初めての感情
不意に、誰かに呼ばれた気がした。
頭の中に響く声。
だから、気付いた。
これが……、彼女の声だって。
オレがその場に飛んだ時、一瞬、目を見張った。
その場所に結界が張られていたことにも驚いたのだが、それについては、外からでは簡単に破れるようなものだったので問題にもならない。
しかし、この視界の中に飛び込んできた光景は、オレの知っている卒業式……、いや、体育館と呼ばれている空間とはかけ離れすぎていたのだ。
大勢が倒れている人たちの、ほぼ中心に近い位置に、この事態を引き起こしたと思われる犯人はいた。
そして、無謀にもそいつと対峙している人間……、それが、自分の護るべき少女だと気付いた時、オレは絶句するしかなかった。
状況から考えて、彼女はたった一人でこの場を耐え抜いたんだと思う。
彼女は、立っているのが不思議なぐらい身体は傷だらけだった。
周りに比べるまでもなく、普通じゃない制服の惨状。
だけど……、その瞳だけは相手からそらさずに捉えている。
そんな彼女を見て、オレは初めて ――― と思った。
そんな状況なのに、そんな状態なのに、オレは彼女のその姿に目を奪われていたのだ。
そして……、その事態を引き起こしたと思われる紅い髪の男は、何故か後頭部を抑えて怒りの形相をしていた。
「つ……く、も……?」
オレの存在に、先に気付いたのは彼女だった。
「よか……った……。きて……くれ、たんだ……」
そう言って、彼女はそのまま倒れた。
その顔に安堵の笑みを浮かべて。
「高田!!」
弾かれるように、オレは駆け寄る。
緊張の糸が切れたのか……。
彼女はそのまま意識を飛ばしてしまったようだ。
だが、生きている。
高田を腕に抱えて、オレはほっと息を吐いた。
「あんたか……?」
だが、そんなオレに対して、紅い髪の男が声を掛ける。
「何がだ?」
オレは睨みながら、答える。
「俺の後頭部にアレを投げつけたのは……」
「は?」
だが、そんな意外過ぎる言葉に、一瞬、何を言われたかが本気で分からなかった。
男が指差した方向には、この場の至るところに散らばっている折りたたみ用の椅子が一つだけ不自然に転がっている。
「いや、違うが……。オレが来たときには、お前、既に頭を抑えていたし」
どうやら、オレが来る直前に椅子が後頭部に飛んできたようだ。
それは痛い。
痛いだろうが、恐らくは自業自得だろう。
「くそっ! やっぱり先に魔界人を焙りだしておくべきだったか……。俺としたことが、調子に乗って遊びが過ぎたな……」
そう言って、転がっている椅子を乱暴に蹴り飛ばした。
ソレと同時に……。
ぐわっしゃ~んっと、派手な音を立てて、ヤツの頭上にに、体育館の照明が狙ったかのように落ちてきた。
まるで、コントでも見ている気分だ。
だが、残念ながらそいつは、寸でのところでかわしていた。
実に惜しい。
「そう、何度も食らうかよ」
忌々しそうに吐き捨てる。
そして、こちらに向かってきた。
オレは、腕に抱えている彼女をさらに強く抱きしめる。
これ以上、好き勝手させてたまるか。
「お前、魔法力の残量も少なそうだが、まだやんのかよ」
「いや、あんたが結界破ってきた時点でもう続けるのは無謀だ。後10分もすれば、この場にいるヤツらは皆、目覚めるからな」
そう言って、ヤツが手をあげると……、黒尽くめの集団がこの場に現れた。
オレは腕の中にいる彼女を庇いながら、身構える。
「片付けろ」
紅い髪の男が一言、そう言うと、黒尽くめの集団がいきなり元のように修復を始めた。
「お前……、何考えているんだ?」
正直、ヤツの意図が読めない。
コレだけの状況を作り出しておきながら、それをなかったことにしようとしている。
「魔界人が人間界での活動痕跡を消去するのは義務だろ」
そう言って、その復興状況を見ている。
信じられないぐらい早く、恐らくは元に戻されたんだと思う。
壊れた床も、天井も壁もすべて直され、人もそれっぽい配置にされていた。
「残り3分弱……。少しゆとりはあるか……」
そう言って、オレの方を向く。
「護衛の割に遅い到着だな。お陰でその女は見てのとおりボロ雑巾だ」
「お前のせいだろうが!!」
反射的に叫んでいた。
確かに彼女はズタボロの状態だった。
それを見れば、オレは護衛としては失格なんだろう。
しかし、その元凶にいけしゃあしゃあと言われれば、腹も立つというものだ。
「単に邪魔だったから黙らせたかっただけだ。今回は別にその女はオマケみたいなもんだったんだぜ? 」
「邪魔?」
「そうだ。周りに攻撃しようとしたら、ソイツが身体を張って止めやがった」
高田の性格上、見て見ぬ振りはできなかったんだろう。
だが、それならば、この女は何故オレをすぐ呼ばなかったのか?
それがかなり気になるところだった。
「それに引き換え見ろよ。自分たちのために魔力の欠片も感じない女がボロボロになっていく様を見ておきながら、完全に寝たふりを決め込むヤツらの多いこと。流石、自分が可愛い魔界人だな」
「なんだと?」
聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
「まさか……、この場には、魔界人が他にもいるのか?」
オレは思わず周りを見た。
転がっている人間たちを見てみるが、ヤツの言う魔界人の存在は分からない。
もし、これが本当に擬態なら見事なものだと思う。
「いるよ。それも一人や二人じゃねえな。教師や保護者、来賓のヤツらからはソレっぽい気配を感じないから、大半は生徒たちだろう」
「保護者……」
そう言われて……、反射的に高田の母である千歳さんを捜したのだが……、何故か、彼女の姿はなかった。
「この年代の魔界人たちは後々、我が国の障害となる。だから災いの芽は早く摘み取りたかったんだが……、これについては、まあ仕方ない。魔界に戻った時に考えることにしよう」
「……お前は……、何を考えてるんだ?」
オレは思わず聞いていた。
だが、当然ながら、ヤツはその答えを口にはしなかった。
「あんたにそれを言う気はない。それより、そこの女を渡せ」
「断る」
この状況で素直に彼女を渡せるような神経は持ち合わせているはずがない。
「これ以上の害を与える気はない。その状態を戻すだけだ。身に付けている衣類も含めてな。心配なら手でも握っておけ。それなら、無理矢理転移させても、あんたごと移動する」
ヤツの言うことは信用は出来ない。
だが……、オレは彼女の傷を治すことができても、ボロボロになっている服の修繕まではできなかった。
仕方なく、言われるままに、高田の身体を近づけてやる。
勿論、彼女の手だけは絶対に離さずに……。
「威嚇のつもりか?」
「一応……、念のためだ」
オレは、自分の魔気を隠さなかった。
今更、隠した所で意味はない。
それに、この方が何かあってもすぐ対処できるからだ。
ついでに、周りを無言で取り囲んでいる黒いヤツらと、周囲でシカトしている魔界人たちへの警告もしっかりと込めてやった。
勿論、この怒りは、目の前にいるこの紅い髪の男に向けるべきだろう。
しかし、この男は嘘を吐かなかった。
制服も、高田の傷も跡形も残らず元に戻したのだ。
それも、残り少ないと思われる魔法力を使って。
やっぱりこの男が何を考えているのか分からない。
これがミラージュという謎の国に生まれた人間の特異性なのだろうか?
「これは返してもらう」
そう言って……、男は高田が握り締めていた黒い布を引っ張った。
「元々、俺のだからな」
そう言って、紅い髪の男はその場から姿を消した。
「その娘は、そこの空いたところ」
黒尽くめの集団の一人がその指で彼女の席と思われる場所を指す。
「あ? ああ。サンキュ」
その高い声からして、若い女だろうが、その顔は黒い布で覆われているため分からなかった。
オレが、高田を言われた場所に置くと……、黒い集団もその姿を消した。
「一体……、何が起きたんだ?」
そう思ったが、長居は無用だ。
オレも戻ろう。
先ほど起こったことは、後から当人に聞けば良い話だ。
尤も……、その当人がまたもや夢だと思い込んでいなければ、の話なんだが。
「さて、どうしたものか……」
オレは残り少ない時間で、考えるのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
連休中だけ午前、午後の二話更新の予定でしたが、暫くは続けられそうです。