印刷をしよう
「製本するって話は聞いていたけど……」
九十九は、露骨に怪訝そうな顔をしていた。
「それって、私物だから俺の部屋にあるんだよ。印刷機……、と言っても複写機みたいなやつだけど、それがあって、それと、製本する機械がある」
「それは、分かった。だが、なんでオレに聞くんだよ?」
この場には、九十九の護衛対象である栞はいなかった。
いきなり呼び出されたと思ったら、何故か作品を製本する話をされたのだった。
「いや、作業場所が俺の部屋だから? でも、機械のせいで、狭くて、人数は入れない。だから、先に保護者に許可をと思って……。高田さんって、その辺りはかなり疎いみたいだから」
その辺りは、九十九も同感だった。
彼は数日前を思い出す。
いくらなんでも、あの反応は年頃の女としてはあり得ない。
いや、ある意味では、役得でもあったのだけど……。
あれだけ甘い物はもう二度と食えないだろうな……と、九十九は思考を明後日の方向に飛ばしていた。
「で、許可はもらえるかい?」
「その現場を見てみないとなんとも言えないけど、まあ、いろいろと思うところはあるが、当人だってその製本とやらをしたいって言ってんだろ? だったら、するのは良いが、勿論、その場には同席させてもらうからな」
九十九がそう言うと、目の前の男は大袈裟に肩を竦めた。
「やっぱり保護者同伴ってことか……。まあ、問題ないけど、印刷、製本過程なんて見ていても面白くないと思うよ?」
「それでも、あいつがしたいことはできるだけさせてやりたいんだよ。望むことは何でも叶えてやりたいんだ。……だったら、少しぐらいの我慢は必要だろ?」
「それは……恋?」
瞳を輝かせ、九十九に寄る男。
「恋情は皆無だ。オレのは、あんたが国に仕えているのと一緒で、アイツの意思に従う義務があるだけだな」
「面白くないな~。男なら、たとえ上司であろうと、主君であろうと少しでも愛情や愛着が湧いたなら、押し倒すのが自然な流れだろ?」
「どこの国の自然だ?」
「人間界のDVD内?」
「おい!」
あまりの露骨な言い分に思わず、突っ込まざるを得ない。
「いやいや、いろいろあっただろ? アイドル、看護士、教師、上司、先輩、後輩、同級生、幼馴染、義理の姉妹、果ては単なる通りすがりまでと幅広いお相手。そしていろいろなシチュエーション。しかも、一対一じゃないのもあったりさ~。よくもまあ、こんなに考え付くと感心したもんだ。俺、初めて観たとき鵜呑みにしちまって、人間界ってこんな所なのか~と焦ったよ」
「……いろいろ言いたいことがあるが、ソレは保留してやる」
特に年齢的な意味で。
「保留なのか」
「もう出てくるからな」
「え?」
九十九の言葉を、男が聞き返すよりも先に、すぐ傍の扉が勢い良く開いた。
「できたよ! 湊川くん!」
満面の笑みで、封筒を掲げる少女。
どうたら、原稿が完成したらしい。
「そうか……。じゃあ、今から、製本する? 保護者の許可も降りたから」
「え? もうできるの? ……九十九、行っても良い?」
「オレが同伴しても良ければな」
先に話を聞いていたために、九十九としても反対する理由はなかった。
何より、こんな表情の彼女に対して、「駄目だ」とは言えない。
「印刷して、本を作るだけでしょ? それなら、問題ないよね? 湊川くん」
「ないない。むしろ、人手はあった方がいいぐらいだよ。イズミは早々に逃げ出したから、高田さんの保護者がその代役をしてくれれば良い」
どうやら、もう一人声をかけた相手はいたらしいが、断られたことは分かった。
「なんだ? 難しい作業でもあるのか?」
「難しいってより、ちょっと手間がかかるくらい。大丈夫、要は慣れだし」
「あ~、楽しみ~」
少しだけ考えたが、九十九は結局ついて行くことにした。
栞の希望と言うのもあるのだが、単純に自身の好奇心が勝っただけの話だ。
それに、彼女のこの笑顔を見て、誰が反対できると言うのだろう?
「じゃ、俺の部屋はこっち……、ああ、スクーターはない方が良いな。せっかくの原稿がくしゃくしゃになってしまうと勿体無いし、印刷もしにくいから」
そう促され、九十九と栞は先導者に付いて行った。
***
「ほえ~」
「でけぇ……」
二人の言葉は確実に驚きが含まれていた。
この部屋の広さは、自分たちが借りている部屋とそう変わりはない。
ただ、そこにある大きな機械の存在が、確実に、自分たちの部屋とは異なっていることはよく分かる。
「見よう見まねで作ったんだけどね、この製本機は。一応、こんな感じに仕上がるようにはなっているよ」
そう言いながら、カズトは九十九と栞に見本として何冊かの本を渡した。
「これって同人誌ってヤツか?」
意外にも反応したのは九十九の方だった。
「その言葉を知っているのも凄いな~」
「学校に持って来ているやつがいた」
「ああ、なるほど。まあ、自分で描いて、編集してるんだから『同人』で間違いないよ」
「すごいな~、本当に本って感じだ~」
同人誌と言うのを見た事がなかった栞は、製本と言われても、修学旅行のしおりとか、カタログとかそういったものみたいだと思っていた。
「じゃあ、何部、刷りたい? 1から50部くらいならそんなに印刷時間はかからないよ?」
急に言われて、焦る栞。
正直、彼女は1冊で十分だと思っていたからだ。
50なんて数字、考えもしなかったし、そんなに作れるとも思っていなかった。
個人で印刷する感覚なのだから、それは当然だろう。
「その本って……、厚さとか縦横はどれくらいになるんだ?」
唸っている栞の横で、九十九が尋ねる。
「A5版かB5版で縦横は変わるけど、ページは確か20か24くらいだから、厚さは2,3ミリくらいだと思うかな……」
そこで九十九はもう一つ問いかけた。
「カルセオラリア製になるのか? その本は」
「ん? 微妙なとこだな。印刷機、製本機は確かに俺の手作りだけど、これにインクや紙は人間界製だからな~」
「材質は……人間界製か。それなら、魔力を通すことは可能だな」
「ああ、そういうことか」
九十九の言葉で、カズトは彼が何を気にしていたのかを理解する。
「魔力通しは可能だよ。そうしないと、いろいろ搬入が不便でね~」
「搬入?」
「あ、いやいや、こっちの話」
「じゃあ、高田。50部刷ってもらえ」
「は?」
栞が目を丸くして九十九を見た。
「予備は多いに越したことはないだろ? 魔力通しが可能なら、保管も楽だ」
「ご、50ってそんなに刷ってどうするの? 使い道がないじゃない」
「だから、予備だって。どれほどのモンができるか分からんが、誰かにやるってこともあるだろ?」
「う……。配るのは、ちょっと、いろんな意味で抵抗が……」
「良いから、50にしとけって」
「で、でも……、印刷費とか製本代が……」
「ああ? そんなのかかるのか?」
「普通はそうでしょ? コンビニのコピーとかだって、紙代やインク代等で、あの金額を払うことになっているんだし」
世の中、無償というものはない。
特に、この時点で栞が知っているかどうかは分からないが、同人誌……、もとい、自費出版というのは、大抵お金がかかるものなのだ。
「いやいや、今回は、ただで良いよ。次回はそれなりにお金を戴く気でいるけど、今回は俺にとってもお礼の意味があるわけだし」
そうカズトは言った。
何の礼か分からず、栞は首を捻る。
「まあ、50部刷ると言うことで……、試し刷りするから、原稿を渡してくれる?」
「あ、これね」
そう言って、栞は先ほどから大事そうに抱えていた封筒をカズトに渡した。
九十九にとってはただの作業に過ぎないことでも、栞にとっては間違いなくこの行為は大切なことだった。
漫画を描いたこともない九十九に、漫画を描きたがる二人の気持ちは分からない。
ましてや自分で描いた絵……、漫画を、本にしたくなるような気持ちなど、微塵も理解できなかった。
だが、先ほどから見ている栞の心はなんとなく分かる。
彼女の魔気を読むまでもなく、その瞳は強い緊張と固い決意、そして確固たる覚悟を秘めていた。
ただ、九十九が少しだけ、気になったのは、そこに歓喜や、興奮、高揚といった浮ついた感情が見られなかったことだった。
今まで、漫画を描いているところを見てきたが、変な百面相をしたり、妙な気分の盛り上がりを見せていただけに、少しだけ不思議に思いもしたが、極度の緊張からくるものだろうと彼は割り切ることにした。
だから、九十九は気付いていなかった。
自分の主人の表情の本当の意味を。
かつて、法力国家の封印を解く時の緊張にとても良く似ていたことに、この時点で彼が気付いていれば、事態はもう少しだけ変化したかもしれない。
でも、それは仕方のないことで……。
未来を変えようと足掻いたところで、簡単に変えることができないのが、運命という厄介なヤツなのだ
細部に多少の変化させることができたとしても、その根源の変化にまでは至らないのが人間の限界なのである
結果が視えている事態を回避したいと、既に決定付けられている未来を完全に避けて、運命そのものを変えようとするならば、それは因果を捻じ曲げるということ。
だが、ソレは、既に決定しているモノを覆すことができるほど強い能力を持っている者以外に根本的な変化は望めないことなのだ
ソレに逆らうことも許されないのなら、諦めて受け入れるか?
それとも、覚悟して受け止めるか?
そこで両者の決定的な違いは生まれるのだけど。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




