まだ死にたくない
「あなたに宿る『魔神』って誰?」
わたしは単刀直入に、彼に向かって尋ねてみた。
「悪いが、俺もよく知らない」
「なるほど……」
その返答に納得してみせる。
神さまに詳しい神官ならともかく、神さまが自分で名乗らない限り、普通の人間に神さまの名前なんて分かるはずもないのだ。
「いや、そこで本当に引き下がるとは……」
「少なくとも話す気はないでしょう?」
「まあ、俺が知らないのは本当だからな。昔からミラージュに眠っていた神だとは聞いている」
ふむ……。
彼の顔からではそれが本当かどうかは分からない。
「『災害』」
「あ?」
思い切って発したわたしの言葉に、彼が怪訝な声を出す。
「『不幸』」
「なんだ? その単語は……」
いろんな言語を知っている彼でも知らないことはあるらしい。
だから、わたしは続けてみる。
「『崩壊』」
さらに彼の眉間には皺がよる。
本当に知らないのだろうか?
それとも……。
「『破壊』?」
わたしの言葉で、彼の瞳が見開かれた。
珍しく彼にしては隠しきれていないほどの驚きの表情。
「なるほど……。破壊の神さま……か」
「お前、なんで、その名を?」
「一応、『聖女の卵』らしいので、多少の勉強はしているよ。大神官さまより、神さまの名前を一部だけ習いましたと言えば良い?」
恭哉兄ちゃんに、聖女に封じられたという魔神の名を聞いたが、その名は、ストレリチアにも残っていないらしい。
ある意味、神さまとしては不名誉なことだったからだろう。
勿論、本当の神さまではなく、その神力を持った限りなく神さまに近い存在だったのだろうけれど、それでも、同じ名前である以上、その信仰心の低下は避けられない。
だから……、その名前は隠されたのではないか……? という話だった。
セントポーリア生まれの「聖女」の名が、どの本にも載っていないことも同じような理由だと思われるそうだ。
「他にも、マイナスイメージの神さまの名前は聞いているよ。頑張って覚えたからね。『死』や、『殺人』、『消滅』とかもちゃんと覚えた。それ以外は、『病気』、『落下』……」
「ああ、そうか……。お前なりに、ミラージュを調べていたんだな」
「少しでも、関わってしまった人間の助けになりたいからね」
アリッサムがミラージュに襲撃され、その結果……水尾先輩は、一時的とは言え、たった一人になってしまったのだ。
ようやく、姉である真央先輩と再会することはできたけれど、自分の父親や母親にだって会いたくないはずがないだろう。
「そうか……。アリッサムの第三王女殿下……」
「まあ、彼女も迷いの森で、直接、襲撃した人の一部を半殺しにはしたらしいけど……」
彼女がそう言っていたなら、文字通り、半分殺されたのだろう。
「ああ。バモスがアリッサム襲撃にいたらしいからな」
「……なんで、その人に忠告していなかったの? 水尾先輩がアリッサムの第三王女殿下と知っていたはずでしょう?」
何の対策もしていなければ、あの魔法国家の第三王女殿下に勝てそうな人間ってそう多くはないと思う。
結果として相手の油断を誘えたみたいだから、わたしたちにとっては良い方向に転がっていたのは間違いないけどね。
「俺自身、アリッサム襲撃には今も納得していない。それに、あの男は嫌いなんだよ」
「王子殿下が人を選んじゃいけないのでは?」
「王子殿下だから使える部下は選びたい。アイツ、陛下から託された兵を半数近く率いて、あの森で返り打たれたんだぞ?」
「相手が悪いことを知っていたのに?」
魔法国家の第三王女殿下は準備も心構えもなければ、大人でも相手をすることは難しいらしい。
「……あの報告を聞いた時、少し、溜飲が下がった。アリッサム襲撃に関わったヤツらをあのグループに纏めて正解だったな」
そう不敵に笑う紅い髪の王子殿下。
どうやら、本当にその人がお嫌いらしい。
「まあ、あなたにシンショクしているのが破壊の神『ナスカルシード』さまの『分神』と言うのはよく分かったよ」
「どうせ忘れるんだろ?」
「忘れるだろうね」
これだけ印象強くても、わたしは夢の中の全てを覚えておくことができないみたいだから。
彼に取り憑いた神様の名前も忘れてしまうに違いないのだ。
「お前に宿る神は?」
「大神官さまは教えてくれなかったな……」
そう。
恭哉兄ちゃんは、わたしに宿った神さまの名を教えてくれたことはない。
だけど、その神さまからわたしが自分で聞き出したことはある。
そして……、不思議とその神さまの名前は忘れていないのだ。自分の命に直結しているせいかもしれない。
「まあ、俺の方でも見当は付いている」
「おや?」
「毎晩、うるせ~からな」
そう言って、彼は左腕を捲った。
「お前に宿る神は知らんが、左腕は聖女の魂を持つお前に会いたいそうだ」
以前、仮死状態になった時、わたしにシンショクしている神さまに会ったことがある。
その時に、その神さまは言っていたのだ。
『受肉した方が早そうだな』
「……あなたは、巻き込まれた?」
「俺の国にもともといた神の意識だからな。父親が解放した時点で、俺じゃなくても誰か選ばれただろう。寧ろ、他の奴じゃなくて良かったと思う」
「……なんで?」
自分の状況を恨んでもおかしくないのに。
「それがどんな形だったとしても、俺はお前を手に入れることができる」
「嘘つき」
「なんだと?」
「それを本心で言うなら、抵抗せず、とっとと身体を明け渡しているでしょう?」
その方がシンショクはもっと早く進むはずだろう。
それでも……、彼は今も自分の魔力で押さえつけ、必死に抵抗を続けている。
「あなたは消えたくないはずだよ」
「……っ、そんなの、当り前じゃねえか。誰が……自分以外に……」
いつもは強気な彼の語尾が珍しくどこか弱弱しく聞こえた。
それは当然の話だろう。
「死にたくないよね。誰だってそうだよ」
だから、昔のワタシは……、人間界へ行ったのだから。
「ライト、少し、頭を下げて?」
わたしは彼の顔を覗き込みながらそう頼んだ。
「? なんだよ?」
「どれだけ覚えていられるかは分からないけれど……」
そう言いながら、わたしは彼の頭に手を伸ばす。
「お互い、少しでも抗いましょうか」
そう言いながら、彼の頭を撫でた。
他人の頭を撫でたのは久し振りだ。
夢のせいか、その感触はほとんどない。
だから、彼の紅い髪の毛は固いのか、柔らかいのかそれすらも分からなかったけれど……。
だけど……、これを少しでも覚えていたい……とは思った。
「はっ! 残酷な女だ」
そう言って、彼はわたしの手を振り払った。
そんなことを言われても、今のわたしにできることなど、ほとんどない。
「だが、少しだけ肩を貸せ」
そう言って、わたしの返事を待たずに、わたしの肩に彼は頭を載せながら、「どうせ、消えることが分かっているような人間に酷いことしやがる」と、そんな消え入りそうな声で呟いた。
そこで無責任に「死なせない」なんて言えない。
わたしは自分に何の力もないことが分かっているから。
周囲からどれほど、「聖女の卵」と言われたところで、シンショクしている神さまのことも、自分自身の手で解決できないのに。
だから……、その替わりに別の言葉を彼に伝える。
「死にたくないのはわたしも一緒だよ」
そんなわたしの言葉に彼は、ビクリと反応する。
どんなに覚悟を決めても。
それが神による天命と呼ばれるものだったとしても。
そんな理不尽な死に方に、ただの人間が納得などできるはずがないのだ。
「そうだな、まだ俺も死にたくねえよ」
彼はわたしの顔の横でそう呟いた。
前に港町で会った時よりも、もっとずっと弱弱しい声で。
だから、わたしは何も言えないまま、ぼんやりと彼が離れるまで、自分の両手を下におろしていたのだった。
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