伝えるべき言葉
「……あなたは、巻き込まれた?」
何かに気付いたように、彼女は俺を見る。
「俺の国にもともといた神の意識だからな。父親が解放した時点で、俺じゃなくても誰か選ばれただろう。寧ろ、他の奴じゃなくて良かったと思う」
「……なんで?」
「それがどんな形だったとしても、俺はお前を手に入れることができる」
そこに自分の意識があるか、ないか。
違いとしてはその程度のものだ。
「嘘つき」
彼女はいつになく鋭い瞳を俺に向けた。
「なんだと?」
「それを本心で言うなら、抵抗せず、とっとと身体を明け渡しているでしょう? あなたは消えたくないはずだよ」
そんな分かり切った言葉を口にする。
「……っ」
俺は一瞬だけ言葉に詰まったが……。
「そんなの、当り前じゃねえか。誰が……、自分以外に……」
「死にたくないよね。誰だってそうだよ」
似た状況にあるからこそ……、そう言う彼女の気持ちも分かる気はした。
「ライト、少し、頭を下げて?」
彼女が俺の瞳を覗き込むように声をかける。
「? なんだよ?」
そこに先ほどまでの警戒心が見られず、逆に俺の方が警戒心を強める。
「わたしが、どれだけ覚えていられるかは分からないけれど……」
そう言いながら、彼女は俺の方に手を伸ばす。
「お互い、少しでも抗いましょうか」
微笑みながら、俺の頭を撫でた。
誰かに頭を撫でられたのはかなり久し振りだった。
最後に俺を撫でてくれたのは……、それを思い出しかけて……、思わず笑いが出そうになる。
俺の短い人生で、頭を撫でるような人間など、昔からこの女しかいなかったのだ。
「はっ! 残酷な女だ」
そう言いながら、俺は彼女の手を振り払う。
本当に残酷な女だ。
これ以上、惜しませるなよ。
「だが、少しだけ肩を貸せ」
彼女の返事も待たずに肩に額を付けた。
覚えていないなら、これぐらい許せ。
「どうせ、消えることが分かっているような人間に酷いことしやがる」
そう皮肉を言いながら。
だが、彼女は弱った人間にも容赦はしない。
「死にたくないのはわたしも一緒だよ」
ただ一言。
だけど、普段は出さない彼女の本音。
それでも、彼女の声は、迷わず力強くて……、そんな言葉を言わせてしまった自分が情けなくなってしまう。
「そうだな、まだ俺も死にたくねえよ」
それでも、簡単に割り切れるようなら苦労はない。
それも、通常の「死」ではなく、自分の意思を消された上、よく分からないモノに身体を乗っ取られるような死だ。
肉体と魂がどんなに強固な線で結ばれていても、そこに「神」という理不尽な存在に割り込まれれば、あっさりと排除させられてしまう。
「『運命の女神は勇者に味方する』って言葉があるよね」
不意に、彼女がそんなことを口にした。
「ああ」
「あなたの国の言葉ではどう言うの?」
「は?」
「以前、6大陸の言語では聞いたけど、その中に、ダーミタージュ大陸言語はなかった気がする」
そう言えば、そんなこともあったな。
「『A sorte protege os audazes.』」
「ぬう。やはり聞き取れない」
彼女の耳の近くで、割とゆっくり言ったつもりだったが……、彼女は外国語の聞き取りが苦手らしい。
「俺の国の言語で聞いてどうするんだよ?」
俺は顔を上げないまま、そう言った。
「大したことじゃないのだけど……、ミラージュはやっぱりダーミタージュ大陸のことだったのか、と理解した」
俺はその言葉で思わず顔を上げた。
「あなたは知っている? 6000年前にこの世界の地図上から姿を消した大陸があるんだって」
いつものように笑う彼女。
だが、今は、それに何かの含みがあるような気がしてならない。
「随分、腹芸ができるようになったもんだな」
「腹芸? そんなことした覚えはないな。それに、腹芸ならいちいち口に出して確認なんかしないでしょ?」
それは彼女の言う通りだが、まんまと言わされてしまった自分に腹も立つ。
「単純に、7大陸コンプリートしたかっただけだよ」
「覚えてから言えよ」
「そ、それは……、『Fortune favors the brave.』、『La fortuna aiuta gli audaci.』、『La chance sourit aux audacieux.』、『Das Glück ist mit den Tüchtigen.』までで、勘弁してください」
ライファス大陸言語、シルヴァーレン大陸言語、グランフィルト大陸言語、スカルウォーク大陸言語か……。
普通に考えれば、それだけ知っていれば十分だとは思う。
会話については、脳内に備わっている自動翻訳が勝手に働くようになっているのが、この世界の人間だ。
何らかの事情で誤作動が働かない限り、会話は成り立つようになっている。
だから、外交に関わらない限り、他大陸言語を覚える必要などない。
「随分、切り替えがうまくなったじゃねえか」
「リヒトのために頑張りました!」
彼女は胸を張って嬉しそうな顔をする。
「リヒト? ああ、あの黒い長耳族か……」
「彼も元気だよ。言語の問題もなんとか解決して、今は、すっごくいろいろ言葉を覚えようとしている」
「言語障害の原因は分かったのか?」
あの長耳族は何故か、意思疎通もできないほど言葉が通じなかった。
「多分、人間と長耳族の混血なんじゃないかって。異なる能力が言語阻害の原因だろうと思われるけど……、当事者はもういないから、確認もできないけど」
「まあ、そうだろうな」
あの褐色肌の長耳族を産んだ母親は既に亡くなっているらしい。
まあ、産ませた父親は生きている可能性はあるだろうが。
ただ、数十年もあの状態が続いていたのなら、今後も父親が名乗り出ることはないだろう。
「お前は今後、どうするつもりだ?」
「どうするって?」
「その左腕を含めたこの先の話だ」
「どうするんだろうね?」
「おい、こら」
冗談めかして言う彼女に苛立ってしまう。
「いや、ホントに分かんないんだって」
彼女は困ったように言う。
「セントポーリアにもストレリチアにもいられなくて、この国まで来たけど……。もう情報国家に目を付けられるっぽいから、どの国にもあまり長居はできないって思っている」
「情報、国家にも……?」
もう目をつけられている……と?
「うん。『聖女の卵』は目立ちすぎたらしい」
「お前、本当に行く場所がなくなるじゃねえか」
「そう言われても、仕方ないよ。捕まりたくなければ逃げるしかない。最終的には、どこかの森の結界内で隠遁生活かな……と」
自分のことなのに、他人事のように言う。
そんな彼女に覚えがあった。
「俺の所に来い」
俺は思わずそう口走っていた。
「おや、珍しい。お誘いじゃなく、命令?」
それを聞いた彼女はいつものように笑う。
「情報国家に狙われて逃げ切れると思うか?」
「逃げ切っている国もあるよ?」
「だから、来いって言ってんだよ」
自分の状態を考えると、彼女をどこまで守り切れるかは分からない。
だが……、この「聖女」をあの「情報国家」だけには渡せない。
「う~ん……。遠慮しておくよ」
少し考えて、彼女はそう答えを出した。
その答えは分かり切っていたのだけど……、それでもどこかで期待はしていたことに気付く。
「アナタは、アナタの守るべきものがあるのでしょう? ライト」
彼女はそう言って笑った。
「それを守るために全てを捨てる覚悟があるのではなかったですか?」
それは自然すぎて聞き逃しそうな言葉。
それでも、その言葉は忘れない。
何故なら、その言葉は……。
「さて、そろそろ時間みたいだよ」
「ま、待て! シオリ、今のは……」
思わず彼女を呼び止めようとするが……、既に周囲の景色が白んできた。
彼女が言うように、目覚める時間のようだ。
彼女の出した桜の花も散り始め、白い靄はさらにその色を増す。
「じゃあね、ライト」
彼女自身は、伝える言葉は伝えたとばかりに、彼女は手を振った。
俺は一番、大事なことを伝えられなかった。
だが、それは、結果として、良かったのかもしれない。
―――― 「高田栞」の夢にいたあの少女は、「高田栞」ではなかったのだから。
この話で第34章は終わりです。
次話から第35章「趣味は人それぞれ」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




