別れの挨拶
そこに愛はないけど、BLっぽい表記がありますので、苦手な方はご注意ください。
「せっかくだから、一つだけ聞いておきたいことがあるのだが……」
「なんだよ?」
ライトの言葉に九十九が答える。
「なんで、シオリの魔気に別の気配が混じってるんだ?」
どうやら、九十九だけではなく、ライトも気付いたようだ。
それだけわたしから分かりやすく別の気配があるということだろう。
自分では全く分からないのだけどね。
「そこの護衛でも兄の方とも違う風属性だな。だが、この大陸で、今、はっきりと風属性の魔気を漂わせているのはお前たち三人ぐらいだ」
「そうなの?」
「知らん。大陸全ての調査まではしてねえ」
ライトの言葉に、なんとなくわたしは横にいる九十九に確認するが、こんな返答だった。
考えてみれば当然だ。
この大陸は広すぎて……、全部の調査なんてできるはずがない。
でも、ライトは何故か言い切った。
「この国は風の大陸出身者に寛容だ。昔から諺にもあるが、『盲いた占術師』の予言もあるからな。二年前までは、風の大陸出身者も多くいた。だが、今は逆だ。どこかの馬鹿王子の命令で、風の大陸出身者がほとんど自分の大陸から出なくなったことが原因だがな」
ライトの言葉に思わず息を呑みたくなるが、なんとかこらえる。
その言葉の意味を理解した上で、何か探りを入れられている気もしたのだ。
すぐ傍にいる九十九は表情を崩さないが、握られている左手が少しだけ締まったような気がした。
「だから、気になった。別の風の大陸出身者に接する機会があったのか……と」
シルヴァーレン大陸出身かは分からないけれど、別の人に接する機会はあった……というか、別の人間になっていた。
だが、そのことについて、わたしがどう説明したものか迷っていると……。
「神のご加護だよ」
九十九が、先ほどまで握っていたわたしの左手を離し、その代わりに、背後から肩に手を回して右手でわたしの口を塞いだ。
「へえ……」
片眉を少しだけ上げて、何故か面白そうに答えるライト。
これはなんて、分かりやすい口封じなのだろう。
これでは隠し事はあるけど言う気はないってはっきり分かるじゃないか。
いや、問題はそこじゃない。
九十九の行動はわたしがうっかり「祖神変化」の薬について話せないようにしただけだということは分かる。
だけど……、この状態はかなり恥ずかしい。
こうなんとなく抱き寄せられているようにも見えなくもないような?
しかも、九十九の掌に思いっきり唇が当たっているし!
頭はパニックになりつつも、顔には出さないように努力はしている。
いつものこと、いつものこと。
この行動について深く考えれば痛い目を見るだけだ……と自分に言い聞かせながら。
勿論、薬のことを他言する気などなかった。
特に口止めはされていないのだが、あの薬ってこのままリスクがなければ、かなり使い道があるものだと思う。
だから、あまり公言してはいけないないだろう。
だけど、そんなわたしの考えなんか九十九に伝わっているはずもない。
うっかり口にしてしまわないかを不安に思って、こんな少し強引な手段に出るのは仕方ないことだ。
だから、恥ずかしくても、我慢しなくちゃ!
「午前中に『祖神返り』をしていたな。それと関係があるということか」
だが、あっさりと彼はそう口にした。
そして、「祖神変化」ではなく、「祖神返り」と言った。
それは、会話まで聞こえていないと言うことだろう。
「お前たち見ていると、本当に退屈しないな」
わたしのストーカーを自称しているような人だ。
わたしの変化を知らないとは思っていなかったけど……、やっぱり知っていたか。
「覗き見が趣味だと聞いていたが、本当のことらしいな」
わたしの口を右手で塞いだまま、九十九はそんなことを言った。
耳元に響く彼の低い声は、台詞の割に何の感情も込められていないように感じる。
九十九の表情は見えないけれど、その声に動揺はない。
驚きによる身体の硬直も感じず、体内魔気にも変化がないところを見ると、彼も予想はしていたのだろう。
「あそこまでシオリの魔気が大きく変化すれば、嫌でも気が付く」
ぬ?
ライトの言葉に少し疑問を持ったが、わたしは言葉を発することはできない。
だから、代わりに九十九が尋ねる。
「その過程を見たわけじゃないんだな」
「流石にあんたのように年中無休、二十四時間体制で見張るほど暇じゃない」
いや、わたしの護衛やってくれてる九十九だって二十四時間体制じゃないよ?
そんな九十九はなんか嫌だなあ……。
でも、通信珠があるから、ある意味では二十四時間体制と言えなくもないのかな?
「覗き見を辞める気は?」
「こんな退屈しない面白い生き物の観察を辞めろと? 楽しみを奪うなよ、ただの護衛。男の嫉妬は見るに堪えないぞ」
実に分かりやすい挑発だった。
でも、そんな言葉は無意味だと思う。
九十九は本当にただの護衛なのだ。
だから、嫉妬なんて感情は起こらない。
「護衛だからな。危機感のない主人をイヤらしい男の視線から守る義務がある」
抑揚もなく、九十九は淡々と答える。
「俺からは頬にキス以上のことをした覚えもないぞ? なあ? シオリ」
珍しくライトがわたしにどこか優し気な笑みを見せる。
「皮肉な」とか「不敵な」という形容動詞が付かない彼の笑みは貴重だね。
確かにわたし自身が覚えている限り、それ以上のことをされた覚えはない。
「ああ、シオリの方からなら、脇腹を舐められことはあったな」
脇腹? そんなことは……。
ああ、迷いの森でのあの治療のことかな?
彼に言われて、舐めたら少しだけ、傷が塞がったやつだよね?
そう言いたかったけれど、九十九の右手にぐっと力が込められた。
どうやら、彼はやはりわたしに発言させる気はないらしい。
しかし、呼吸はできるのに、何故か息苦しく感じるのは何故だろう?
「俺よりも護衛の方が危険そうに見えるが?」
「それを判断するのはお前じゃない」
九十九が危険?
以前にも誰かからそんな話をされた覚えがある。
あれは確か……。
「今の状況は何も知らない少女を拐わかす図にしか見えんのだが? 立場を利用していつまで張り付いている気だ?」
「これ以上、こいつに余計な話をさせたくないからな」
「へえ……?」
ライトはどこか挑発的で妖しい笑みを九十九に向けた。
「俺への用は、先程のマントだけか?」
「ふむっっ!」
わたしは「うん」と返答したつもりだったが、思いのほか、九十九はわたしの口をしっかりと塞いでいるようで、変な息が放出されただけだった。
これで伝わったかは分からない。
「残念ながらこの邪魔が入った状態では、お前に別れの挨拶もできんな」
そんな珍しく、そして汐らしいことを言った。
でも、彼はあまり挨拶をしてくれるイメージはない。
基本的にどこからか現れて、何も言わずにひっそりと去っている印象だ。
だからだろうか?
なんとなく、その妖艶な笑みに黒さを感じたのは。
「仕方ない、こちらで我慢しよう」
そう言って、彼はわたしの頭上に近づき……、何故か、背後にいた九十九が固まった気配がした。
「じゃあな」
妙に良い笑顔で無駄に爽やかな笑顔を見せた彼は目の前から姿を消す。
その姿は何かから逃げるかのようだった。
いや、事実、逃げたのだろう。
「あの野郎……」
落ち着いた声とは裏腹に、九十九の体内魔気が激しく変化している。
この状態、なんとかならないかな?
わたしが、困るのだけど。
このままだと、なんとなく突風に吹き飛ばされる未来が見えた気がした。
わたしは思わず両手で九十九の右腕を掴んで、口から外させる。
ぷはぁ! っと、開放感から大きく息が漏れた。
「あ、悪い」
そう言いながら、九十九は、激しく左手で口を擦っている。
いや、その行動ってもしかして……?
「あの男、舐めやがった」
「ほ?」
思った返答と少しだけ違ったためか、一瞬、九十九の言葉の意味が脳に伝わらなかった。
「オレの唇を舐めやがったんだよ、気色悪い!!」
「そ、それは……災難だったね?」
好意があるわけでもない同性に唇を奪われるのと、唇を舐められるの……。どちらが精神的にきついのだろうか?
相当、嫌だったのか。
彼は「洗浄魔法」まで使用を始めた。
「くそっ! 感覚が消えねえ……」
そう言いながら、「洗浄魔法」を使いつつ、九十九はごしごしと唇を擦ることを止めない。
でも、どんなに洗浄をしたところで、恐らくその感覚が消えることはないと思う。
「あまり擦ると腫れるよ?」
「いっそ、腫れた方がマシだ」
それでも見ていて痛々しい。
彼の唇の表面を覆っている薄皮が捲れてきているようにも見える。
そろそろやめて欲しいけど、どうやったら止まってくれるのかな?
それにしても……、ライトは何の意味があって、そんなことをしたのだろう?
単純に九十九の動揺を誘うため?
そうだとしたら、大成功だ。
九十九がここまで感情を出すのを見るのは、なんとなく久しぶりのような気がしているから。
わたしは彼にかける言葉を見つけられずに見守っている。
空の色はすっかり暗くなっていたが、この国は、日が落ちてもまだ明るい。
町には様々な光で埋め尽くされていて、まるで不夜城だ。
いや、城だけじゃなく城下も明るいから不夜町が正しいのかな?
ぼんやりとわたしは町明かりに意識を移しかけた時、背後からふとした呟きが聞こえた。
「口直しがしてえ……」
ここまでお読みいただきありがとうございました。




