辱めを受けました
先に書きます。
ある意味、サブタイトル詐欺です。
どうしてこんなことになったのだろう?
宿の一室には九十九がいて、じっとわたしの手元を真剣な顔で見つめている。
そして、わたしは羞恥メーターが限界を突破して、突っ伏すしかなかった。
「もう無理! 耐えられない!!」
「そんなに緊張するものなのか?」
「する! 無理! 頑張ったけどもう、限界!!」
「まあオレも嫌がるお前に無理強いする気はないけど……」
九十九はわたしの手元を見ながら……。
「そんなに難しいのか? 人前で絵を描くの……って」
九十九は不思議そうな顔をする。
「うん。なんて酷い辱め……」
わたしは完全に顔が上げられなくなった。
「人聞きの悪いことを言うなよ。オレにそんな性癖はない」
彼がテーブルにある描きかけの絵をずらしながらそう言った。
いや、人前で堂々とお絵描きできる人種は確かに存在する。
でも、わたしは今まで一人で描いてきたのだ。
ワカや高瀬にだって目の前で描いて見せたことはない。
「絵を描いていると、その表情になっちゃうんだよね……」
わたしは自分の両頬を手でマッサージする。
絵を描く時は不思議と表情筋が仕事しているのだ。
笑い顔を描いている時は気が付けば笑っているし、泣き顔を描いている時は顔を歪めている。
そんな無意識を抑えようとするのはちょっとつらい。
「何より、わたし……、絵を描くことが好きでも、特別、上手いわけでもないのに……」
それでなくても何年も描いていなかった。
そして、思った以上に、画力が落ちていることも割とショックで……。
「そうか? 思ったよりも可愛いイラストだと思うが……」
九十九は描きかけの絵を見ながらそう言う。
本当に、何?
この言葉は、彼が護衛だから?
「九十九も描いてみるが良い」
わたしは、紙と筆記具を彼に渡す。
「……分かった」
思ったより九十九はあっさりと受け取り、わたしの目の前でさらさら~っと描いた。
「ほれ」
「……って、棒人間じゃないか!!」
「お前みたいに描いたことなんかねえ人間の絵なんてこんなものだ」
確かにいきなり「描け」と言われて描けるものではない。
そして……そこで慣れないイラストにチャレンジせず、丸と線だけの棒人間を選択する彼の発想は面白いと思う。
自分が恥ずかしい思いをさせられたからその仕返しをしたかったのに……。
「……で、もう描かないのか? 別のキャラクターも見てみたいのだが?」
「せ、せめて……、目の前で描くのはちょっと……」
なんか期待値も上がっているのが余計につらい。
……と言うか、正直、今までに見たことがない反応だから困っている。
ワカも絵を描いていたけど、彼女はわたしより上手かったためか、九十九みたいな反応はなかった。
お互い、小学校時代からこっそりと描いていたというのもあるだろうけど。
さて、こうなってしまった経緯であるが……、そんなに難しい話でも、特に不自然な話でもなかった。
言葉にしてしまえば本当に単純な話だ。
九十九が、少し前にした会話を覚えていて、わたしのために紙と筆記具を手に入れてきてくれただけの話。
エラティオールとカルセオラリアの国境にある町ベゴルベオの宿の一室で、わたしが久々の寝具の感覚を楽しんでいた時に、九十九が部屋に来訪したのだ。
基本的に、彼はわたしが呼び出すか、事前に約束しない限りはわたしの部屋に来ることはない。
但し、緊急時は除く。
だから……、わたしは緊急時だと思ったのだが……、彼は笑顔で「紙と筆記具が手に入ったぞ」と言った。
そして、さらに「何か描け」と。
そこで試し描きのつもりで素直に描こうとした結果……、冒頭に戻る。
彼は基本的に行動派だと思う。
そして、同時に彼に思いつきで不用意なことを言ってはいけないとも思った。
「それにしても……、良い紙だね」
筆先がひっかからず、そこそこの厚みがある。
ケント紙ほどじゃないけど、ちゃんと上質紙に近い。
筆記具も……、メモ書きに使うようなヤツではなく、インクの伸びが良くて、使いやすかった。
「おお。その紙は円や曲線を描いた時、筆に抵抗がないものを選んだ」
なんだ、そのプロ視点。
しかも直線じゃなく、円や曲線だと?
ペン先の試し描きの基本じゃないか。
「兄貴が図面を引く時にそんなことを言っていた気がしたから……。直線でひっかかりがなくても、曲線でひっかかる紙が多いらしいな」
……うん。
雄也先輩なら図面とか引きそうだね。
それに……、頼めば凄いく美麗なイラストを描いてくれそう。
それは少し見てみたい気がした。
「ところで……、これはオリジナルか?」
九十九は紙をひらひらさせながら、わたしに尋ねる。
頼むから、あまり見ないで欲しいし、見せないで欲しい。
自分の描いた絵を人から見せられるのって、妙に恥ずかしいから。
「……以前、見たことがある絵をディフォルメキャラ化しているから、完全なるオリジナルとは言い難いかな」
版権キャラクターを使っても、個人で楽しむ分には問題ないけれど、元ネタ知らないと分からないだろう。
……何よりも「似てない」、「見えない」と言われたくはなかった。
「……人間界のイラストの模写ってことか?」
「いや、魔界で見た絵」
「魔界で? 絵本の挿し絵とか?」
「いや、7人いる『救国の神子』の一人」
「は?」
わたしの言葉が意外だったのか、九十九が目を丸くした。
いや、わたしもなんで、彼女を選んだのかは分からない。
馴染みがあるのは「聖女」さまの方だけど……、わたしは彼女の方が描きやすかったのだ。
描くなら金髪より黒髪の方が好きだし。
「『救国の神子』って……、大陸の礎となった女たちか?」
「そうなのか」
それは知らなかった。
昔、魔界を救った女性としか聞いていない。
「そうなのかって……」
「大神官さまに見せてもらった時、そう説明されたから。えっと……、確か、『ラシアレス=ハリナ=シルヴァーレン』さま……だったかな? その人しか見せて貰っていないし、他の6人の名前は分からないけれど」
わたしは絵を見せてもらった時に聞いた名前を思い出す。
「…………は?」
だが、不自然な間の後で、九十九が物凄く目を見開いた。
「今、お前……、なんて?」
ああ、「救国の神子」さまのお名前に大陸名が入っていたからかな?
わたしもびっくりしたし。
「救国の神子さまのお名前は『ラシアレス=ハリナ=シルヴァーレン』さまって聞いたよ。大神官さまの言葉だから、わたしが間違って覚えていない限り、間違いないはず」
「救国の……神子の名……?」
九十九が何故か呆然と呟く。
「それがどうかした?」
「いや……、オレはてっきり、自分を描いたのかと思った」
「始めはそうしようかと思ったけど……、この手の絵ってどうしても当人より可愛くなるので、ちょっとね。だから、途中で路線変更した」
うん、分かっている。
わたしは自分の絵ほど可愛らしくない。
自分の絵が可愛いというわけではないが、それでも、イラストでごく普通の人間を描くのって結構、難しいのだ。
背景の子もそこそこ平均以上になっちゃうんだよね。
年配の方とか、ナイスミドルとかの描き分けがちゃんとできている人を尊敬する。
うん、本気で絵を描くなら、ちゃんと練習しなきゃいけないのは分かっているのだけど。
そんなわけで、自分ではない自分に似た人間を選んだ。
突っ込まれた時の逃げ道でもある。
「これはもらっても良いのか?」
「待て。それは駄目だ」
「……なんでだ? 完成していないからか?」
九十九が心底不思議そうな顔をする。
「その1、人に渡す前提で描いていない。その2、未完成。その3、久しぶりに描いた絵だから……、できれば、焼却処分したい」
「なるほど……、よく分かった」
「あ――――っ!?」
九十九は納得したような口ぶりで、その場から絵を消失させた。
いや……多分、収納されたのだろう。
「紙と筆記具の費用としてありがたく頂戴する」
そう言いながら、にんまりと笑う。
「なんでそこまでするのさ?」
わけが分からない。
そんなに出来の良い絵ではないのに。
もっと上手い人なら世の中いっぱいいる。
「大事な夢の一歩だろ。簡単に焼くって言うなよ」
そんな御大層な志を持って描いた覚えなどない。
ここに紙と筆記具があったから描いただけのもの。
その意識の差が……、余計に申し訳なく思えてしまう。
「それに……、描いてて楽しかっただろ? すっげ~、口元がニヤけてたぞ」
それは……、描いている対象の表情が自分にも表れていただけ……、だっただろうか?
いや、違う。
「ああ、うん。楽しかったのは認める」
描いている時……、確かに久しぶりで、緊張もしていたけど楽しかったのだ。
「だけど……、それを九十九が持っているのはなんか嫌」
せめて描き直したい。
「じゃあ、また次に描いたら、見せろ。それまで預かる」
「人質……、いや、紙質?」
なんで、彼がそこまで固執してくれるのかは分からないけれど……。
「分かった」
わたしは、そう答えるしかなかった。
この軽い気持ちで書いたものが、長い月日を経た後に、焼却処分した上で封印したくなるような歴史になるとも知らないで。
人前でお絵描き出来る人も、自分の絵を描く姿を公開できる人も尊敬します。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




