【第4章― 桜が散る夢 ―】大きな樹の下で
ここから第4章となります。
暗い森。
揺れる湖面。
そこで揺れる光の花々。
そして、周囲に立ち込める一面の白い霧。
そんな不思議な場所にオレは一人で立っていた。
「里心でも出たか……?」
この場所に覚えがある。
だが、ここはもう年単位で見ていないはずの光景だ。
今も同じ景色が広がっているのかは分からない。
「こんばんは」
そこには微笑む一人の娘の姿があった。
オレにとっては、それすら懐かしい光景の一つだ。
「こんばんは」
無視するのもおかしいので、なんとなく返事をしてみる。
この状況も、ある意味……、もう二度と見られないと分かっている。
だからこそ、現実であっても夢であっても、その確信が得られるまでは自分からぶち壊す気にはなれなかった。
それでも、夢なのは間違いない。
オレはそう確信していた。
そんなオレに対して、目の前にいる娘は妙にニコニコしている。
恐らく、こちらの出方を待っているんだろう。
「何か用?」
とりあえず、会話を促してみる。
ちゃんと成り立つかは分からないが、少しぐらい考えも分かるかもしれない。
「貴方に会いたかっただけなの」
「なんで?」
「貴方のことを愛しているから」
「………………そうか」
いろいろ突っ込みたいが、我慢する。
「私は貴方の望むことならなんでも叶えてあげたい。そのためにこの身の全てをこの場で捧げても良いの。私のこの気持ち、貴方に届くかしら?」
……う~ん。
まあ、なんとなく分かった。
「オレのことを好きだって言うけど、あんた自身はオレに何を望んでいる?」
「え?」
「さらに言うなら、オレはあんたに望むことなんて何一つとしてないんだけど?」
「な、なんで?」
彼女は動揺しながらも、オレを見る。
涙で潤んだ瞳での上目遣い。
紅潮する頬に、少しだけ荒くなった呼吸。
その姿が庇護欲を誘うほど、逆にオレの気持ちは冷え切っていく。
「オレ、幼女趣味じゃねえから」
「はぁ?」
オレのその言葉で、初めてその娘は露骨に表情を崩した。
「客観的に見てみろよ。今のあんた、その姿はどう見ても小学校入学前のガキだ」
「ええっ!?」
そこで、その娘は自分の顔や身体を両手で確認する。
「ど、どおりで手足は短いし、やたらと凹凸がない身体だと……」
それは、本当に小学校入学前のガキの姿だからな。
そこは仕方がないし、この場合、恐らくそのモデルになったヤツに罪もない。
「で? そんな姿になって、オレに何をさせる気だったんだ? 犯罪か?」
5歳くらいの幼女と15歳のオレ。
現実では、並んで歩くだけでも、周囲から通報される可能性がある。
二十年くらい経てば気にならない年の差かもしれないが、現時点では分かりやすく犯罪の匂いしかしない。
「これは夢なのよ」
「それは分かっている」
「あら? だから……」
そう言いながら、紅葉のような小さい手で、オレの手に触れてきた。
そして、そのまま、別の姿に変えていく。
幼女だったモノは、手足と髪の毛をするすると伸ばし、別人へと変身してしまった。
「こんな風に変身してしまうってこともあるのよ」
「うげ」
その姿を見て、オレは一言だけ、短すぎる言葉を口にする。
「……何? その失礼な反応……。今度は結構、凹凸もあるから何もおかしくはないはずだけど?」
そう言いながら、その女は眉間にしわを寄せる。
ゆったりとした長い髪を上で結んで流し、どことなく知的な風貌のその女にも見覚えはあった。
覚えはあったんだが……。
「選手交代で……」
いくらなんでも、その姿は見ているのが辛い。
いや、確かに嫌いじゃなかったとは思うんだけど……、それでも、彼女は恋愛対象にはなりえない。
正直無理だ!
すっげ~怖い!
また錬石鑑定の日々が始まってしまう!!
「オレ……、20以上歳が離れた女も範囲外だ」
オレは女嫌いではないが、兄貴ほどストライクゾーンは広くないと自覚している。
「もう! 我が儘ね」
キレられた。
この場合、オレが悪いのか?
「あんたは結局のところ、何したいんだ?」
「私は貴方の理想の女の子になりたいだけなの」
理想の女?
「……だったら、姑息な手を使わずありのままで勝負してくれ。頼むから」
「貴方は、理想の姿を望まないっていうの?」
理想の姿なんて知らない。
だが、確実に言い切れることはあった。
「あんた、半人前だろ?」
「あら?」
あの時、目があった気がして、オマケに嫌な予感もしたんだが……。
「あの男からオレに鞍替えする気かよ? 夢魔」
オレは彼女の正体を口にする。
「バレバレね」
「バレバレだよ」
もっと粘るかと思ったが、案外、夢魔はあっさりとそれを認めた。
夢魔は、魔界に生息している精霊族と魔獣の中間みたいな扱いをされている存在だ。
魔力が強い人間の生命力を糧に生きているとされ、謎生命体の多い魔界の中では、有名な部類に入る。
「貴方が魔界人で、私の種族を知っているなら、説明の手間が省けて良いわ」
そう言って、微笑む。
その笑顔は、記憶にある彼女と変わらなくて、腹が立つ。
口調が違うことだけが救いか。
「貴方の生気ってすっごく強いんだもの。あの男も結構だったけどね。今の私には、貴方の方が美味しそうに見えたの」
笑顔で、オレを餌と発言している。
「悪いけど、他を当たってくれ。オレの方はあんたに興味はない」
「そう? 年相応なら異性に興味のあるお年頃……でしょ?」
「その点においては否定しないけど、その代償に生命力や精気は割に合わない」
「大丈夫! 死ぬわけじゃないし。ただ、すこぉ~し、疲れるだけよ?」
「断る」
そこが一番、問題だと思うのはオレだけか?
「なんで~? 僅かな疲労感と引き換えに、現実には手に入らないような甘美な夢と極上の快楽を差し上げるのに。それも、理想の女性の姿で。こんな美味しい話ってないでしょ?」
「あんたにとって美味しいかもしれないが、オレにとってはマイナス要因しか見当たらない」
そもそも最初にあの幼児が出てきた時点で望みが持てなかった。
「あら~? そうは言っても、貴方だって目の前に裸の女性が現れたら、我を忘れて飛びつくでしょ?」
「普通は通報すると思うが?」
状況にもよるが、いきなり裸の女が現れても、嬉しい男の方が少ないと思う。
事故か事件に巻き込まれる前後としか思えない。
特に異性に夢を見る年代の男は、注文がうるさいのだ。
そして、その自覚もある。
「でも、これは夢よ。貴方の夢。貴方の願望であり、内なる欲望が現実化する世界」
そう言うと、周りに不思議なピンク色の風景が浮かんできた。
「桜……?」
この風景も見覚えがある。
これは……、確か……?
「貴方、高田栞さんの彼氏……よね? 一緒にいるところを何度か見たもの」
「まあ、一応……」
「それでも、貴方の中では高田さんが一番じゃないって不思議ね」
「まあ、いろいろと事情があるんだよ」
ああ、なるほど。
今までに現れた女たちはもう、思い出の中にしか存在しない。
だからこそ、ある意味思い入れが深くなるのは当然だろう。
「じゃあ、私がこの姿だったら?」
そう言って……、彼女はまたも姿を変えた。
「うげ。……よりによって、その姿かよ」
オレは歯噛みしたくなった。
「この姿なら、文句はないでしょ?」
「大いにありまくりなんだが?」
「そう? さっきよりも分かりやすく心拍数、呼吸回数も上がっているわよ?」
「まあ、心臓に良くない姿と言おうか……」
できればこんな夢の中であまり会いたくはない。
よりによって……、夢魔は、「高田栞」の姿になったのだ。
「本当の彼女は許してくれていなくても……、夢ならば許してくれるわ」
そう言って、彼女は怪しく微笑んだ。
周りの桜と思われる木が激しく揺れる。
「くっ!」
反射的に少し距離をとった。
オレの魔法は夢の中にいるためか使用は出来ないようだ。
「あら?」
「チッ、魔眼かよ」
思わず舌打ちをした。
魔界にいる魔獣などは人間と異なり、詠唱をせずに自らの眼で対象を見つめるだけで、魔法に似た効果を発揮するヤツがいる。
それが、「魔眼」だった。
この夢魔も魅了魔法と同じような効果がある眼を持っているようだった。
少し、頭がくらくらする。
まるで、誰かさんに胸ぐらを掴んで持ち上げられたときみたいに。
それを思い出して苦笑いしたくなった。
「抵抗の仕方が乱暴なのね。でも、素直で穢れのない人は私、大好きよ。貴方は本当に美味しそうで嬉しいわあ」
そう言って、もう一度、魅了効果のついた眼を妖艶な微笑みとともにオレへ向ける。
今度は避けられない!
そう思った時だった。
『九十九!?』
どこかで、聞いたことのある声が頭の中に響き渡ったのだった。
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