鉄壁の守護
―――― 彼女は、夢の中にいた。
いや、正しくは誘い出した……と言うべきか。
もともと何故か、疲労していた身体だったから、前もって部屋に仕掛けていた魔法で、彼女を眠りの淵に落とすことなど造作もないことだった。
「そうだよね。夢に入れる人だもの。夢に引きずり込むなんてわけはないか」
俺がその場に行った時、目の前で、まるで彼女は犯人が分かっているような独り言を口にしていた。
『人を夢魔みたいに言うなよ』
思わずそんな声をかけていた。
「夢魔よりマシだとは思うよ」
彼女は振り向きもせず、そのまま続ける。
「生命力を吸い取るようなことも、樹に吊り下げるようなこともしないから」
「生命力はともかく、樹に吊り下げるってなんだよ? 夢魔相手にどんなマニアックなプレイを希望したら、そうなるんだ?」
普通、夢魔……淫魔族とも呼ばれる精霊族は、夢に入った宿主の理想的なシチュエーションを夢に見せ、その代わりに生命力を奪う種族だ。
普通の性癖なら、樹に吊り下げられるようなことはまず……ない。
少なくとも、俺の理解できる趣味ではなかった。
「夢魔のお食事を邪魔しようとしたら、樹に吊り下げられたことがあった」
「……夢魔の食事? あの弓道部の男を助けようとしたのか?」
あの頃は、夢の中の出来事までは流石に、俺は入ることができなかった。
夢への介入は最近、契約できた魔法だ。
だが、俺の知る限り、彼女が夢魔と関わったとしたら、あの男ぐらいだろう。
「ぬ?」
彼女は一瞬、奇妙な顔を見せたが……。
「いろいろありまして」
そんな分かりやすい誤魔化しをするので、俺は呆れてしまった。
本当に関係なければ、もう少し、分かりにくい反応をすれば良いだけなのだ。
それでも、彼女はそれを選ばない。
まあ、自分の意識が元となって創り出されている夢の中で、隠し事をするのは難しいらしいから仕方がないことでもあるだろうけど。
「ところで、今回の用件は?」
彼女はさらりと話題転換を選んだ。
俺にこれ以上突っ込まれると、何か不都合なことでもあったらしい。
まあ、あの相手は女型の夢魔だった。
だから、彼女に害はなかったと思い、そこまで気にしないようにしてやる。
樹に吊り下げられたという言葉が気にかからなかったわけではないけれど、現実でないのだから、これ以上この話題を掘り下げても仕方ないだろう。
誰にとっても得になることがない。
「用がなければ、お前に会いに来てはいけないのか?」
「あなたは、用がなければ、会いに来るタイプではないでしょう?」
けろりとした顔で彼女はそう答える。
いや、確かにそうかもしれないが、少しぐらいは反応してもらいたいものだ。
年頃なのに、明らかに情操教育が足りていない。
いや、昔より突き抜けて鈍くなっている気がする。
昔はもっと年頃の少女らしい反応をしていたような?
「そこで、少しぐらい顔を赤らめてくれたら、俺の気分も変わるのだが……」
特に期待したわけではないが、それでも、少しぐらいは……と考えてしまう。
だが、彼女は無言で首を振った後……。
「そんなサービスをする理由がない」
きっぱりと言い切った。
しかし……。
「……サービスって……」
どうやら、彼女にとって、頬染めはサービスの一環でしかないらしい。
それだけ、この少女はストレリチア城で「聖女」として守られてきたのだろう。
彼女自身が拒絶しても、その扱いは間違いなく「聖女」だった。
王族と大神官に保護、秘匿され、重要な神事にのみ現れて、鋭くスピード感のある「神舞」を舞う、幻の神子。
その神秘性は、かの情報国家すら探り切れなかったと聞いている。
特定の人間以外は近づくこともできなかった「聖女」。
それに、彼女には今も尚、鉄壁の守護神たちがいるからな。
あの城でも、大聖堂でも、ただの神官風情ならば、ほとんど近づくことすら許されなかったはずだ。
この二年間で、高神官一人を始め、大聖堂からはそれなりの数の神官が、還俗……、つまり神職を辞したらしいが、これらは全く、無関係だと思いたい。
それが、これまでにない規模の人数だったことも含めて、何の意図も謀もなかった……と。
「まあ、良い。用件だったな。邪魔が入らないところで伝えたいことがあった」
「邪魔……って、九十九のこと?」
最初に出てきたのが、その名前という辺り、彼女の中で、ヤツがどれだけ大きな存在かが分かってしまう。
「お前の護衛、張り付きすぎだろう? いい加減、鬱陶しくないか?」
あれは護衛の範疇を越えていると思う。
「九十九も、『ストーカー』には言われたくはないと思うよ」
いや、そこじゃねえ。
異性の護衛対象だというのに、文字通り張り付くという表現を実行していることが問題なんだよ。
「九十九は護衛だし、わたしが彼を付き合わせている面も多いから、鬱陶しさはあまり感じていない……かな」
「ヤツを恋人にすると、束縛されそうだぞ」
それは容易に想像できる。
だが、それは彼女が望んだ時のみ。
ヤツは目の前の少女以上に大事にする相手は存在しない。
仮に、恋人という存在があったとしても、優先するのは間違いなく彼女の方だ。
そこに理解がないと、あの護衛の恋人など務まらないだろう。
そう断言できてしまうのにも理由はあるのだが。
「彼の未来の恋人さんは本当に気の毒だね」
これは酷い。
いや、惨い?
彼女の中で、ヤツが「恋人」になる可能性は全くないらしい。
だが……、それはそれで自業自得の面もある、と納得もできるのだ。
「ここまで探りの入れ甲斐が無い方が気の毒だろ」
そんな余計な言葉が、思わず口から洩れていた。
「どういうこと?」
本当に気付かないらしい。
「いや、気付かないなら、その方が俺にとっては都合が良い」
付け入る隙が大きい方が、こちらとしても助かるのだ。
彼女は首を傾げているが、夕方の屋上での出来事だけでも十分、分かるだろう。
ヤツは終始、彼女の口を手で覆っていた。
万が一の事故もないように。
その露骨なまでに分かりやすい対応に腹が立ったから、まあ、少しばかりやっちまった感もあるけどな。
****
「まあ、座れ」
「……どこに?」
素直に問い返されたので、素直に言葉を返す。
「俺の膝?」
「うん、断る」
あっさり拒否された。
夢の中ぐらい、可愛げがあっても良いと思うが、どこに行っても彼女は彼女だな、とも思えてしまう。
「テーブルセットでも出せるか?」
それが一番、イメージしやすそうだ。
「どうやって?」
「お前の夢なのだから、好きなようにいじくれるだろ?」
「……そうなの?」
彼女は不思議そうな顔をした。
どうも、ここが彼女の夢の中だという意識がないようだ。
しかも……。
「何故、桜の木が出てくる?」
「……何故だろう?」
人間界で見たことがある植物がいきなり生えた。
確かにサクラは木材としても優秀だと知っているが、まさか、コレを加工してテーブルセットを準備しろとか言わないだろうな?
だが、彼女はきょとんとした顔を崩さない。
どうやら、この景色にこれ以上、追加要素はないようだ。
「まあ、何もない殺風景な状況よりマシか」
白い靄ばかりの世界よりは、薄桃色の花が咲き誇る世界の方が風情もある。
季節的にはどうかとも思うが、夢にそこまで突っ込んでも仕方がない。
俺が腰を下ろすと、彼女は向かいにそのまま座った。
「いや、なんで、そこなんだよ?」
「木の根に腰かけたら、あなたの顔が見えないじゃないか」
なんで、特別な意味もなくそういうことが言えるのか?
今、切実に頭痛薬が欲しい。
「じゃあ、お前がこちらに座れ。土ではなくても、何もない場所に女を座らせるのは俺の矜持に関わる」
「はあ……」
しぶしぶと言った感じで、俺と場所を交代した彼女は木の根に座ったのだった。
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