二種類の魔気
夜の帳が下り、周囲がすっかり暗くなった頃、この場に先に来ていた先客を追い払って、真央は一人で城の屋上にいた。
全てはこのために。
「姿だけでなく気配までも消して、高みの見物とはなかなか良いご趣味だね」
自分の問いかけに対して明確な答えはなかったが、真央は構わず言葉を続ける。
元よりまともな反応は期待していない。
だが、返答などなくても、真央には判別する手段があるのだ。
僅かでも変化があれば、それだけで十分なのである。
だが……。
「それはお互い様だろ?」
その人物は思いのほか素直に返答をくれた。
この場所の出入り口となっている塔の頂点に、その紅い髪の男は暗闇の中、立っていたようだが、真央の前にふわりとマントをなびかせ、目の前に降りてくる。
「お初にお目にかかる、魔法国家の第二王女『マオリア=ラスエル=アリッサム』様」
その芝居がかった物言いに真央は顔を顰めた。
魔気を抑えている状況にも関わらず、初見で自分と妹の区別を即座にできる人間はそう多くない。
いや、それ以上に、行方不明になっているはずのアリッサムの王族が生きていることを知っている人間が、この世界にどれだけいるだろうか?
「その名を知っている貴方は何者?」
真央は敵愾心を隠さずにそう問いかける。
ここで誰かと争うことは本意ではないが、この場所なら、そこまで大きな被害は起きないだろう。
この国の建物や家具はほとんどの魔法を無効化する。
そして、この城にはその階層ごとに魔法の気配が階上、階下へ漏れないように造られているのだ。
多少、大きな魔法を放ったところで普通なら、問題はない。
「少なくとも味方ではないな」
ここからいつも見える夕日のように紅い髪をなびかせ、黒い衣装に身を包んだ男は隠さずにそう言い放った。
「そう……」
だが、そう言われたところで、真央はすぐに敵対行動に出るつもりはない。
「じゃあ、貴方は高田の恋人?」
だから、あえて言葉を選ぶ。
相手ができるだけ動揺するように。
「まさか」
だが、男は顔色一つ変えずにそう答える。
「あの女の恋人になるような物好きは、あの護衛以上に苦労する」
その言葉で、この男はあの小柄な少女のことを、単なる知人と見てはいないことが分かる気がした。
少なくとも、ある程度、彼女の性格を知っていて、関わるとそれなりに大変だと言っているのだから。
そして、付き従う護衛の少年が苦労していることも知っているようだ。
真央が水尾から断片的に聞いた話からでも、そのことは窺い知れたのだが、別視点から見ても、あの娘の近くにいるのは大変らしい。
だから、揺さぶり方を変えてみることにする。
「貴方は、我が国を襲った一味?」
できるだけ簡潔に。
でも、確実な質問を投げかけた。
普通に問われても、何のことか分からない言葉。
だが、当事者、関係者ならそんな断片的な言葉だけでも理解できるだろう。
魔法国家アリッサムが消滅して、既に年単位の時が流れている。
国民のほとんどは行方が分からないまま、本来、混乱の収拾をすべき王族たちの安否は今も不明。
襲撃者の目的も正体も不明のまま、月日だけが流れていた。
その頂点に立っていた女王も、それを支えていた王配の行方についても、ここにいる真央も、別行動していた水尾も掴めていない。
一番上の姉も、探すことを諦めず、あの日、残った国民と聖騎士団長を従え、別の場所へと向かっている。
魔法国家の王族と言う貴重な血筋を絶やさぬようにと、ただ一人この地に残された真央だったが、二年以上も探し続け、そのほとんどは空振りに終わっていた。
だが、いきなり現われたあの時の集団によく似た気配を纏う人間。
つまり、ようやく手がかりに繋がりそうな人間と接触したのだ。
この機会を逃す気は彼女になかった。
少しだけ、漂わせる魔気を強める。
ある程度の感知能力があれば、その熱さを感じられる程度に。
「下手な挑発だな」
だが、その男は不敵に笑った。
魔法国家の第二王女として生を享けた真央は、生まれつき、かなり強い体内魔気を有している。
それも、女王ほどではないが、魔法国家アリッサムの三人の王女の中では一番だったと自負していた。
初対面の人間は、大半、彼女の魔気を感じるだけで、その顔から色を無くすか、対抗しようと試みるか、回避行動を選ぶかの三択から選ぶ。
たまに、今日会った後輩のように真央の体内魔気に当てられて倒れてしまう人間もいるが、それは稀な例だった。
過去に自分の体内魔気だけで倒れたのは……、聖騎士団長と王配ぐらいだったはずだ。
だが、それ以上に、強めた魔気を意に介さず、余裕の笑みを浮かべられたのは初めての経験だと真央は思った。
やせ我慢をしている様子もない。彼は本当に真央を脅威と見なしていないのだ。
「貴方は……何者?」
先ほどとは少し違う意味合いを持つ言葉。
だが、真央は彼に問いかけられずにはいられなかった。
彼の余裕の表情。
それは、魔法国家の極秘事項を知っている可能性があるからだ。
「単に知りたがりなだけだ」
その言葉は、答えになっていないようではあったが、真央にしてみれば警戒心を強めるしかなかった。
「情報国家の人間ってこと?」
自称知りたがり。
そんな人間が跋扈している国家。
そして、姿を隠している真央にとっては、最も警戒する必要がある国。
真央はこの国の王子と婚約状態にあったが、それは内々で決めたことであり、対外的には公表すらしていない。
この国の住人達にすらまだ隠していることだった。
「俺があんな国の人間に見えるか?」
「見えない。貴方からは僅かな光も感じない」
情報国家イースターカクタスは光属性の加護を持つライファス大陸の中心国だ。
だから、住人のほとんどは、光属性が主体となっている。
勿論、情報国家出身であることを隠すために、魔気を誤魔化している人間がほとんどであるが、真央にしてみれば多少擬態化しても、完全に隠しきっているのは稀だと思っている。
「貴方からは気持ちが悪い気配しかしない」
真央は、感じたままを口にする。
複数の属性が混ざっている人間は珍しくはない。
だが、際立って強い属性が二種類もある人間など、真央は、あの日、あの瞬間まで見たことはなかった。
あの日、故国が襲撃された日。
襲撃者のほとんどは、覚えがある属性と、全く知らなかった不思議な属性の二種類をその身に纏っていたのだ。
「第三王女殿下にも同じことを言われたことがある。俺の体内魔気は『気持ちが悪い』と」
紅い髪の男は苦笑しながらもそう答えた。
その言葉に真央は眉を顰める。
あの後輩と面識がある以上、行動を共にしていた妹がこの男と会っていても不思議ではないが、何も聞かされていない身としては、正直、不信感しかない。
「6属性とこのよく分からん魔気が混ざることに関しては、俺の意思じゃない以上、魔法国家の王族たちに嫌悪感を抱かれてもどうすることもできんことだがな」
そう言いながらも、紅い髪の男は含み笑いを見せる。
その姿を見ながら、真央は自分の記憶と知識をかき集めて、ある結論に達した。
「火属性と……、闇属性?」
自信はないが、真央にはそう感じ取れたのだ。
この世界には、かつて、「闇属性の大陸」は確かに存在していた。
いつの頃からか、地図からその大陸は、消えてしまい、世界中のどこを探しても見つからなくなった。
海に沈んだのか、その場所には何もなく、その痕跡すらなくなってしまったという。
今となっては、「闇属性の大陸」はこの世界のどこにも存在せず、闇属性の魔法と言うのもはっきり区分されてはいない。
しかし、先ほどから真央の中にある何かが叫んでいる。
それは頭ではなく感覚的なもののため、はっきりと断言ができないものだった。
だが……、それでもおかしい。
出身大陸に左右される主属性が二種類混ざりあうのは、理論的にありえないからだ。
生まれる瞬間に転移魔法や移動魔法を使えば可能かもしれないが、そんなことをする理由はない。
主属性は一つに絞った方が間違いなく強力な魔法を使えるはずだから。
実際、情報国家のような国は、両親の出身大陸が違うことが多く、光属性に少しだけ別の属性の特徴が滲んでいる。
気を付けて奥底まで視なければ分からないような感覚だが、それは混ざっているのではなくちゃんと自然に溶け込んでいるのだ。
その点だけでも、真央の目の前にいるような男の気配とは全く違うと自信を持って言い切れた。
「そんな話をするためにここに来たのか?」
紅い髪の男は意味ありげに微笑む。
勿論、真央には明確な目的があり、この場に来た。
あの日、アリッサムを襲った人間たちによく似た気配の人間が近くにいる。
それが明らかに罠であっても、確認しなければいけなかったのだ。
「いえ……、貴方に聞きたいことがあった。簡単には話してくれないだろうけど……」
そう言いながら、先程よりもさらに自身の魔気を強めていく。
どんな人間にも分かりやすいように周囲の気温を上昇させて、真央は微笑んだ。
「複数の属性を身に纏っていても、命は一つでしょう?」
そんな真央の姿を見て、紅い髪の男も同じように笑った。
「それで脅しをかけているつもりか? 魔法国家の第二王女殿下」
既に、この城郭の一定範囲は確実に数度、気温が上がっている。
男からもその額に汗が流れ落ちるほどだったが、それでも、その余裕を崩さずに、真央にとっては決定的な言葉を口にした。
「攻撃魔法が使えない王女殿下など何の脅威にもならない」
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