーで売っている色鮮やかなお肉のブロックみたいに見えるのだが、いくつかは、その正体が何であるのかが分かる形になっているのもあった。
彼が愛情深く撫でていたのは、不完全だし、異形ではあったのだが、この中では一番ソレと解ってしまうモノだったと思う。
何年も前、人間界で生物の資料として写真で見たことがあった。
人間界であった保健授業では、その映像を観た。
ソレは手も足もなく、頭と胴体に少し、尾のようなモノが付いていて、時々気泡によって動いているようにも見えた。
ソレが何であるかを理解したとき、よく叫ばなかったと、よくいつものように魔法を放たなかったと、後になってからも思う。
その彼の瞳と同じ琥珀色をした液体に様々な管で繋がれ、浮いていたのは…………。
―――― 人間の胎児に似たナニか……だったのだ。
叫びこそしなかったけれど、身体の震えだけは、生物としての本能だけは止めることはできなかった。
そんなわたしの心境を知ってか、知らずか、彼は言葉を続ける。
「ふん……。一応、なんとなく理解はできているようだな。コレがなんであるかを」
そう言いながら、彼はケースから手を離し、わたしを見た。
それはまるで、飢えた肉食獣のように野性的で、同時に理性の光が見えないような気さえする。
少しでも油断して隙を見せてしまうと、あっという間に喰われてしまいそうだった。
それは、女としてではなく、単純に生命としての恐怖……なのだろう。
「風の娘よ。何故、お前にコレを見せたのか、理解できるか?」
そんなもの解るはずがない。
何の目的で作り出されたのかも解らない肉の塊。
ソレは生きているようでもあり、生きていないようでもあった。
何より、わたしはこの人物が理解できない。
このような異質な空間で平然と、いや、寧ろ誇らしげにしている姿を見ると、この周囲のモノを見るよりも、彼の存在そのものに吐気がしてくる。
「やはり、解らぬか」
嘲笑を浮かべたまま、彼は再び、ケースに触れ、とんでもないことを口にした。
「コレは俺と、マオの血が流れている存在だ」
頭に鈍器で殴られたような激しい衝撃があった気がする。
ソレと同時にその言葉を耳にしたことを激しく後悔した。
こんなの普通じゃ考えられない。
だってこの人は今、「マオ」と口にした。
つまりそれは……ソレは……。
「流石に驚いたか。先ほどより、魔気が乱れているな」
その言葉で逆にわたしは少し、落ち着きを取り戻すことができた。
この人は……、何故だかわたしを挑発している気がした。
そうでなければわざわざ「魔気の乱れ」なんて言葉を口にする必要がない。
魔気が活発に動いた方が、感情が読み取りやすいのだから。
「ほう……。まだ、正気を保つか」
当然だ。
こんなの……、普通じゃないけど、頭がおかしくなりそうだけど、耐えてみせる。
彼の目的が分からない以上、少しでも、彼から話をさせてやる。
その前にちょっと状況を整理してみよう。
彼は、あのケースの中の存在を、「自分とマオの血が流れている」と言った。
つまり、あの胎児みたいなものは、彼らの子だということだ。
仮に、真央先輩が出産したとする。
だが、それが未熟児だったとしても、こんな肉の塊のようなものばかりを生み出すのはまず不可能だろう。
確かにコレらはどう見ても肉の塊ばかりだが、ほとんどが目に見える大きさだったのだ。
人間界で得た知識によると、胎児がある程度の大きさになるまで、実は、結構な時間がかかるらしい。
真央先輩がここに来て2年半ぐらい?
その間で、コレだけの量を出産って……、時間的にも多分、無理。
何より、真央先輩の身体だってもたないだろう。
……とすると、考えられるのは「人工授精」だ。
それならば、一度に何人か生める可能性もある。
だけど、それでもおかしい気がする。
人工授精した後は確か、受精卵は母体に戻されると新聞で読んだ覚えがあるのだ。
こんな風に、何かの実験のように人間の形ですらない胎児のようなモノたちが、水槽の中で浮いているなんてまるで、趣味の悪いSFだと思う。
もしくは、ホラー映画とか。
つまり、これは、ただの実験結果なのだ。
それ以外、今のわたしには考えられなかった。
トルクスタン王子が薬品の調合をしているのと同じように、このウィルクス王子という人は、こんな趣味の悪いものを作り出すのが趣味なのだろう。
それも、婚約者である真央先輩までも利用して。
だが、目の前の男はさらにとんでもないことを口にした。
それこそ、わたしの頭を完全に真っ白にしてしまうぐらい。
今までかつてないほどの強烈な衝撃を与えてくれたのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




