先延ばしにしても
わたしが通信珠を忘れてきたと告げた後、九十九は無言になってしまった。
「つ、九十九?」
頼むから、何か言ってください。
呆れてるのか、怒っているかも分からない状態と言うのは蛇の生殺しみたいです。
あるいは、真綿で首を絞めるとも言う。
「でも、オレはお前に呼ばれてきたはずだが?」
「へ?」
「いつものように頭の中に声がして……」
「そう言えば……、何故かポケットに入っていた気がする。でも、間違いなく忘れてきたんだよ? あの人に声をかけられたときポケットを探して青くなったんだから!」
「そんなことにナイ胸を張るなよ」
「ナイ胸は余計だよ」
九十九は毎回酷い。
でもわたしの胸は、全然、全然ないわけじゃない!
……そりゃ、ワカや高瀬とは比べ物にならないかもしれないけど、多少の膨らみはある! ……はず。
とりあえず、無言で抗議する。
直接言っても、聞いてくれないだろうし、証拠にしても見せようがない。
「……で、魔界人以外は眠っていたってことだが、お前以外の人間に集団誘眠魔法でもかけたのか?」
「確か、『魔気の護り』とやらが一定基準以下の人間は眠ってしまうような霧を部下が出したとか言っていた気がする……」
「ああ、なるほど。魔法具を使ったってことか……って、その理論ならお前が真っ先に寝るんじゃないのか?」
「彼もそう言っていた」
そこで、不意に彼との会話を思い出す。
寝たとか寝てないとかそんな話だった。
「ああ、アレで余計に疲れたんだ」
「は?」
「いや……、彼が言うには九十九の魔気ってのがわたしについていたらしい。一緒にいる時間が長いせいじゃないかって」
流石にあの話をそのまま口にする気はない。
「オレの魔気が? まあ、確かに最近よく近くにいるから多少、魔気は移っているかもしれん。けど、道具を使ったわけでもないのに護りと錯覚するぐらいの魔気が残るもんか?」
九十九は不思議そうに言った。
「魔気が……残る?」
「さっきの着替えの話に繋がるんだが、自分の私物って言うのは自分が魔力を通した状態、自分の私物だって印付けを無意識にしている状態になっているってことなんだ。まあ、魔界では印付って言われている」
「印付」……。
その言葉から思い出されるのは……。
「犬が自分の領域を誇示している状態みたいだね」
「……あれと一緒にするなよ」
でも、それ以外に思いつかなかったから仕方ない。
「そんなに反応するとは思わなかった。でも、魔気って確か移り香みたいなもんだよね? そうなると、今、わたしに九十九の匂いがしっかりと付いてるってこと?」
ますます犬に似ていると思う。
口にはしないけど。
「……その表現、なんか嫌だな。まあ、結局それに近いってことだろうけど、オレたちそこまで密着した覚えもないんだがな」
なるほど、それで、寝たとか寝てないとかの話になるわけか……。
「まあ、それでお前の身が護られたのは幸いだったな。やっぱり護衛は近くにいるに越したことはない」
「でも、結果として場を荒らしちゃったよ?」
寧ろ、こう静かに寝ていた方があの場では良かったかもしれない。
「ば~か」
「ばっ!?」
なんの捻りもない言葉を口にされる。
「あの場で、お前が無抵抗で寝ていたら、あいつは魔界人探しって目的を果たした上に、お前を何の抵抗なく引っさらうこともできてたんだよ。意識がなければ、通信珠も作用しないからな。あの場で寝なかったのは本当に良かったんだ」
「そうなの?」
「そうなの。それに、いくら治して直せるからって他人を傷つけていい理由にはならないだろう?」
それは……、九十九の言うとおりだ。
確かに彼はあの場を直し、わたしまで治してくれたみたいだけど、それは彼が表沙汰にしたくなかっただけの話。
あの人が、人を傷つけたと言う事実は変わらないのだ。
「あいつが魔界人を捜してどうしようとしていたのかははっきりとは言わなかったが、ミラージュにとって障害になる可能性があるって言ってた以上、強制排除するつもりだったのかもしれない」
「え? な、なんで? 表沙汰にしたくないんじゃないの?」
「相手が魔界人なら問題ないってことだ。元々、魔界人は人間界にはいない存在。だから、消えても、そんなに大きな情報操作を必要としない」
「そんな……」
それは、事実なのだろうけど、そんなことをあっさりと口にされると、思考が置いてきぼりになる。
これまでの常識と違い過ぎるのだ。
「それが魔界人の考え方だ。理解できなくてもいいから、頭には入れておけ」
「う、うん」
だけど、それを教えてもらえるだけマシなのだろう。
九十九がいなければ、わたしはそんな考え方の違いすら知ることもなかった。
「まあ、普通の魔界人なら多少の自衛はできるはずだ。但し、お前は例外」
「分かってるよ」
「通信珠だけは手放すな。今回みたいな思いはオレもしたくない」
「うん。だけど、九十九は疑わないんだね」
「何が?」
「最初に通信珠が本当になかったってこと」
なかったのに後から現れたなんて……、普通はおかしい。
わたしが最初にしっかり探せなかった可能性だってあるのだ。
寧ろ、その説が有力だろう。
「あったら、すぐに呼んでるだろ? あの場を一人で護るなんて無理だ。それに、そこまで小さくないものを探し損ねるほどお前がどんくさいとは思っていない」
「そっかぁ……」
多少ひっかかる点はあるけれど、それでも信用ゼロよりは嬉しい。
「だから、もう二度と忘れるな!」
「はい!」
いきなり大きな声を出されたので、反射的に良い返事を返す。
「……で、確認するけど、九十九に聞こえるのは声だけ?」
「そうだ」
「こう、映像が出たりとかは?」
「そういったタイプもあるらしいが、これはソレとは違う。……じゃないと、お前のプライベートも護れないだろうと兄貴が配慮した」
そういったタイプもあったのか。
それを持たされなかっただけ良いと思おう。
「なるほど。確かにお風呂に入ってるときにその映像が映し出されても困る。雄也先輩はそ~ゆ~気遣いをしてくれる人なんだね。紳士だ」
「紳士……ねぇ」
九十九は変な顔をする。
「? ど~したの?」
「いや、知らないってことは幸せだと」
「ど~ゆ~こと?」
「一つだけ忠告しておく。兄貴には気を付けろ」
「へ?」
真顔で変なことを言われた気がする。
「弟から言えることはそれだけだ。お前みたいなのは範囲外だとは思うが、念のため」
「……たらしってこと?」
「たら……? お前たちって微妙に表現が古いよな。でも、そんな感じだと認識していれば間違いないと思う」
「高瀬系?」
前にふとそんな印象を抱いた覚えがある。
「た……? お前、時々言うよなぁ。高瀬ねぇ……。まあ、近いがある意味もっとタチが悪いと思う。あっちは女だけど、こっちは男だもんなぁ」
「女が女を口説くのもちょっとタチが悪い気がするけど」
「……う~ん」
九十九は考え込んでしまった。
「それにしても、ミラージュ? だっけ? なんなんだろうね? 目的もある意味分からないし」
「ただ……、アイツの状況判断は早い。不利になるとすぐ撤退。あの引き際は見事だ」
「そうなの?」
「そうだ。そして、そこが余計に不気味なところでもある。謎が多い国だと言われているのも納得だ。あれなら証拠を残す隙も少なくて済む」
「思いっきり人目についてるけど?」
「言い換えればそれは人の記憶にしか証拠が残っていないんだ。記憶は証拠としては変化しやすいものだからな」
「う~ん。頭が良いってこと?」
「いや? 頭が良いならもっと方法もある気がする。あんな派手な襲撃をしなくても魔界人かどうかなんてある程度の魔気で判断できるし、個別に狙えば情報操作の痕跡だけでも特定は可能だぞ」
「じゃあ、なんで?」
「派手なこと、人目につく行動ってことは、印象付けが本当の狙い……かな?」
「誰に?」
「……さあ?」
他の魔界人に対してってことだろうか?
「あ、そうだ。九十九は母さん、見なかった? 卒業式に来てなかったみたいなんだけど」
あの騒ぎに巻き込まれなかったのは良かった言うべきなんだろうけど、姿を見ないのは心配だ。
わたしだけではなく、母だって狙われている可能性が高いんだから。
「オレの家に居たが?」
「は?」
「荷物置きに寄ったとき、オレの家で兄貴と密会してた」
「……密会って……。でも、無事なら良いんだ」
そのことにほっとした。
「千歳さんの事は兄貴に任せておけば大丈夫だよ。多分、今回卒業式に来てないのも、兄貴が止めたか……、千歳さん自身の判断だな」
「危険を察したってこと?」
「まあ、お前はともかく、千歳さんの方は封印が解けているわけだし。やっぱりただの人間には思えないよな~、あの人」
「まあ、魔界人に近い人間らしいからね」
本当に我が母ながら不思議だと思う。
そんなことを考えていると九十九が少し、目を逸らしながら聞いてきた。
「で、どうするんだ?」
「え?」
「今日、結論出すんだろ? 受験も終わり、卒業式も無事……とは言いにくいが、なんとか終わった」
わたしが、先延ばしにしてきた問題。
確かに今日決める気ではいたんだけど……、それでもなかなか言葉には出来なくて……。
「九十九の家に母さん、いるんだよね?」
つまり、母も雄也先輩と結論を待っているってことなのかもしれない。
「連れて行って。そこで、返事するから」
「良いんだな?」
「うん」
この話は、逃げていたってどうしようもないことなのは分かる。
そして、先延ばしにも限度はあって。
わたしの中では、とっくに結論は出ていたのだけど、それを口に出したくもなかった。
これから、わたしはどうなってしまうのだろう?
それでも、はっきり言えることは、このままじゃどうしようもないってこと。
自分の力だけじゃどうにもできない所まで来てしまったのだ。
だから、ちゃんと告げよう、自分の意思をしっかりと。
この話で、第3章が終わります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。