意外と仲良し?
わたしの背後から聞こえた声に背筋が凍る思いがした。
目の前にある少しだけ、開いていた窓を慌てて閉めて振り返ると……、予想通りの紅い髪、真っ黒な服に身を包んでいる人物がそこにいた。
「よお、先ほど振りだな。……っと、珍しく、随分、そそる恰好をしてるじゃねえか」
そういう彼の言葉は言葉ほど陽気ではない。
わたしの全身が震え、心臓が激しく警告音を鳴らしている。
「ほう……。従者がいないと、状況が分かるか」
彼は薄く笑う。
「ど、どこから入ってきたの?」
この建物は外から移動魔法を使って侵入することは出来ないはずだ。
「どの国の護りにも穴はある」
ゾクリとするほど、妖艶な笑みを浮かべ、彼はわたしに手を伸ばそうとする。
その刹那――――。
どふぉっ!
わたしの「魔気の護り」が発動し、紅い髪の男……、ライトは、数歩、よろめいたように後ろに下がった。
それでも彼は、九十九ほどじゃなくても、風の耐性があることが分かる。
至近距離からのわたしの「魔気の護り」は、相手によっては、壁に張り付けることすらあるのだ。
それだけの空気の塊の放出も、話に聞いていたとおり、周囲の家具に全く影響はなく、微動だにしていないことかなり恐ろしい。
その気になれば、この家具たちは、魔法の盾として使えてしまうということだ。
「思った以上に、激しい歓迎だな」
空気の塊が落ち着くと同時に、彼は顔にかかったその紅い髪をかき上げる。
日暮れに会った彼とはあまりにも違いすぎる雰囲気。
そして、「迷いの森」でわたしを庇った面影はどこにもなかった。
まるで別人のような気配に、身体の奥底から鳴り響くようなこの重苦しいほどの警告音は、昔、出会った高神官に匹敵する。
あれほどの嫌悪感はなくても、危機感が働いているのだ。
だから、迷うことなどなかった。
「風属性盾魔法!」
その叫びとともに、わたしを中心として、激しい竜巻が巻き起こる。
昼間、契約詠唱を唱えたら、この魔法は使えた。
イメージは掴んでいる。
だから、呪文詠唱だけにしてみたが、どうやら、上手くいったようだ。
「ふん、時間稼ぎか」
そんな声が風の外から聞こえた気がした。
これだけの轟音で彼の声が聞こえるわけはないのに。
だけど、分かっている。
わたしに、彼をなんとかする力はない。
この風の盾だって長時間出し続けることはできない。
もし、これが消えてしまったら……、わたしは再び、あの濁った瞳と向き合わなければいけないのだ。
「九十九!」
胸元にいつも着けている御守り袋から通信珠を取り出して、周囲の風にも負けないように呼び掛ける。
通信珠は光って反応する。
声は間違いなく届いた。
後は、祈るだけ!
さて、この風の盾。
かなり頑丈だけど、困ったことに、外の様子が分からない。
普段なら、魔気である程度のことは分かるけど、この魔法は、わたしの気配が強すぎるためだろう。
水尾先輩が放った魔法が、あの後、どうなったのか分からなかったのもそのためだ。
だから、防御としては優秀だけど、周囲がどうなっているか分からないのかは困る。
この国においては、家具を壊すこともなく、結界の心配もいらないところは助かるとは思っている。
城の調度品の弁済なんて、簡単にできるものではないだろう。
しかし、この国の結界の穴ってやつを知っている人が、応援に対して何の対策をしていないとは思えない。
それに、もしかしたら、九十九に声は届いても、この部屋に入って来ることができない可能性はある。
その上で、この魔法が切れたら、水尾先輩のように隙なく、容赦なく攻撃してくるかもしれない。
いつもの彼と違って、何かが混ざっている状態の今の彼なら、それぐらいはするだろう。
わたしの単純な「風魔法」だけでは対処できなければどうしようか?
補助してくれる大神官もいない状況で、「神舞」を舞ってみる?
いや、昼間に比べてこの中は範囲がかなり狭い。
今のわたしには、その場で軸足をほとんど動かさない「神舞」は無謀だ。
足を上げた時にバランスが取れない。
そのように風の中で思考がぐるぐる回りだしたころだった。
「もう大丈夫だ、高田」
聞き覚えのある声が風の中で聞こえてきた。
だが、ホラーな状況なら、声真似をしている別の存在の可能性がある。
さて、今回はどちら?
などと、アホなことを考えていたら……。
ずぼっ!
と、風の盾を突き抜けてきた見覚えがある黒い腕があった。
どうやらホラーの方だったようだ。
しかもゾンビ系の映画のような状況。
厄介なことに、この中が狭すぎるために、逃げ場はほとんどない。
わたしはそのことにゾッとする。
その腕は、暫くその辺りを掻き混ぜるような動きをしていたが……、やがて、わたしの気配を見つけたのか、右腕が掴まれた。
「うわっ!?」
そのまま、わたしの身体がずるりと引きずり出される。
心臓が激しく跳ねた気がした。
「……って、あれ?」
その場にいたのは、黒い髪と紅い髪の二人の男。
まあ、早い話が、九十九とライトの姿だった。
そして、わたしの右腕を掴んでいたのはライトの方。
その姿を、何故か九十九は落ち着き払った姿で見ていた。
「風の盾を風魔法で中和……か。こんな手段があるんだな」
どこか感心するような声の九十九。
「風属性に耐性があって、ある程度、馴染んだ魔気の持ち主相手の魔法なら割り込みは可能だ。この女の魔法なら、あんたや兄でも、コツを掴めばできるだろう」
そう話すライトは先ほどまでの恐ろしさがなくなっている。
でも、あれは……、まるで、本能的な恐怖を引き起こすような気配だった。
あの左手に捕まれば、取って食われるような獲物の感覚を味わったというのに……。
「な、何なの!?」
そのあまりの変わりように、わたしはそう言わざるを得ない。
「単純な話だ、シオリ。俺がお前の護衛に負けた」
その上、あっさりとそんなことを言う彼。
「はい?」
それとこの状況のつながりが分からない。
「察しの悪いお前にも、分かるように伝えると……。まあ、この護衛がこの部屋に転移してきて、そのまま、俺の意識を刈り取りやがったという話だな」
「いや、それでも分からない」
「意識を刈り取った上で、『本能抑制魔法』を使った。まあ、この男の様子だと一時凌ぎっぽいけどな」
九十九が付け加える。
「いんすてぃくと……? 何、それ」
九十九の発音が良すぎて、時々、魔法が聞き取れない。
「分かりやすく言うと、乱暴な衝動を抑える魔法だな。悪いことをしたいとかそんな感情を抑えると思ってくれ」
「……そんな魔法まであるのか」
わたしは感心した。
乱暴な衝動を押さえつける……って、荒ぶった他人の心にまで干渉するってことだよね?
実はかなり凄いのではないだろうか?
「随分、言葉を濁したな」
「この女にはこれぐらいで良いんだよ」
「本来の目的は、本能による攻撃的な衝動を抑えるために頭を冷やすためのものじゃないのか?」
「お前がこんなあまり知られていない魔法のことまで詳しすぎて、正直、退く」
「そんな魔法まで使えるあんたが退くなよ。それに、お互い、助かっているんだからな」
二人が、何やら内緒話をしている。
いつの間にそこまで仲良くなったのだろうか?
「ああ、キスまでした仲だっけ?」
思わず、口に出ていた。
「「してない」」
わたしの言葉に二人が同時に否定する。
あれ?
でも……。
「日が落ちた屋上で、熱い口付けを……」
「口、付いてねえ! 勝手に記憶を捏造するな!!」
「俺は舌で舐めただけからな。あの程度で熱いとか言って欲しくはない」
いや、それは十分、キスになると思うのだけど、男二人の感覚はどこか違うらしい。
でも、わたしにはその違いがよく分からなかった。
舌も口の一部だと思うのですが?
「ああ、シオリが望むなら、応えてやるぞ」
「いや、心よりご辞退させていただきます」
本当に、先ほどの彼と同じ人物とは思えない。
気のせいか、目つきまで変わっている。
この部屋に来た時の彼は、その紫水晶のような綺麗な瞳が、なんとなく濁っていたような気がしたのだ。
突然の変わりように、わたしは戸惑うしかなかった。
そんなわたしを見て、何故か笑うライト。
「シオリは、違いが分かってくれているようで、何よりだ」
「違い?」
ライトの言葉にわたしではなく、九十九が反応する。
「まあ、解離性同一性障害……、多重人格みたいなものだと思ってくれ」
ぬ?
多重人格?
漫画とかではよく見かけるけど、現実にあるものなの?
「解離性健忘症でも、離人症性障害でもないのか?」
いや、九十九。
その病名っぽいのは何?
魔界人の一般知識なの!?
あれ?
でもこの世界って人間界より病気の研究はされていないはずだよね?
「離人症は近いが、違うな。人格が複数同居しているのは間違いない」
ライトにも通じているようだ。
どうやら、この世界ではよくある症状ってやつなのだろうか?
「『シンショク』という言葉を知るお前たちなら、詳しい説明はそれほどいらないだろう?」
ここまでお読みいただきありがとうございました。




