甘い物を召し上がれ
本日、三話目の投稿です。
重苦しい話が続いたので、少し、甘い話をどうぞ。
「高田……、終わったか?」
不意に声をかけられて、顔を上げる。
そこには、いつも近くにいてくれる護衛少年の姿があった。
「九十九……」
「大丈夫……だったか……?」
部屋で何が起きたかは分からなかっただろうけど、何かあったことを察してくれたのか、九十九はそんな風に声をかけてくれる。
「うん、大丈夫」
だから、精いっぱいの笑顔を彼に向けた。
「ちょっと力が抜けちゃっただけ……」
力は抜けたけど、妙にすっきりもしていた。
考えてみれば、自分があれほど他人に感情をぶちまけたのも、ちょっとだけ久し振りな気がした。
最近は、抑えることが多かったから。
「何があったか、聞いても大丈夫か?」
九十九がわたしの横に座りながら、そう言った。
この部屋には椅子がない。
だから、二人とも床の上に座り込む形となっている。
「ん~、何から話せば良いのかな」
彼女とはすごくいっぱい話した気もするし、ほとんど何も話せなかった気もする。
「アリッサム襲撃の別視点……が主だった……かな」
間違ってはいない。
その話も確かにしたから。
「それで、そんな暗い顔をしてるのか?」
おや?
顔に出ているらしい。
「そんなところかな」
わたしはそう言うしかなかった。
先ほどの真央先輩との話を、彼にどこまで話して良いかちょっと分からない。
特に、魔法を使えないって話はちょっと踏み込んだものになる。
だから、わたしはこれぐらいにとどめた。
「泣きそうな顔をしてるぞ」
「ふぎゃっ!?」
そこまでの顔だとは思わなかった。わたしは思わず両手で顔を覆った。
「『ふぎゃっ』……って、猫かよ」
九十九が笑う気配がした。
「魔界にも猫っているの?」
「猫に似た生き物も、犬に似た生き物もいるぞ」
「……犬は嫌だな」
わたしはポツリと言った。
「本当に嫌いなんだな」
「うん。嫌いって言うより……わたしに近づかないでって思っちゃう」
「……近付くな?」
「うん。なんでだろうね? 気が付いたら、そうなっていた」
「……そうか」
九十九も、特にその質問に深い意味はなかったのかそれ以上の突っ込みはなかった。
わたしの犬に対する苦手意識は、本当に気付いたらそうなっていたのだ。
だから、そこに理由はない。
どんなに小さな犬でも、見た目が愛らしくても、近づくと背中に変な気配が走って……言いようもないほど震えがくるのだ。
「部屋に戻るか?」
少し経って、九十九がそう声をかけてくれた。
「いや、もう少しこのままで。どうせ、ここに人はほとんど来ないし」
「分かった」
今は、あまり動きたくなかった。
この部屋は、契約の間と言われている部屋だ。
わたしは、何日か利用させてもらっているが、ほとんど使用する人がいない。
実は、水尾先輩が一番使っている気がする。
「水尾先輩は?」
「焼き菓子食ったら、部屋に戻った」
「そっか」
「お前も食うか?」
「おや、わたしの分まであるの?」
「流石に、全部は食わせねえよ」
そう言いながら、九十九は、床に敷物を敷くと、お茶セットを出した。
その中に、一切れのフルーツが載った焼き菓子もある。
「うわ~、フルーツタルト?」
「この国では『トルテ』と言うらしい。トルクスタン王子がそう言ってた」
そう言えばザッハトルテやキルシュトルテとかを聞いたことがある。
「ほとんど水尾さんに食われたから、これだけしかないけどな」
「いや、普通、ケーキとかは一切れで十分だよ」
こんなケーキがいくつもお腹に収まってしまう水尾先輩やワカがおかしいのだ。
「でも、この国でもスイーツはあるのか」
「トルクスタン王子の話では、作れる人間は限られているそうだけどな」
わたしは一口、食べてみる。
「ふおっ!?」
「年頃の女としては、その声はどうなんだよ?」
「すっごい、美味しい!」
「そ、そうか……」
「うわぁ、九十九の作るものはどれでも美味しいと思っていたけど……、これは凄い」
グルメ漫画のような解説を思わずしたくなっちゃうね。
このツヤツヤ光るフルーツのシロップ漬けとか……、仄かに香る甘い香りとか……。
本当に目で楽しんだ上に、口の中でも楽しめる逸品だよ。
「何?」
九十九がじっと見ている気がする。
「いや、少し、気分が上に向いたみたいだなと思った」
「このお菓子を前に落ち込むのは失礼だよ」
「……そう言う問題なのか?」
そう言う問題なのです!
流石に、ここまで気を使われて、落ち込んでなどいられません。
いつも、思うけど、九十九は護衛対象とは言え、わたしに気を使いすぎだと思う。
わたしが落ち込んでいるからって、こんな極上のお菓子を与えるなんて。
……単純に太らせようとしている気もするけど。
「薬品の調合はどう? 上手くいってる?」
同じ部屋で研究されても、わたしには分からない。
たまに歓声が上がるけど、その凄さまでは分からないのだ。
でも、九十九は楽しそうだった。
料理を作っている時よりもずっと。
「その成果が、今、お前が口にしている」
「え? これ? 薬なの?」
「いや、偶然、甘味料ができた。割と、果物全般にあうみたいだ」
「どこまでも料理から離れられないのね。元は、何の薬の予定?」
「一時的な魔力増幅……」
「……ああ、増幅しそうだね」
甘いものだから、気分が上がる。
そう考えると、方向性はそこまで悪くない気がする。
「水尾さんの魔力は上がったぞ」
「……あれ以上、あの方の魔力を上げてどうするのか? しかも、どさくさに紛れて被験者にするなとかどこに突っ込めばよい?」
「トルクスタン王子が、『これなら、バレない』と」
「バレた後が怖そうだけど」
「身体に害はないことを確かめているから大丈夫だ」
「……そうか」
そして、わたしも今、被験者になっているわけですね?
「あ……」
「ん?」
九十九が何かに気付く。
「カスタード、ついてるぞ」
「え? どこ?」
「ここ」
そう言って、九十九は、わたしの口元に指を伸ばし……掬い取った。
「……ちょっと待て」
「なんだよ?」
「それをどうする気?」
「……? このまま食うが? 勿体ないし」
九十九がそう言いながら、自分の指を口元に持っていくので……。
「待って! そんな恥ずかしいことされるぐらいなら、わたしが食う!」
「は?」
そう言いながら、わたしは彼の指に食らいついた。
「ちょっ!?」
九十九の慌てたような声が聞こえるが、気にしない。
掬い取られたクリームを丁寧に舐めとる。
うん、甘い。
「おまっ!? どっちが恥ずかしい行為だか分かってるのか!?」
「はうっ!?」
た、確かに正気に返れば……、これもかなり恥ずかしい行為だ。
「ご、ごめん! ちょっと慌てて……、洗浄魔法使ってください」
少女漫画でたまに見かける、ほっぺに付いたのをペロリと舐める場面があるけど、実際、それをされると物凄く恥ずかしかったのだから仕方ない。
しかも、九十九は彼氏でもないのに。
なんで、自然にこんなことができちゃうのだろう?
しかし……、それを阻止しようと、相手の指に食らいつくのは、もっと恥ずかしいことだった。
もしかしなくても、これって、女としてどうなのだろうというレベルの話ではないのか?
「汚いもんじゃねえからそこまでしないけど……」
そう言いながら、九十九は自分の指を舐める。
「ちょっ!?」
「ん? 時間が経ったせいか、少し甘さが増したか?」
慌てるわたしに反して、九十九は妙に冷静に分析している。
もしかしなくても、今のは間接的なナニかですよね!?
「そんな味見なら、残った皿でも舐めてよ!?」
「その発言もどうかと思うが……」
九十九は呆れたようにそう言った。
ああ、わたしだけが動揺している。
なんだ?
この少女漫画なシチュエーション?
しかも、わたしが台無しにしている感はあるけど……。
そして、なんで九十九は平気なのだ?
もしかして、誰にでもやっているの?
「よく分からんが、少し、落ち着け」
そう言って、お茶のお替わりを淹れてくれる。
「……ありがとう」
うん、分かっている。
本当に、九十九に他意はないのだ。
うん、分かっているけど……ね。
それでも複雑な乙女心……。
ああ、少し落ち着いてきた。
そして、頭も冷えた。
「お前の漫画の方は?」
九十九が話題転換をしてきた。
「……明日から仕上げに入るかな……と」
「製本すると聞いているが……」
「思ったより本格的だよね。一週間後にするって……」
締め切りをちゃんと作っていなければ、だらだらになっちゃうから、始めに決めておいたのだ。
「製本機まで作っているとはな……」
「流石、機械国家だよね」
「電気はないのにな」
「うん。電気はやっぱり使っていないそうだよ」
「すげえよな、それも……。どんな仕組みなんだ?」
そんな風に、ちょっと慌ててしまった場面もあったけれど、いつも変わらない態度を貫く九十九と呑気な会話をして、のんびりとした時間を過ごしたのだった。
まあ、この数日後に、怒濤の展開が押し寄せてくるわけで、この日がこの国で、何も考えずにのんびり過ごせる最後の日になってしまうわけだけど、予知能力もない自分は、当然の如く気付かなかったのだった。
明日からはまた定時投稿です。
そして、この話で第35章は終わります。
次話から第36話「城崩れる時」。
既に章タイトルから不穏ですが、さらに数章ほど重苦しい話が続きます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




