可愛いヒト
「さて、高田はこれからどうする?」
卒業証書の入った筒を手にし、ワカは伸びながら確認してきた。
「う~ん。一応、部活のメンバーと少し話をする約束はあるかな」
「あ、やっぱり? 私も演劇部のメンバーと少々談話など……」
ただの部員でしかなかったわたしと比べ、ワカは部長だった。
わたし以上に、つもる話はあるだろう。
「じゃ、ここでお別れ?」
「いや、なんか、高瀬が顔出すとか言ってたから、後で……、いつものように校門辺りで落ち合いましょうか」
「あ、高瀬が来るんだ。あっちも卒業式?」
「いや、高瀬のトコは私立だからもう終わっているみたい。だから、家から来てくれるってさ。いっちょ、久々にカラオケでも行く?」
「そうだね~。久しぶりに行きたいかな」
そう言えば……、受験のこともあって、ここ数ヶ月、カラオケに行く機会はほとんどなかった気がする。
「じゃ、一時間後に校門の所で」
「は~い、了解」
そう言って、わたしはワカと暫し別れることにした。
「さて……」
わたしは自分の右手を見る。
その手には、家に忘れてきたはずの「通信珠」が収まっていた。
そして、それを包むメモ書きのような手紙。
その手紙は、生徒手帳か何かを破ったような紙に、書きなぐられた文字があるだけのものだった。
それをぼんやりと見つめながら……、わたしは以前、毎日のように利用していた部室の方へと向かったのだった。
****
部室に着くと、既にそこには一緒のチームだった生徒たちと後輩たちが何人か集まっている。わたしもその中に入っていった。
「高田先輩は、高校でもソフト、続けるんですか?」
そうやって無邪気に聞いてくる後輩の目にはちょっと涙が光っている。
「う~ん? ソフト部はあるらしいけど……、ちょっと微妙かな?」
「え~、続けないんですか? 勿体無~い」
お世辞でもそう言ってくれるのは嬉しい。
わたしは中学生活で何が楽しかったと聞かれれば、迷いもなく部活をあげるだろう。
それほど、ソフトボールという競技は特別なもので、とても楽しかったのだ。
「高田さんはバントの天才だったもんね」
「そうそう。先輩のバントはプロでも通じますよ~」
「いや、それは言いすぎだよ。自分が生きるバントは出来てなかったし」
「送りバントも立派な才能だよ?」
ああ、こんな空気を感じられるのも、後、ちょっとなんだ。
周りにあるのは、籠いっぱいのボールと立てかけられたバット。
ちょっと汚れたベース。
後輩たちのスパイク入れとグローブ。
女子だけの部活とは思えないほど砂や埃に塗れて練習した日々。
最後の大会では決勝戦は遙か彼方のまま、三回戦でボロボロに負けてしまったけど、その結果そのものに悔いはなくて……。
「やりたくなったら、やるかもね」
わたしは部活をするなら、またソフトボールを選ぶと思う。
だけど、今はそんなことを考える余裕もなくて……。
「先輩……、卒業しても忘れないでくださいね」
と、涙ながらに後輩から花をもらう。
「うん、ありがとう」
「シオちゃん先輩は忘れっぽいから心配だな~」
受け取りながら、去年の自分もこんな感じだったかな……と思って……、全然違ったことに思い当たる。
わたしの場合、お世話になった元生徒会長と元書記の人にそれぞれ花を贈る準備をしたのは良かったのだが、体育館入り口で人の壁に阻まれ……、弾き飛ばされた。
だから、仕方なく、当人たちの家に出向いて花を渡したのだ。
しかし、卒業式から少しばかり時間が経ったせいか、対応してくれた先輩たちがひどく疲れた顔をしていた。
そんな時に押しかけて申し訳ない気持ちになり、感動も何もなかった。
「ソレに比べれば、後輩たちが泣いてくれただけありがたいことなんだけどね……」
部室を後にして、もらった花を見ながら、わたしは呟いた。
あの先輩たちはどこか変わっていて、人気があったにも関わらず、何故かわたしを可愛がってくれた。
なんでも、「ちっこいから」という、かなり失礼な理由ではあるが、それでも、その人たちに特別扱いされるのはとても光栄なことなので、悪い気はしていなかった。
ふと、時計を見上げる。
ワカとの時間はまだありそうだった。
「どこで、時間を潰そっかな~」
九十九も後でここに来るかもしれない。
校門の様子を見てから決めよう、と思い、荷物を一時的に部室に置かせてもらって、部室棟から右へ曲がると……。
背中にどんっ!! と強い衝撃を受けた。
「「うわっ!? 」」
出会い頭に、走ってきた人とぶつかってしまった。
わたしが跳ね飛ばされる形ですっころんでしまう。
「ご、ごめん!!」
ぶつかってきたのは男の子だった。
それも……、剣道部で人気の高い男の子。
「黒川……くん?」
「高田さん? ごめん! 大丈夫だった? ちょっと急いでいたから……」
彼の名は「黒川 和泉」くん。
二年生のときに同じクラスだったためにお互い面識はあった。
相変わらず、女の子と間違えそうなぐらい可愛い顔をしていて、人気があるのも分かる気がする。
「うん、平気……」
そう言いながら、差し出された手をとると……。
「うわ!?」
何故か驚かれてしまった。
「ど、どうしたの?」
「血!」
「はい?」
「血が出てる!!」
彼からそう言われて、自分の右手を見ると、転んだ拍子に掌をすりむいたのか、べっとりと血がついていた。
「大したことないから大丈夫だよ」
見た目はともかく、指摘されるまで気付かない程度なら経験上、慌てることはないと思う。
部活では擦り傷なんてよくあることだったし。
これぐらいなら、水道水で洗うだけで良さそうだ。
ところが、そんなわたしとは逆に、彼にとってはかなりの大事件のようだった。
「駄目だよ。ボクのせいだし……、今、時間ある?」
「へ? まあ、ちょっとぐらいなら」
「あの人はいないな……。……ちょっと来て」
言われるままに手を引かれる。
そして、手についた砂を落として、傷口を水道水で洗ってから、先ほどとは別の部室に入った。
ここは確か、剣道部だったはずだ。
自分たちの部室と別種の独特の匂いがして、不思議な感じがする。
でも、この鼻を衝くような匂いは正直、あまり好みではない。
そこで、彼は慣れた足取りで、棚のところへ行き、救急箱と思われるものを取り出した。
「手を出して」
どうやら手当てをしてくれるらしい。
笑顔の彼が握っているのはどう見ても沁みる系統の消毒薬だが、せっかくの厚意だ。
受け止めるしかないだろう。
……沁みるけど。
「……っ!」
「あ、ごめん。沁みた?」
「大丈夫だよ」
案の定、沁みました。
それでも、反射的に笑顔を作って「大丈夫」と返事してしまうのは、悲しき人間のサガかな。
彼は、消毒を済ませ、大き目の絆創膏を貼ってくれた。
彼も剣道部にいたから、傷の手当は日常的なことだったのかもしれない。
剣道は防具をつけているとはいえ、打ち身とか激しそうだし。
「これで良し……と。でも、もし痛むようなら化膿とかも怖いから、病院に行ってね」
「うん、ありがとう」
そう言ってたときだった。
「おや? 和泉が部室に女を連れ込んでいる」
入り口付近でそんな声が聞こえた。
「連れ込むって……、キミと一緒にしないでくれ。ボクはともかく、高田さんが気の毒だ」
黒川くんは冷静に否定する。
「おやおや、誰かと思えば、相手は確か隣のクラスの高田……栞さんか。ども、こいつの悪友、湊川 和人です」
「どうも……、高田です」
この人が確か、剣道部で人気のある人だった気がする。
黒川くんと比べると大柄でがっしりとした体格。
なんだか剣道部っていうより柔道部向きな印象だった。
「なんだ? 救急箱なんて持ち出して。アイツに追われて怪我でもしたのか?」
「いや、ボクが彼女を怪我させちゃって……」
黒川くんは誰かに追われていたらしい。
それで、急いでいたのか。
「それで、高田さんがここにいるわけか。いや、俺もおかしいとは思ったんだよ? 奥手な和泉が中学生生活最後の日とはいえ、お世話になった部室に女を連れ込むような真似するなんてさ」
「だからキミとは違うって言ってただろ?」
「俺だって部室には連れ込んだことはないぞ? こんな風にすぐ見つかるし」
つまり、部室以外には連れ込んだことはあるってことだろう。
人気はあるけど、その分、手が早いという噂も本当らしい。
「ところで、何しに来たの? ここを懐かしんで……ってキミの柄でもないだろ?」
「ああ。単に気が向いただけ」
そこで、彼はじっとわたしを見た。
「この際、アイツの虫除け……、高田さんになってもらえば?」
「それは失礼だ」
黒川くんはきっぱりと言った。
「それに、ボクには好きな人がいるって話しても諦めてくれないような人だよ? ここで、高田さんに協力してもらったって、逆効果の上、高田さんに害がないとも限らないだろ?」
「確かに……」
どうやら、話から察するに剣道部のアイドルはかなり熱心なストーカーのような存在に悩まされているようだ。
まあ、これだけ可愛いから仕方ないのかな?
「一応、聞いておこうか。高田さんは彼氏とかいるの?」
「うん、一応、他校に……、それらしき人が……」
嘘は言ってない。
それらしき人……。
(仮)が付いてはいるが……。
「じゃあ、協力は無理かぁ……」
「だから、良いって……。このことはボクの問題なんだし……。それに今日までの辛抱だから」
どうやら、込み入った話のようだ。
これ以上はここで、聞き続けていても迷惑だろう。
「じゃあ、わたしはここまでで。手当て、ありがとね、黒川くん」
「あ、こっちも本当にごめんね」
そう言って、剣道部の部室を後にしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。




