甘く優しい言葉
魔法国家アリッサムには古い時代より大切にされていた本がある。
子供にも読めるような文字で書かれ、大きな挿し絵もあるため、誰もが子供向けの童話と思うだろう。
「魔法の国のお姫さま」
表紙に大きく表題として書かれたその本の内容は、魔法国家の人間ならば誰もが幼い頃から読み聞かせをされ、文字を読めるようになる前から知っているものだった。
魔法を使えなかったお姫様が、紅い髪の精霊に救われ、魔法が使えるようになる話。
魔法を使うことが自然なことであるこの世界で「魔法が使えない」人間と言うのは異質な存在である。
誰もが、産まれた頃より呼吸をするかのように体内魔気をその身に宿し、物心がつく頃には魔法を使う契約を交わすのだ。
魔力や記憶を封印されでもしない限り、大小、強弱の違いはあっても、全く使えないことはあり得ない話なのである。
だから、その童話も、大昔に誰かが考えた空想として知られていたのだ。
だが、王位を継ぐ長子と、その保険となる次子はその裏に伝わる話まで聞かされて育つ。
その話は本当に過去にあった話だと。
そして、世界はそんなに甘く優しくはないのだと。
精霊と言う存在は、上位の存在からの命令を除き、自分にとって「利」がなければ動くことは決してない。
その「利」が、価値観が異なるために人類には理解ができない。
人間たちが精霊の言動を「気紛れ」と称するのはその辺りにもあるのだ。
かの絵本にあった紅い髪の精霊も、そんな「気紛れ」に見えていた。
そして、その時代を生きた「魔法の国のお姫さま」は私欲から交わした精霊との契約により、その生涯を呪い続けることとなるのだ。
だから、そのお姫さまは誓った。
自分の過ちを、子孫が繰り返さぬようにと。
己の戒めを込めた本を、その当時としては貴重な紙を使って作り出し、後世に残すことにしたのだ。
それでも、彼女はこの世界を闇に堕とした悪者として、その名を残したくはなかったのだろう。
紅い髪の精霊との契約により魔法を使えるようになった事実だけを文字に残し、肝心の自分が犯した罪は口伝としてしまった。
それを人間の弱さと考えるべきか、誰にも分からない。
だが、第一子、第二子がそれを伝え聞いて育ち、王族としての己の立場と我が子の可愛さを知った頃に、他の人間たちに事実を告げられるかと言えば……、伝えていないからその現状が維持され続けてきたという事実がある。
そうした結果、国の頂点より生まれた第一子、第二子のみが過去の王族の罪を背負い、第三子以降や、関係のない国民たちは甘く優しい世界のみを知ることとなる。
かつて、魔法国家の王族が世界に引き起こした災厄を知らぬまま、この世界は歪に回り続けているのだ。
魔法国家の第二王女である真央の前にいる紅い髪の男は甘く優しい声で囁く。
「魔法が使えない理由を知りたくはないか?」
それは、魔法が使えない魔法国家の王族を惑わす呪いのような言葉だった。
だが、彼女は魔法国家の第二王女。
過去に惑わされた王女の悲しき結末を知る娘。
「必要ない」
真央はきっぱりと言い切った。
そこに一切の迷いはない。
確かに彼女は一般的な魔法を使いこなすことができない。
今日だって、自分の妹と後輩が互いに強大な魔法を使う姿を見て、どんな思いを抱いていたことか。
だが、自分には決して彼女たちに使えない魔法が使えるのだ。
それは、大切な人間を救い出す魔法。
死の淵にいる人間を蘇らせるほど、この世界の理を乱す魔法。
尤も、それだけの魔法を使って救った人間が、そのこと喜んでくれるわけでもないのだけど……。
「本当に?」
念を押すかのように紅い髪の男は尋ねる。
「くどい」
「何を警戒しているかは分からんが、自分の状態を理解することは大切だと思うぞ」
そのことを真央は否定するつもりはない。
自分自身のことを知りたくないはずがないのだ。
ただ……。
「貴方が本当のことを言うとは思えない」
それが正しい保証などどこにもないのだ。
かの魔法国家にも真央が普通の魔法を使えない理由は分からなかったのだ。
魔法については世界で一番の知識と経験、歴史のある国なのに、それでも、自国の王女の状態異常については分からなかった。
赤い髪の精霊に唆された王女も使えるようになったことは伝えてくれたが、その経緯はぼんやりとしたままだ。
彼女は自分が悪魔に利用され、この世界を混乱に陥れたとしか伝えてくれなかった。
尤も、それは時代が変わるにつれて省略されていった可能性はあるだろう。
まさか、数千年の時を越え、自分の子孫に再び、魔法が不得手な存在が現れるなど、魔法が使えるご先祖たちには、本気で考えられなかったのかもしれない。
「取引したいのに、嘘を伝えるかよ」
どこか不服そうに彼はそう言った。
「情報は等価値で、正確なものでなければ何の意味がない」
そんなどこかの国が言いそうな言葉を続ける。
「水差しに魔力を込めろとでも言うの?」
真央は自分の国に伝わる絵本にある言葉を口にした。
赤い髪の精霊は、その水差しに込められた魔力を利用して、世界を混乱させたと知っていたから。
「水差し?」
その言葉に紅い髪の男が少し、考え込み……。
「ああ、あの話か」
と、何かに思い当たったようだ。
それだけでも、真央の警戒は強まったことは間違いないだろう。
他国の絵本にあるような真偽も定かではない話。
だが、その内容まで覚えているような人間が、無害とは思えなかった。
「あんなことをしたって、国はともかく、俺に利はない」
紅い髪の男はそう言って真央に向き直った。
「国に利があるなら、国民としては動くべきじゃないの?」
王族として当然のことを真央は言う。
「何もしてくれない国に恩もない」
彼はどこか冷えた暗い目で真央を見据える。
だが、真央としてはそう言いたくなる彼の気持ちも理解できる気がした。
自分を救いもせずに、恩を着せて利用するだけの国に未練も恩も感じないのは当然だろう。
目の前にいる男が何者で、彼の国において、どんな地位にいるのかは分からないが、それなりに魔力を感じる以上、単なる使いや下っ端とは思えなかった。
真央は王族で、それなりの生活をさせてもらった自覚はある。
だが、それは生まれついた地位、王族であったためだ。
それは、「マオリア=ラスエル=アリッサム」という人間であるために整えられた環境。
だから、個人としての「マオリア」には、そこまでの価値はないと思っている。
恐らく彼女は、長く俗世から離されていた姉や、父である王配に何度も逆らおうとしていた妹よりも正確に、自身の価値を知っているだろう。
そのためだ。
「取引内容による」
うっかり、その紅い髪の男の話を聞く気になってしまったのは。
魔法を使えるようになることよりも、国に恩を感じていないと言い切ってしまうような彼の考えを少しだけ理解したいと思ってしまったのだ。
何故なら、それはずっと昔から真央が抱いていた感情で……、ただ口にすることはできなかっただけだ。
その考え方は、許されないことだったのだ。
「十分だ」
そんな真央に対して、紅い髪の男は不敵な笑みを浮かべて答えたのだった。
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決して、忘れてはいけません。
甘く優しい精霊の言葉に耳を貸してはならないことを。
自分をしっかり持ってください、私の可愛い子供たち。
彼らの取引は、自身への同情を引くところから始まっているのです。
自分の願いをかなえるためなら、どんな言葉でも囁き、巧みに相手の弱りきった心に付け入ることでしょう。
精霊の甘言に耳を傾けてはいけません。
彼らはいつでも闇に堕とそうと貴方たちを狙っているのですから。
この話で第33章は終わりです。
次話から第34章「何事にも例外はある」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




