好奇心は猫を殺す
虫の話が出てきます。
苦手な方はご注意ください。
九十九と宿から出たら、そこには水尾先輩が既にいた。
「相変わらず、仲が良いね、キミたちは」
わたしたちを見つけるなり、水尾先輩は笑顔で声をかける。
「ん? 高田……、これ、どうした?」
わたしの額を見るなり、水尾先輩はそう言った。
そして、九十九をちらりと見ると……。
「まさか……、キスマーク?」
と、とんでもないことを言ってきた。
「違います!」
「キスマークなら、こんな場所がここまで腫れないと思いますよ」
慌てて否定するわたしと違って、九十九は溜め息交じりにそう言う。
しかし……、これ、そんなに目立つのか。
たった一発でそこまでとは……、デコピンって結構侮れない?
「あ~、びっくりした。一晩でそこまで仲良くなったのかと思った。いや……、一晩あれば十分か」
「何の話ですか!?」
「何の話だと思う?」
ニヤニヤする水尾先輩。
くぅ~!
完全にからかわれている。
「え~? でも、同じ部屋だったんだろ?」
なるほど……、その辺を知っているからこその反応か。
「オレは一服、盛られました」
「そうか……。案外、信用なかったんだな、九十九」
水尾先輩が残念そうに九十九の肩に手を置く。
「そうしないと、九十九が寝ようとしなかったから仕方ないんですよ」
「ほお~、なるほど」
そこで、水尾先輩が事情を察してくれたようで、これ以上の追及はなかった。
***
「兄貴はリヒトと、町の西側門にいるそうだ」
雄也先輩と連絡をとった九十九がそう言った。
「馬車乗り場は西門になかっただろ?」
水尾先輩が確認する。
「南側の馬車は暫くお休みだそうです。なんでも少し強力な『魔蟲』が現れたとか」
「強力な魔獣……だと?」
水尾先輩が興味を惹かれた顔をしている。
まさか……、自ら退治しに行きたい……、とか?
「いえいえ、『魔獣』じゃなくて『魔蟲』。節足動物の『大きな毒蜘蛛』らしいです」
「アルチュラット?」
ラット?
ネズミかな?
マチュウって言ってるしね。
「パス!」
水尾先輩が即、反対した。
「アルチュラットって……アレだろ? 毛深い巨大蜘蛛みたいなヤツ……。無理! 断る!」
「ああ、蜘蛛なのか……。でも巨大な蜘蛛ってどれぐらい?」
わたしは九十九に尋ねる。
「お前にも分かりやすく言うと、高さが3メートルぐらいのタランチュラによく似た毒蜘蛛。足を伸ばすと8メートルぐらいかな」
「でかい!」
タランチュラと言ったら、もさもさっとした黒い毒蜘蛛のイメージがあった。
それが自分の二倍ほどの高さ……。
なかなか驚きの大きさだね。
因みにわたしは蜘蛛に対する嫌悪感はない。
自分より大きいのは見たことがないから少し、見てみたい気もする。
大きいのなら、距離があればそれなりに形も掴めるだろう。
「毒蜘蛛といっても、人間を襲うことはあまりないが、馬が好物らしい。今、繁殖シーズンだからな。卵生で、一回に付き卵を5000個ほど産むとか」
「一匹見たら三十匹ってレベルじゃないのね」
人間界で見た黒光りする生き物を思い出す。
そう言えば、あの虫は、魔界に来て今の所、まだ見たことがない。
存在するのかな?
「どこかの油虫みたいに言うなよ。5000個の卵のうち、無事産まれるのはその100分の1にも満たない。先に産まれたものが栄養として孵化前の卵を食うらしいからな」
「……ホホジロザメかな?」
確か、ホホジロザメは卵胎生で、母親の胎内にいる時から生存競争が始まっているとか聞いたことがある。
孵化しなければ死……とか、早い者勝ちにも程があるなと思ったものだった。
それだけ栄養が必要だということでもあるのだろう。
でも……少し、嫌なことも思い出してしまった。
人間だって、双子の片割れが生まれることができずに母親の胎内に吸収されてしまう現象があるということをストレリチアで知った。
そのことも嫌だったけれど……、もしかしたら、ここにいる水尾先輩と、その双子である真央先輩のどちらかにその現象が発生していたらと思うとぞっとしたのだ。
「人間界の鮫の生態までは知らんが……、魔蟲も生きていくためには仕方ないんだろうな」
「ああ、虫だから魔蟲なのか」
なるほど、獣だから「魔獣」。
虫は「魔蟲」。
意味が分かれば納得できる。
そして、「魔蟲」ってことは、もしかしたら魔法を使うのかもしれない。
そんな巨大蜘蛛が定期的に繁殖するなんて……。
警備の人たちも大変だね。
「警備の人たちが多くなっているのもその辺が理由なのかな?」
昨日、国境の町ベゴルベオ(エラティオール国内側)に来た時は、ここまで多くなかった気がする。
「いや、現れたのはカルセオラリア国内だけで、エラティオール国側にはまだ出てないらしい。宿が取れなかったのも発見されたばかりで、緊急に城下からも派兵が決まったからだそうだ」
「なるほど……」
それで……、わたしが「デコピン」を食らうことになったわけですね。
「こ、この話、まだ続けるのか?」
水尾先輩が青い顔をして尋ねる。
どうやら、蜘蛛はお嫌いらしい。
「いえ……、大丈夫ですか?」
九十九が心配そうに声をかける。
「蜘蛛の話を辞めてくれたら、回復するから気にするな」
「分かりました」
そう九十九が笑って答えた。
しかし……。
「お前も少しは水尾さんを見習え」
直後に、わたしに小さく低い声で囁く。
「何を?」
「分からないとでも思ったか? お前……、その蜘蛛を見たいと思っただろう」
「ふ? な、何の話でしょうか?」
「とぼけるな。絵の資料なら、図鑑で我慢しろ」
何故か九十九にはバレバレである。
「……『好奇心は猫を殺す』。用もないのに、『魔獣』や『魔蟲』に近づくな」
九十九の口から、ある意味、耳慣れた発音が出てきた。
「おや、英語?」
「……? 英語になったか? ああ、リヒトとの会話の癖が出たか。切り替えが上手くできなかったみたいだな」
ぬ?
切り替えができなかった?
彼が言うのは頭の中にある言語の切り替えスイッチのことだろう。
でも……、わたしの中で、少しだけ何かがひっかかったのだった。
****
わたしたちは、西門の雄也先輩たちと合流した。
本当なら、南門より馬車を利用する予定だったらしいが、繁殖期に入った魔蟲がいるため、利用を休止しているらしい。
「街道って魔獣避けの結界があるんですよね?」
わたしは、横にいる水尾先輩に尋ねる。
「高田なら、すっげ~腹減っている時に、九十九が作ったメシが見える位置にあったらどうする?」
「まず、罠を疑います」
わたしはきっぱりと答える。
その状況はどう考えても罠としか思えないだろう。
「……繁殖期はエネルギー消費量が増える。腹の子や卵を産むためにな。だから、結界で傷ついても、エネルギー補給を優先するそうだ」
RPGによくある毒の沼地などのダメージゾーンの中に、これ見よがしに宝箱があれば進んでしまうような心境だろうか?
「だから、魔獣などの魔物避けの結界があっても餌となるものを目掛けて襲うらしい。人間を襲わないようなやつでも、その食事のとばっちりを食う可能性はあるし、何より街道のど真ん中で乗り物がなくなると困るだろ?」
「ああ、確かに」
わたしたちは移動中に、乗り物を爆破されている。
その結果、歩いてベゴルベオの町まで行くしかなくなったのだ。
雄也先輩の話ではどちらにしても、一人増えた時点で、新しい物に買い替えるしかなくなったとは言っていたが、それは結果論だろう。
もし、前の「キャリー」という名の乗物が壊れていなければ、今、この横でキョロキョロしているリヒトとも会えていなかったのだから。
雄也先輩は国境の町ベゴルベオにて、前に使用していた「キャリー」よりも大きくて、物理、魔法耐性が異常なほど高いという「レリアート」という乗り物をレンタルした。
これはカルセオラリア国内限定の乗り物で、自動操縦で10人までは乗れるというバスみたいなものだった。
但し、レンタルでもお値段はかなり高いらしい。
まず、個人で所有できるようなものではないそうだ。
尤も、通常手段で破壊することは不可能だという代物なので、前みたいに簡単には壊れないらしい。
貴族が領地を巡る時に使ったり、国主導で見回りしたりする時に使うのが主なので、個人でレンタルしたいと言った時は、貸し道具屋さんも冗談だと思ったそうだ。
現金一括払いの意思を示すと人が変わって丁重な扱いを受けたとか雄也先輩は笑って言っていたが、それって、どこまで本当だったのだろうか?
こうして、数日後。
わたしたちは、噂の蜘蛛たちに遭遇することもなく、無事にカルセオラリア城下まで辿り着いたのだった。
この話で第31章は終わります。
次話から第32章「邂逅遭遇」となります。
ようやく機械国家編。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




