油断を誘って
「「『シンショク』……」」
ライトの口から出てきた思わぬ言葉に、わたしと九十九の声が重なった。
わたしはなんとなく、自分の左腕を見る。
紅い法珠のついた御守りが、いつものようにキラキラと光っている。
「よく分からないけれど……、ライトの『シンショク』が完了したから、多重人格者になったってこと?」
話を総合すると、そんな感じになる気がする。
「こいつの……、『シンショク』……だと?」
だけど……わたしの言葉に九十九が奇妙な顔をした。
あれ?
これって、九十九が知らないことだったっけ?
「違うな。完了していたら、今頃、俺の人格は食らい尽くされているはずだ。表に出ることもなくなるだろうな」
「そんな物騒なことを世間話のようなツラで言うなよ」
九十九が、分かりやすく嫌悪感を露わにした顔でそう言った。
でも、その気持ちはよく分かる。
本当にライトは自然な顔でそんなことを言うのだ。
諦めたような顔でもなく、自棄になったような顔でもない、ごく普通の表情。
九十九はそれが気に食わないのだろう。
「俺にとっては雑談と変わらないほど、身近な話だからな」
表情を崩さずにそう言葉を返すライト。
その返答に九十九はまだ納得いかない様子だが、それ以上続ける気もないようだ。
「わたしの『シンショク』とは種類が違うんだよね?」
わたしは彼に確認する。
「そうだな。お前のは、生まれる前から魂が神に魅入られている状況。だが、俺の場合は、後から神が割り込んできた状態。言葉は同じ『シンショク』だが、その意味合いが大きく異なる」
「それだけ聞くと、わたしの方が救われない気がするのだけど……?」
生まれる前から取り憑かれているって、逃げることすらできない気がする。
昔のわたしは人間界へ行くことで、一時的に難を逃れたらしいけど、そんなことができるのは限られているだろう。
「お前は、その『シンショク』の果てが分かるのか?」
「気まぐれな神々の意思など人間に分かるものか」
九十九の問いかけにライトは吐き捨てるように言った。
大神官である恭哉兄ちゃんも似たようなことを言っていた覚えがある。
「神は自分が楽しむために、人間を振り回す存在だ」と。
振り回される方はたまったもんじゃないよね。
「ああ、俺に『シンショク』している神なら、目的は知っている。毎晩、煩いからな」
「声が……、聞こえるの?」
幸い、わたしには、そんな症状がない。
それは「シンショク」している神さまの違い……ということなのだろうか?
「基本は夢に入り込んでくるが、それが耳や頭に残る。睡眠学習のようなものだな」
「嫌な学習だね」
安息の時間であるはずの時間が、呪詛タイムでしかない。
……だけど、同時に思ってしまった。
それが、自分ではなくて、良かった……と。
そう思ってしまうなんて、わたしは酷い人間なのだろう。
あまり表に出してはいないけれど、間違いなく彼は苦しんでいるというのに。
「それをここで話す理由はなんだ?」
九十九が当然の質問をする。
確かに、それをここでわたしたちに話す理由は分からない。
「同情を引けるだろ?」
「本気で同情を引く気があれば、もっと別の言葉を用意しているだろ?」
ライトの軽口に、九十九は真面目な言葉を返した。
「本当のことを言えば……」
ライトがチラリとわたしを見る。
その視線の意味を理解する前に……。
「お前たちの油断を誘えるだろう?」
そんな言葉とともに、ライトが窓を開け、直後に移動系魔法の独特の気配がした。
****
「……ここは?」
一瞬の出来事に、わたしは状況が掴めなかった。
「屋上だ」
すぐ近くでライトの声がする。
「屋上……?」
どうりで少し風があるわけだ。
城下の明かりを頼りに、目をこらすと確かに夕方いた場所……とは少し違うけれど、城壁の塔の上にいた。
足場が狭く、酷く不安定な位置に立たされていることが分かる。
風が強いために、油断をすると、身体ごと持っていかれそうだ。
それでなくても、今着ている服は、風を受けやすいのかふらついてしまう。
「すぐにまた移動しないの?」
わたしはすぐ傍にいるライトにそう声をかけた。
普通に考えれば、すぐに逃走するべきだろう。
わたしを連れ去ることが彼の目的ならば、半分は達成しているはずだ。
ここでのんびりしている理由が分からない。
「少し前なら、それを考えた。だが……、その前に確かめておきたいことがある」
「確かめておきたいこと?」
「この国の建物は、普通の魔法を弾く効果がある。移動、転移系を含めて……な。その効果は既に少し前、魔法国家の人間たちの魔法によって証明されているが……、それでも、例外がないわけでもない」
「例外……?」
わたしが再び聞き返す。
「そこにいるだろ、護衛。大事な主を囮にするなんざ、大した神経だな」
ライトが、別の方へ向かって声を上げた。
「こっちにもいろいろ事情があるんだよ」
そう言いながら、九十九が姿を現した。
先ほどまで着ていた服と違って、ライトと同じようなこの夜の闇に溶け込みそうな黒い服に着替えている。
紅い髪のライトと違って、黒髪の九十九は、顔を隠してしまえば完全に姿を消すこともできるだろう。
まあ、魔界人はそんなことをしなくても姿を消せるのだけど。
「ミラージュを探る気だったか?」
「いい加減、こっちも面倒なんだよ。いちいち、現れるお前たちを待ってやるのも」
「浅知恵だな」
「上手くいけば幸運ぐらいの話だった」
もともと成功するとは九十九も思っていない。
「……発案者はこの女か」
ライトに冷えた声が、わたしに突き刺さる。
あっさりバレた。
「兄が考えたにしてはお粗末だし、あんたがこの女を危険にさらすことは提案しないだろう?」
理解されているね、九十九。
確かに、彼は反対したのだ。
そんな危険なことは承知できない、と。
「いや、オレは目的のためなら、結構、そこの女を囮にしてるぞ」
ぬ?
そうだっけ?
そうだった!!
ストレリチアでは散々、囮になっていた。
さらに最終的には、麻袋にまで詰められたほどだ。
「すぐ逃走しなかったのは、それを察したか?」
「いや、まさか、そこまで考えていたとは思わなかったが……、あんたがすぐに追ってくるところまでは、予想できたことだ」
なるほど……。
予想したから、九十九が現れるまで待っていたのか。
「この国の建物は魔法を弾く。だが、穴を開けてやるだけで、転移魔法などの移動魔法は有効となる」
「ああ、だから、窓を開けたのか」
文字通り、建物に「穴」を空けるために。
「その上、そいつ、自分が移動する時に、窓を閉めやがったぞ」
さらに、九十九がすぐ追えないように、窓を閉める……と。
あの僅かな時間に、彼はなかなか周到な措置をしていたようだ。
この建物についてその効果上の「穴」を知らなければ、すぐに追うことはできない。
窓を開くだけで移動ができることを知らなければ、相手のしたことは分からないし、自分が同じことをしようとも思えないだろう。
「だが、そこの護衛にそんな小細工は通用しない。いや、あんたには小細工すら不要だろう? いちいち『穴』を空ける必要もないとは、羨ましい話だな」
ライトはどこまで知っているのだろう。
わたしたちがそれを知ったのは本当に偶然だったのだけど。
わたしは九十九呼び出し専用の通信珠を持っている。
この国で新しい通信珠を購入した時、城下の宿泊施設内でなんとなく、使ってみたのだ。
使えなければ意味がないと思って。
さらに、そのわたしの呼びかけに、いつものように、九十九が応えただけだった。
深く考えずに、いつものようにわたし目掛けて……。
その時、傍にいて一部始終をみていた水尾先輩の驚きは如何ばかりだったのだろうか?
彼女は建物内で、通信珠が使えることは知っていたらしい。
ただ、それは、純粋な魔法ではないからそこまで深く考えていなかったらしい。
機械国家の技術だからと、単純に受け入れていた。
だが、九十九の行動は違う。
彼は明らかに「魔法では越えられない」はずの「建物の壁」を越えてきたのだ。
それは、今までの魔法国家の王女としての知識をひっくり返すほどの衝撃で……、九十九が質問攻めにあったことは言うまでもない。
そして、出た結論は、九十九の使っている移動魔法は……、機械国家の建物内でも有効だったということだった。
ただ、残念なことに彼がその魔法を契約したのは10年以上も昔。
そして、それは彼の師である女性により伝授されたものだった。
つまりは、契約するために必要な情報が書かれている魔法書が不明ということだ。
もしかしたら、雄也先輩は知っているかもしれないが、水尾先輩にとって、それは熟考しなければならないようで、未だに確認してはいないと思われる。
だから……、今回のことを思いついた。
ライトが再び現れることを予測して……。
だが、彼は、九十九が壁を越えて移動できることに気付いた。
恐らく、わたしが風の盾に守られていた時だろう。
いつもと違うライトに対して、わたしは思わず黙って攫われるよりも九十九を呼ぶことを選んでしまったのだ。
それがなければ……、もしかしたら、情報国家すら探しきれないという謎の国の場所も分かったかもしれないのに。
自分の判断ミスとしか言いようがない。
「お前の護衛は本当に優秀だな、シオリ」
ライトがそう言って、わたしの頭に手を置いた。
「ヤツが使っている移動魔法は、機械国家のもう一つの『穴』だ」
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