魔気の変質
わたしに対して変なことを言った後、九十九はじっとわたしの顔を見て、視線を少し動かした。
まるで観察されているみたいで居心地は良くない。
いや、実際、観察されているのだろうけど。
「……ど、どうしたの?」
昔、ストレリチアで出会った高神官の視線から感じた身の毛がよだつような感覚とは全然、違う。
同じように見つめられていると言うのに。
そして、妙に緊張する。
彼の黒い瞳が真剣過ぎるせいだ。
「朝、飲んだ薬のせいか?」
ふと、九十九はそんなことを言った。
「薬?」
「お前の魔気が変質している」
「変質?」
先ほどからわたしは九十九の言葉にオウム返しをすることしかできていない。
これではいけない。
ちゃんと自分でも考えなきゃ。
九十九の言うことをまとめれば、何時間か前に飲んだ薬の効果で、わたしがまだ変化したままってことかな?
言われてみれば……。
「九十九も少し変わっている気がする」
わたしもそのことに気付いた。
「マジか?」
「うん。九十九は基本が風なのだけど……、ちょっとだけ水っぽいのが混ざっているような?」
九十九の周囲を巡っているいつもの穏やかな風の中に、少しだけ、ゆらゆらとした水の気配を感じる。
すっごく集中しないと見落としそうなほど微かな気配。
でも、普段の九十九からは水の気配を感じたことはなかった。
いつもの彼は、居心地が良くなるような風の気配の中に、鮮烈な……。
「水っぽい……? 料理だったら失敗作だな」
わたしの思考を中断するかのような言葉。
「そう言う意味じゃなくて……。そして、何故、料理に例える?」
どこまでも発想が料理人である。
「分かってるよ。でも……、魔気の変化って自分じゃ分からないもんなんだな」
魔気は匂いのようなものだと聞いている。
それならば……、ずっと同じ匂いを嗅ぎ続ければ、鼻が慣れてしまうように、魔気を感じる能力も慣れてしまうようなこともあるのかもしれない。
「あの薬は属性も変化させていたってことかな?」
「いや、あの薬で変化していた時は、魔気そのものが別人だった。だから……あの薬が原因だと言うのなら、この状態はその変化の名残だと思う。残留魔気の一種だな」
なるほど……、本当に別人になっていたってことか。
「変化中の高田は、魔気も変化していたけど、風属性ではあった。だから、そこまで極端に分かりやすい状態じゃないんだろう」
えっと……、導きの女神ディアグツォープ様は風の神ドニウに連なる神様だったと記憶している。
だから、風属性で間違いはない。
そして、努力の神ティオフェ様は……、火の神と水の神の二神に連なる神の中でも珍しい系統の神様だった。
……記憶に間違いがなければという注釈が要るけど。
二年ぐらいで覚えられるのなんて、ある程度興味を持った神様ぐらいだ。
現在進行形で変化し続ける神様の全てを記憶するなんて、大神官であるあの恭哉兄ちゃんだって難しいと言っていたぐらいのことなのである。
「トルクスタン王子殿下へ報告しなきゃいけないことが増えたね」
「まあ、気になったところは全て記録していた方が良いだろうな。だが、最終的な判断は製作者に任せよう」
「そうだね。現時点では自分たちの考えが正しいかも分からないし」
つまり、難しいことは全部丸投げである。
でも、仕方ない。
大神官曰く、「祖神変化」なんて、普通は資質がない限り簡単にできることではないらしいから。
「ちょうどいい。高田は今、手を動かせるか?」
「うん」
「絵を描くことは?」
「…………なんで?」
九十九から、突然のお絵描きの打診。
彼の考えが分からない。
なんとなく、彼は事あるごとに、わたしに絵を描かせたがっている気がするのは気のせいだろうか?
確かに絵を描くことは好きだけど、そこまで気を遣わなくても良いのに。
「記録には図表や絵があった方が分かりやすいだろ? 文章はオレが起こすから、お前は絵の方を頼む」
「ぬう……。つまり、神さまの絵を描けってこと?」
「特徴さえ掴んでくれたら、ある程度簡略化したイラスト的な絵でも別に問題ないだろう。写実的な絵を描くのは苦手だろ?」
「九十九がモデルしてくれたら、描けなくはないよ」
別にわたしは漫画的な絵しか描けないわけではない。
これでも、書道、音楽、美術の中から、美術を選択する程度に絵を描くこと自体も好きなのだ。
得意なのはどちらかと言えば、静物画だけど、人物画も目の前にちゃんとモデルさえいれば、描けなくはない。
思い出しながら描くと、どうしても自分の絵になってしまうのでイラストっぽくなってしまうだけだ。
「見るのは良いが、一切、触るなよ」
「う……。根に持つなあ……」
彼は少し前に、わたしからセクハラ紛いの行動をされている。
だから、警戒されるのは仕方がない。
年頃の女性としてはその状況ってどうなのかとも思うけど。
普通、そう言ったことを警戒するのは女性側のはずなのに……。
でも、あれはちょっと、我を忘れてしまっただけなのだ。
基本的に、モデルに触れるような絵描きはいない……と、思っている。
そんなことをしたら、ただの事件だ。
聖女……じゃない、「導きの女神」の方は、自分をもう少し、変えるだけで良さそうかな。
特に胸。
主に胸。
そこだけは、なんとか思い出そう。
一度、鏡で全身図を見た。
それに、幸い、手に持った感触もある。
「当然だ。オレは今から文章を書くから、お前も適当に描け」
「了解。でも、紙と筆記具をお願いします」
そう言って、わたしは九十九に両手を差し出した。
「……出せないのか?」
「出せないね」
「完全に物質召喚できるようになったわけではないんだな」
イメージの問題だろう。
あの時は、耐火マントが入用で、今回はそこまで切羽詰まってないと言うのもある。
そうなると……、物質召喚に必要なのは適度な緊張感?
いや、でも、結構、皆さん、気軽に使ってるよね?
「九十九、黒い服って持ってる?」
「は?」
「わたしの中の、『努力の神』さまのイメージが、こんな服なのです」
そう言いながら、わたしはサラサラと黒いマントで、銀色の胸当て、銀色の篭手、銀色の臑当などを描いていく。
「……これをそのまま着せれば、良いんじゃないのか?」
それを見た九十九はどこか呆れながらも正論を言った。
「……浪漫がないじゃないか」
「レポートにロマンを求めるな。簡単で良い」
「うぬう……」
九十九には似合うと思ったのだけど……、まあ、確かにそこまで気合を入れて描いても仕方ないね。
「『導きの女神』の衣装イメージは?」
「……変形和服。布地は薄い。多分、女神が降臨した時に見ていると思う。えっと……、それか、ストレリチアでの『救国祭儀』は覚えてる? あの時にわたしが着せられたようなやつがわたしの中の彼女のイメージ」
わたしは「聖女」ではないが、ほぼ成り行きで「聖女の卵」という存在になってしまったため、たま~に「祭儀」などに出されるようになっていた。
実は、「神舞」を覚えることになったのもその一環である。
お世話になっている城の王子殿下と王女殿下に頼まれては、居候の身で拒否権などあるはずもない。
宿代だと思えばかなり安いものだし。
大神官である恭哉兄ちゃんは不本意そうな顔をしていたが、わたしが嫌がっていないと分かれば、神務の合間に教えてはくれた。
それに「聖女の卵」と御大層な称号を頂きはしたが、毎月の肖像画モデルと、年に数える程度の顔出し程度で、いろいろと免除されていたとは思う。
本来の「聖女」はもっと大変らしい。
なりたくもない。
「ああ、あの詰め物をしたやつか……」
どうやら、九十九はその印象が強いらしい。
確かにあの時も、何度も言われたけどさ。
「仕方ないじゃないか。『導きの女神』を降臨させた『聖女の卵』が、彼女に似ず、貧相だったのだから」
胸が大きくないと似合わない衣装なんて嫌いだ。
和服は寸胴体型の方が似合うはずなのに。
しかも……、祖神変化した時に知った衝撃の事実。
あの詰め物では、まだ彼女の領域に届いていなかったのである。
実際、どれだけ、大きいのでしょうか?
「お前も女神の絵を描くために着替えるわけでもないだろ? オレもそんなことのために仮装は嫌だ」
「まあね」
仕方ない。
諦めようか。
九十九はそのままでも悪くないし。
幸い、「努力の神ティオフェ」さまの絵を描けないわけではないのだ。
既にその神さまのイメージはわたしの中にある。
気分を入れ替えて、九十九と向かい合わせに腰かけ、絵を描くことに集中していくのであった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




