死にたくなければ
真央先輩の声で、最初に動いたのは水尾先輩の方だった。
彼女のよく通る声で、長々とした詠唱が聞こえるが、わたしはそれを無視する。
「長い文章」を唱えるってことは、威力重視、一撃必殺。
即死確実の魔法が来る。
死にたくなければ、抗うしかない!
「我、大気を巡る精霊たちに告ぐ」
対抗するために格好つけて失敗したら笑うしかない。
だが、失敗する気はなかった。
「我が声を聞き、我が意思に沿い、我が身体に従い、我が心を示せ」
詠唱は少しぐらい違っても良いのだ。
魔法は思い込み。
詠唱は自己暗示。
そう教えてくれた目の前の人に応えるために、わたしはそれを実践する。
「巻き起これ、我が旋風。全てを弾く不可視の盾。この眼前に具現せよ!」
だが、わたしの詠唱よりも先に水尾先輩の魔法が完成する。
この部屋を覆うほどの大きな火の鳥が、その翼を広げていく姿が見えた。
なんだ、あの魔法!?
綺麗だけど……、すっごく怖い!!
あんなのを食らってしまったら、骨すら残らない気がした。
だから、わたしは轟音と共に近付く灼熱の大鳥が、目の前に来る前に最後の一節を口にした。
『風属性盾魔法』
ごおおおおおおおおおおっ!
もう耳慣れてしまった竜巻の音がわたしを包む。
いや、いつもわたしの魔法は九十九を吹き飛ばしているだけだったど、それでわたしは周囲を囲んだのだ。
周囲を完全に覆ってしまうものを盾と言って良いか分からないが、わたしが覚えている詠唱がこれぐらいしかなかったのだから仕方がない。
少なくとも、あの激しく燃え盛る紅炎に包まれることは避けられたようだ。
だが、いつまでもこうしていられるかは分からない。
この竜巻だって長い時間は持たないことは分かっている。
それに、今すぐ魔法力が尽きる気配はないが、あの水尾先輩ならこの竜巻を破る手段もありそうだ。
つまりこれは延命措置。
時間稼ぎでしかない状況。
水尾先輩のさっきの魔法は普通の人ならごっそりと魔法力を持っていっただろうけど、規格外の彼女があれぐらいで倒れるとは思えなかった。
この盾が破られた後には、新たに盾を構える間も与えない攻撃が来るだろう。
多分、素早くて、連射ができる魔法を選ぶ気がする。
そして、近くには水尾先輩お得意の据え置き型の地雷に似た透明の炎の設置……というところかな?
わたしができるのは、この盾からも分かるように風属性魔法。
ただ九十九の話では、昔は他属性の基本魔法を使うことができたらしいから、使えなくはないだろうけど、使える自分を想像できない。
その時点で他属性の魔法は無理ってことになる。
だけど……、水尾先輩でも対処が難しいと思われる手段が一つだけある。
それは、魔法ではない力を使うこと。
大神官である恭哉兄ちゃんは言った。
わたしは「神の助力」を使うことができないけれど、「神の御力」を僅かながら使うことができる可能性がある……と。
それは本来、「祖神変化」しなければ難しいらしいが、わたしは「聖歌」や「神舞」を通して、ほんの少しだけ「神扉」という聖霊界の門を開くことができるらしい。
ストレリチアでの生活は無為に過ごしていたわけではない。
わたしは大神官より「聖女の卵」として、朝昼晩の定期検診の合間にも学んでいた。
ちゃんと勉強したわけではないから本当に触りだけだけど、下手ながら「聖歌」をいくつか歌うことならできるし、「神舞」も少しは舞える程度の教育は受けている。
ただ、恭哉兄ちゃんは本格的に学ばない方が良いと言った。
本気で「聖女」……、いや、「神子」になる気なら止めないけれど、普通の人間として生きたいならその知識は妨げにしかならないそうだ。
それでも……、魔法が不自由なわたしの助けに少しでもなるならば、と時報の役目をしている聖歌以外の歌も教えて貰ったのだ。
わたしが一人で「聖歌」を歌ったところで、「神扉」は少ししか開かないのだから、神様を降臨させることはできることは勿論、できない。
少しだけ開いた扉の隙間から神様の力を使うだけ。
降臨させるためにはそれなりにもっと扉を開かなければいけないのだ。
だから、ストレリチア城下の騒ぎでは、恭哉兄ちゃんも手伝ってくれた。
わたしは必死で気づかなかったけれど、さらに他の神官たちの助けもあったらしい。
だから、成功したのだ。
結果として面倒なことにはなったけれど。
だから……、だけど……。
そんな御大層で、大事で特殊な能力をこんなところで使うのはどうなのかという話でもある。
今回は魔法勝負なのだ。
わたしが本当に僅かだけど、本物の神力を使うことができるのを知っているのは、恭哉兄ちゃんだけ。
九十九にすら言っていない。
彼らに隠し事をすることに抵抗がないわけではなかったけれど、それでも、全てを話すことはできなかった。
つまり、それはこんな所で使ってはいけないってことだ。
わたしにはできないことが、やってはいけないことが多すぎる気がするね。
―――― 仕方ない、本来は生まれるはずのない魂だった
分かっているよ、そんなこと。
母がこの世界に呼ばれなければ、わたしは存在しないのだから。
―――― それでも人間として生きたいのでしょう??
言われなくても分かっているよ。
迷いを捨てたから、わたしが強くなったことぐらい。
――――だったら、観念しなさい、「聖女さま」
うるさい!
その名で「高田栞」を呼ぶな。
わたしは、自分の意思で、周囲の風の盾を消す。
それを見計らったようなタイミングで、構えていた魔法国家の第三王女殿下と目が合った。
「食らえ」
世界最高峰の魔法使いは無慈悲に呟く。
『神速 の 炎弾』
わたしはそれが何か判断する前に身体が動いた。
左手を自分の右肩へ振り上げる。
無数に放たれた炎で出来た弾丸が隙間なく放たれ、それを迎え打つわたしの左手には紅い法珠が付いたアミュレットと……、この手によく馴染んだ黒いマントがあった。
力の限り左手のマントを使って、視界を覆うほどの勢いで薙ぎ払う。
そして、そのままの勢いで、自由にしていた右手を突き出して唱えた。
「風魔法!」
自分の掌から飛び出す大砲のような竜巻。
その隙間を縫ってくる炎の弾丸を、左手のマントで再び薙ぎ払っていく。
「チマチマしたもんじゃ無理か」
わたしの竜巻を左手だけでかき消すような人に言われたくないなあ……。
九十九なら吹っ飛んでくれるのに。
しかも、その隙にも炎の弾丸は連射されている。
この耐火属性が付いているマントのおかげで今はまだ被弾してないけど……。
でも、厄介なことに彼女の気配がさらに変化する。
ちょっと待って!
炎の弾丸を連続で放ちながら、別魔法の詠唱を始めるって、ずるくないですか!?
しかし、近づこうにも、分かりやすく、わたしの近くの空間が不自然に揺らめいている。
透明な炎の地雷設置が全部で20個あるとか、どんな魔法力と想像力があればその全てを維持できるのですか!?
特攻しかないような状況だが、それすら許さないような現状。
さて、どうしようか?
飛んでくる炎の弾丸に混じって大きな火の玉も飛び交いだした。
それを避けようとして……、単純に避ける動きではない別の動きを自分の手足が勝手にしようとし始めたことに気付く。
いかん、少しでも気を抜くと「神舞」の動きになりかける。
布を使って練習したせいかもしれない。
尤も、「神舞」用の布はもっと薄くて動かしやすかったけどね。
どふおっ!
不意にわたしから風の塊が飛び出し、水尾先輩が回避行動をとった。
ああ、自動防御の方が通用しそうだ。
「必殺! 魔気の護り、乱れ撃ち~!!」
わたしは、そう言いながら、自分の魔気を抑えることを止めた。
だが、その瞬間、水尾先輩の目が光った気がする。
「まずい!?」
反射的にそう思った時は既に遅かった。
「王手だよ、高田」
そんな声が背後から聞こえたと思った瞬間……、わたしの世界は黒く染まったのである。
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