皆、何かを抱えている
『シオリには、話した』
唐突に褐色肌の彼は言った。
だが、それだけで黒い髪の青年はその意味を理解する。
「そうか」
それだけ返答した。
『怒らないのか? 勝手なことするなと』
「怒る理由はないな。その件に関しては、元々リヒトの問題だ」
飾る言葉も無く黒髪の青年は淡々と答える。
尤も、このリヒトと呼ばれる彼に対して言葉を飾るのは無意味なのだが。
『シオリには隠せなかった』
「まあ、そうだろうな。俺も時間の問題だとは思っていた。九十九や他の人間ならまだしも、彼女に誤魔化しは効かない。表面上を飾ることはできても、あの瞳はそんな上っ面を剥ぎ取り、真相を暴く」
だからこそ、青年は彼女と適度な距離をとっている。
あの瞳はあまりにも強すぎるのだ。
『ツクモとは、違うな』
「ああ、ある種、アレよりタチが悪い」
青年の弟、九十九も真っ直ぐ嘘や誤魔化しを赦さない瞳を持っている。
それは、彼の心を表しているだけなのだが、多少でも罪の意識を感じられる人間にはそれだけで強い圧迫感を受けるだろう。
良心の呵責というやつだ。
だが、先の少女はそれと違う。
その瞳は、持ち主の心を反映しての強さもあるが、彼女の場合、良心の呵責よりも、心の脆さや醜い一面すら暴き出す。
例えて言うなら、九十九の瞳は悪人に良心を呼び起こすが、栞の瞳は聖人が隠す邪心すらも引き出すというとんでもないものだ。
まあ、これは極端な例なのだが。
『ただ、シオリも邪心を抑える力もあるようだが?』
「アレは瞳の効果じゃない。彼女の性格だ。それに邪心を抑えるというより毒気を抜かれると言った方が正しい」
過去に自分に害しようとした人間に対しても、無防備極まりない言動。
例え、敵として対峙してもふとしたきっかけで何事もなく接することができるのはある意味、真っ当な人間のすることではない。
『だが、それがシオリの最大の武器だ。それだからこそ、シオリは未だに五体満足でこの場にいることができる』
「同時に敵も作りやすいがな。彼女は悪い人間を見過ごせない。そして弱い人間を見捨てられない。別の角度から見るとそれは邪魔な行為だ」
『その心に俺は救われているから、あまりその件に関しては何も言えないな』
褐色肌の少年はどこか自嘲気味に笑った。
彼があの森で、同胞より受けていた行為。
それが、彼女の中にあるナニかに触れた。
もし、それがなければ、この長耳族の少年は、今も尚、「穢れ」を払うための生贄となっていただろう。
閉鎖的な領域では、フラストレーションを解消するために、弱き存在が必要悪となる。
彼と言う存在は、あの集落にとって、ただのストレス解消の道具だったのだろう。
「何も言う必要はない。そして、彼女も余計なことは知る必要はない。彼女から見れば悪意ある行為も必要な場所ではそれが正当だ。だが、俺たちは彼女が正しいと思えばそれに従う」
黒髪の青年は迷いもなくそう言った。
『それが、この世界にとって災いを呼び寄せるきっかけとなっても?』
「……当然だ。勿論、多少はその道を修正させていただくけどな」
『シオリが何も知らないのを逆手にとって、自分たちに都合の言い様に動くよう吹き込むのか?』
褐色肌の少年は、その眉を顰める。
「言葉は悪いがそんなところだ」
黒髪の青年は不敵に笑った。
「尤も、俺たちがどうこう言ったところで彼女は一度決めた考えは余程の抑止力がない限り絶対曲げない。そこが厄介ではあるが、そうでなければ彼女らしくもない。難しいところだが、そこは俺たちが補助するしかないのだろうな」
『教育係は大変だな』
「いや、楽だ。九十九よりは、かなり楽をさせてもらっている」
そんな不安定な主の隣にずっといるのはかなりの苦労がある。
『……ツクモは大変というか、気の毒だ。例の「命呪」とやらの縛りがあるとはいえ、あれでは自由に振舞えない』
「自由に振舞うのは可能だが、あれは性格だな。世話焼き本能と言うか。誰もあそこまで徹底した過干渉で過保護を披露しろとは言っていないのだが」
『それを知っていて止めないんだな』
「面白いし」
『……』
リヒトはとりあえず、その口を閉じた。
彼は、この青年が真実、楽しんでいることを知っているのだ。
自分の弟の無駄で無意味な苦労を。
図らずも、そこまで捻じ曲がっている理由は知ってしまったが、それを口にすることはできない。
だから、黙るしかない。
『ああ、ついでにシオリに告白した。真面目に』
「……は?」
話を変えようとリヒトが唐突に切り出した言葉には、流石に黒髪の青年も目が丸くなった。
『命を救われた少年が救ってくれた少女に感謝し、それが恋慕の情に変わってもおかしくはないだろう?』
「いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず、『少年』は訂正しておけ。生を受けて100年以上経っている人間は歳が少ないとは言わない」
そう。
その見た目はともかく、この長耳族であるリヒトは「100歳を超えている」のだ。
50歳どころの話ではなかった。
『恋愛に年齢は関係ないだろう?』
「関係は無いが、『少年』というのだけはやめてくれ」
『ユーヤは少年じゃないからか? 見た目も、年齢も』
「それを言い出したら、見た目はともかくアイツらだってもう17歳を超えている。そろそろ少年、少女と言いがたくなる年齢だ」
『シオリはまだ十分通用しそうだが、ツクモはそろそろ違うだろうな』
「……何か、心当たりでも?」
リヒトの意味ありげな言葉に青年は少し眉を顰める。
『この国に来てから、ツクモハ、大きく心が乱れている』
「……そうか」
『これは……、シオリに伝えた方が良い……か?』
「いや、やめてやれ」
『そうか……』
青年の言葉の意味をどう受け止めた分からないが、リヒトはそう答えた。
『ユーヤは不思議だ』
「何が?」
『シオリが絡むと普通の女たちより心が揺れる』
少しだけ、楽しそうに長耳族の少年は、口にした。
『当然だ。その理由は分かっていて口にしているだろうに」
『分かっている。ただ、コレをオレが口にしたらどういう反応が返ってくるのかを知りたかった』
「随分と悪趣味になったものだな」
『俺の教育係はユーヤだ。だとしたら、師に問題があるとは思わないか?』
「ああ、悔しいが良く似ている。表面上の俺にな」
『言動だけだ。気にするな』
そう。
リヒトが口にしているのは青年の言動に似ているだけだ。
内面まではこの青年でも分からない。
「俺は情操教育にまでは責任持てないからな」
『大丈夫。ユーヤやシオリ、ツクモ、ミオの中にいて人間が曲がるなんてありえない』
「そこがお前の凄いところだと思う」
そう口にして、青年は口を塞ぎかけたが……、彼の前ではその行為自体が無意味なことに気付く。
『あの森のこと、無かったことにはできない。でも、あったからこそ、今、ここでこうしていられる』
そうリヒトは柔らかく笑った。
森での出来事……。
それが、彼に影を落としているはずなのに、それを感じさせることはなかった。
それは彼の凄いところだと心底、青年は思っている。
だが、それは彼に救いにはならないのだ。
既に起きた出来事は無にすることはできない。
その結果はどうであれ、彼が数十年以上も同胞から虐待を受け続けていたことは事実なのだから。
その傷が出会って数ヶ月そこらの人間たちに癒しきれるはずもないのだ。
『気にするな。ユーヤの傷も、ツクモの傷も、ミオやシオリの傷も浅くはない。それでも曲がっていないお前たちだからこそ、俺も安心できる』
生まれて10数年の人間だ。
全くの無傷と言うわけにもいかない。
青年たち兄弟は幼い頃に両親を亡くし、その果てに今がある。
シオリも同じ血を引く人間や、得体の知れない者たちからも今もその身を狙われ、母と離れ逃亡の身となった。
ミオも自分の国が滅亡し、両親も行方が分からないままだ。
『皆、何かを抱えているが、お前たちのはとりわけ深い。……それでも、笑顔でいられるのは凄いと俺は思っている』
それはただの傷の舐めあいなのかもしれない。
だが、それでも、集い、共にいる。
これから先はどうなるか分からなくても、今はソレで良いとリヒトは続けた。
出会いに偶然はなく、全ては必然なのだ。
そして、その必然こそが今も歴史を創り続けている。
何気ない日常の重なりが、やがて後世に語られる歴史の礎となるために。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




