悪魔の微笑み
かつて魔法国家と呼ばれた国があった。
そこは強大な力を持つ女王が国を治め、民を愛し、その治世はこのまま安定していくと思われていたが、ある日、突然、この世界から消失したのだ。
そこに住んでいた民も、護っていた兵も、堅強な建物も、その周囲を囲んだ水路も、近くを生えていた植物も跡形もなくなり、その空気すら変えてしまった。
どこかの国から襲撃を受けたという話もあったが、それは噂の域を出ない。
普通の国では、隣国に気付かれることなく、大国を消滅させることなどできるはずもないのだ。
特に、世界の全てを監視していると言われる情報国家の目をかいくぐるなど不可能だと思われていた。
だが、魔法国家があった場所からは草木も生えない大地しか残っていなかった。
その事実に世界は驚愕し、周辺の国々は血眼になって、その痕跡を探し続けることとなる。
それは、自国への疑いを払拭するためでもあり、同時に魔法国家が守り続けていた強大な魔力を保護と言う名目の元、手にしようというものでもあった。
そして、魔法国家がなくなったことにより、フレイミアム大陸が荒れてしまった。
その大気魔気は大きく乱れ、不自然な空間の歪みがいくつも発生し、大陸はさらに混乱することとなる。
フレイミアム大陸には魔法国家を除いて、4つの国家があるのだが、そのどこも、魔法国家の代わりになることができなかった。
それを支えるべき強い魔力を持つ王族の力が圧倒的に足りず、大気魔気を調整することができなかったことが理由として挙げられている。
だから、今も尚、フレイミアム大陸の国々は、他大陸のどの国よりも懸命に、魔法国家の王族を探しているのだ。
たった一人でも桁違いの魔力を有しているはずの王族たちを。
そして、魔法国家の女王には、その血を引く娘が三人いる。
次期王位継承者である長子は、ほとんど城の一角から出ることはなく、俗世から隔離されて育てられていたが、母である女王と同じように強大で純粋な魔力を持ち、国の結界維持を一手に引き受けていたという。
二番目、三番目は双子であり、それぞれが際立った体内魔気をその身に纏っており、この世界のほとんどの魔法と契約できたと言われていた、
双子の内、先に産まれた娘は死人すら蘇生されるという治癒魔法を身に付け、跡形もないような物体すら時を戻すように修復させることもできるという噂もある。
後に産まれた娘は、魔法に対する知識が深く、多種多様な魔法を自在に操り、その応用にも長けていると言われていた。
それが……、この世界の通説であったのだ。
だから、誰も知るはずがない。
魔法国家の第二王女は、契約した魔法のほとんどを使いこなすことができないなどということは。
唯一、第二王女が使えたのは少し変わった治癒魔法と、修復魔法だけ。
それ以外は契約することができたにも関わらず、全く、使うことができなかったのだ。
一般的に、魔法は契約さえすることができれば、条件を満たした後なら使うことができると言われている。
但し、その条件には個人差があり、同じ魔法であっても、年齢、魔力、魔法力、技術、体力、精神力などで異なるらしいが、それについても定かではない。
そして、使うことができても使いこなすまでには至らないということも珍しくはなかった。
特に治癒魔法や修復魔法には適性と言うものがあるらしく、契約したものの、まともに使いこなせる人間の方が少ない。
だから、誰もが第二王女に期待した。
溢れんばかりの魔力の気配。
目に映る魔気は誰よりも強大なものに視える王女。
だが、様々な魔法も契約できたのに、それでも何故か彼女は基本魔法と言われるような魔法すら使うことができなかったのだ。
彼女が使う治癒魔法は確かに恐ろしくも強力なものではあったが、そこには当然ながら相応に制約も多く、ほとんどの人間がそれを行使している姿を見ることはできないということもマイナス要因の一つではあった。
ただ聖騎士団に所属する人間たちが数名、その身をもって、その治癒魔法を受けたことがあると言われている。
だが、幸いにして彼女は王位を継承する第一王女ではなく、第二王女だった。
だから、その事実は伏せられ、隠匿することに何の問題もなかった。
第二王女に魔法を扱う才能がないと分かった時点で、それを知る人間たちに箝口令が敷かれたのである。
彼女が双子であったためにその発露も早かったこともある。
魔界には一卵性、二卵性という概念はない。
双子は全て同じ存在で、そこに個人差があることは考えられなかったのだ。
そのために、魔法を使いこなす第三王女と第二王女の違いは明らかで……、第二王女の異常事態も早く発見されたと言えよう。
国を存続させるために必要なのは第一王女だ。
そして、その第一王女は国を覆いつくす結界を維持するために必要な強大な魔力を持っていた。
そして、第三王女は誰が見ても分かるぐらいの魔法の才を有していた。
その二人が目立てば目立つほど、間にいる第二王女を気にかけるような人間はいなくなる。
第二王女と対面すれば、身に纏う体内魔気の激しさに大半の人間はそれ以上のことを確認しない。
まさか誰も思わないだろう。
それだけの体内魔気に護られているというのに、一般的な魔法を何一つとして、使えないなどとは。
事情を知らない他国に、魔法を使えない王女を送り出すことなどできるはずもない。
第一王女に何事もなければ、第二王女は自国の口が堅い貴族に降嫁させ、対外的には第三王女を出すことになっていたが……、それも魔法国家の消滅と共に崩れ去ることとなる。
そして……、三人の王女は女王や王配と共に、行方不明となった。
だから、魔法国家の第二王女が一般的な魔法も使えないことは、そのまま時の流れとともに、消え去る予定だったのである。
「あ、貴方……」
だから、その事実を目の前の紅い髪の男から指摘された真央は、少なからず動揺した。
かなり上位の人間しか知りえなかった事実を、他国の人間が知っていることは普通に考えてもおかしいのだ。
自国の人間を疑いたくはないが、思わず心当たりを探してしまうほどに。
「さっきも言ったが、俺は知りたがりなんだよ」
一国の重要機密を、紅い髪の男はそんな世間話のように言い切った。
本当に彼にとってはそんなことはどうでも良かったのだ。
彼にとって重要だったのはもっと別のことだったのだから。
「貴方の目的は何?」
真央は尋ねた。
明確な答えが返ってくることは期待していないが、わざわざここで誰かを待っていたことは間違いないのだ。
知り合いである後輩がこの場を去っても尚、留まっていた理由。
それは別の用件があるからにほかならない。
魔法国家のようにこの国を襲撃することが目的だというのなら、先に姿を見せたのは不用心だと言える。
目撃者の全てを消し去ることができないのは、魔法国家の人間たちの一部が逃げ延びたことからも分かっているのだ。
そして、目の前の人物は、そこまで考えが足りない人間には見えなかった。
「俺は取引がしたい、魔法国家の第二王女殿下」
そう言って、紅い髪の男はその手を差し出した。
「取引?」
その言葉に当然ながら真央は警戒を強める。
この状況は自分が不利なことは分かっている。
魔法が使えないことも当然、秘匿すべきことだが、それ以上に、自分や妹の存在を現時点で他国に知らしめるわけにはいかない。
姉のことにしても、生きていることが分かれば、情報国家を筆頭に様々な国が動き出すことも予想していた。
行き場を失った亡国の王女たちなど、少しばかり腕に覚えがある騎士が守ったところで、一国が動けば簡単にその動きを封じられてしまうほど儚い存在だ。
だが、それでも簡単に見知らぬ人間の手に堕ちるような教育は受けていない。
「魔法が使えない理由を知りたくはないか?」
真央の警戒心を解くように紅い髪の男は優しく微笑む。
その姿はまるで……、お伽噺に出てくる精霊のような笑みだった。
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