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運命の女神は勇者に味方する  作者: 岩切 真裕
~ 人間界編 ~
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心が折れる時

残酷描写というほどではないと思いますが、少々、痛々しい表現がありますのでご注意ください。

 どれぐらい……、時間は経ったのか栞には分からなかった。


 壁に掛けられた時計がまったく進んでない辺り、この場所では、時間そのものが止まってしまっているのかもしれない。


 日頃、体育館と呼ばれ、様々な競技が行われているであろうその場所は、今や黒い炭の塊や、煙が各所に現れ、炎上していないのが不思議な状況だった。


 加えて、あちこちに突き出した鉄筋や、コンクリートがむき出しになってきており、普通ではお目にかかることが出来ない公共施設の基礎状況をさらけ出している場所すらある。


 部活……、引退してからまともに運動してなかったからなぁ……。


 そんな強がりを考えるのが今の栞には精一杯だった。


 そんなに栞に対して、紅い髪の男はその余裕の表情を崩そうとしない。


 栞の方は先ほどから短い息を弾ませ、肩を上下させているが、彼は息一つ乱さず次々と黒い炎を繰り出していく。


 手を翳すだけの男と、それを打ち返す彼女では動きの量そのものが違っているのだ。

 それでも、栞は戯れに渡されたマントから手を離すようなことはしなかった。


 まだ桜の蕾が膨らみ始めたばかりだというのに、栞の気分的には陽炎立ち込める炎天下の運動場だ。

 それでなくても彼女に向かってくるのは高熱の火。


 栞は汗だくになりながらもなんとか捌いてはいたが、そろそろ限界も近かった。


 それが証拠に……。


「あうっ!」


 黒い炎との距離に対して目測を誤り、彼女自身に被弾する率が上がってきている。


 被弾といっても、少し掠る程度のものだが、相手は普通ではない火の玉だ。


 制服の裾や襟は焼け焦げ、皮膚には見目が良ろしくないほどの赤みや水ぶくれが数箇所できている。


 黒い髪も一部焦げてチリチリしていた。


 髪はともかく、その顔に火傷を負っていないのは奇跡……というより、相手の手加減によるものだろう。


 思い切って髪の毛、短くして正解だった……。


 そんなどこか明後日なコトを彼女は考える。


 確かに腰までの長い髪では、身体は避けたつもりでも当たり、必要以上に延焼してしまったかもしれない。


「大したもんだな……」


 お世辞ではなく、紅い髪の男は、心底感心していた。


 彼からすれば、彼女は一応魔界人とはいえ、完全に魔力が封印されていることは分かっている。


 そのため、ただの人間に等しいのだ。


 どんなに口では強がったことを言っても、こんな状況では彼女もすぐに根を上げるか、あっさり直撃して倒れる、と予想していた。


 魔力が封印されていても、その体内の奥深くに眠っているなら、彼女が普通の人間のように魔法を食らっても死ぬことはない。


 この状況を打破したいのなら、この前のように力尽くで封印を破る方法が一番である。


 彼女が自身の魔力を解放すれば、彼相手でも引けを取ることはないだろう。


 そして、彼が一方的に魔法を放っているのも、どちらかと言えば、それを期待してのことだった。


 魔界人の性質として、肉体や精神を追い詰めれば、自身の身を守るためか、魔力を暴走させることがある。


 日頃は、自分の身体を案じたり、魔法を制御するために全力を出すことができないような人間でも、その状態になれば、そこに理性と呼ばれる制御弁は働かなくなるのだ。


 安全装置が外れた魔界人は、その意識を完全に失うまで動きを止めずに全身全霊の魔法力を込められた魔法を放ち続けることだろう。


 彼としては、彼女が無意識に封印を破ったり、魔力の暴走状態に陥ったりするのはどちらでも構わなかった。


 完全に力を使い果たしてくれたなら、その後の捕獲も容易となることだろう。


 だが、彼女は倒れない。

 それどころか、その意識をしっかりと保っている。


 彼女自身の身体はボロボロとなっているが、無防備な状態で転がされたままの周りの人間は誰一人として傷がついていないのだ。


 確かに、ハンデとして自分の外套を提供した。


 彼女自身の無謀とも言える行動に興味を惹かれたことも理由だが、あっさり勝負がついても面白くはないからだ。


 だが、それを生かして、彼女はまだ、倒れようとはしなかった。


「ハンデを……やりすぎたか?」


 それにしたって外套一つでここまでやるなんて誰が想像できただろうか?


 確かに耐火性の外套、それも自分の魔力が籠められているため、彼の魔法に対してかなり高い防御を誇るものであることは否定できない。


 彼女はそれを最大限に活用していた。

 外套を振り回して、的確に黒い炎を捉える腕と目は、賞賛に値する。


 他の魔界人に魔法を使わずやってみろ、と手渡した所で、すぐに白旗を振っていたことだろう。


 炎の数は意図的に制限しているのだが、だからと言って複数の的を一振りで当てるのは器用だと思う。


 そして、この黒い炎は見た目の割に威力はなかった。

 通常ではありえないものを見せて、恐怖を煽ることが目的の魅せ魔法だ。


 少しでも何かに当たれば、簡単に消えてしまう。


 仮に魔力を持たない人間に当たっても、跡形もなく消えてしまうのは炎の方で、相手は死なない程度に焼け残るようになっている。


 元々、彼自身の目的のために、この場にいる魔界人を焙り出すことが目的だったのだ。


 だからといって、全くの無関係な人間を巻き添えにするほど、本当の意味で非道な人間には彼もまだなりきれなかった。


 そんな彼にとって、この状況は大きな誤算であり、同時に……、自分の見る目を褒めたくもあった。


 魔力を封印してこの状態ならば、魔力を開放すればどれだけのものか?


 それを考えるだけでも、彼はこの場所にいることを心の底から喜ばしく思えていたのだ。


 彼の眼の前にいる少女は肩で息をしており、何度も胸を押さえてなんとか呼吸を整えようとしていた。


 外套を握っている腕の振りも、既に先ほどまでの勢いはない。

 身体を使ってなんとか炎を食い止めているが、直に動けなくなるだろう。


 魔力が封印されているため、彼女の基本能力は人間のものと変わりはない。

 回復力も体力も、その動きも。


 魔力を持たない人間では魔界人に勝つことは難しいのだ。


 しかも彼女の成長途上の少女であった。

 多少、運動経験があるという程度ではお話にもならない。


 それでも、栞は懸命に食い下がった。


 彼女自身、目の前にいる紅い髪の男の目的は、自分ではなく周囲の人間だと言うことも分かっている。


 今回は自分の方が巻き込まれただけだったのだ。

 けれど、寝入った振りをして倒れている魔界人が、本当にこの場にいるのかも分からない。


 もしかしたら、彼の勘違いであることも否定はできないと思っている。


 それに、彼女自身の魔力が封印されていることに多くの魔界人が気付かず、見逃していた。

 だから、逆に実は魔界人に見えてしまう人間だっているかもしれない。


 彼女の母親がそのタイプだから。


 だが、ここにきて、栞は、自分が何のために頑張っているかが分からなくなり始めていた。


 意識は朦朧とし、身体のあちこちにできている火傷以上に、呼吸器官が焼け付くように熱くて痛い。


 腕も重くなって、足ももつれ始めた。


 自分は周囲を庇って立っているが、紅い髪の男が口にしたように、倒れている人間たちの中に全てを知っている魔界人が潜んでいるのなら、その者は、自分自身を守るために、全く魔力を持たない人間に見える彼女を見捨てていることになる。


 そんな人間のためにどうして自分が頑張る必要があるのか?

 そんな疑問も頭に浮かびだした。


 一度、疑念を抱いた人間は、その心が折れてしまうのも早い。


 彼女の瞳に込められていた先ほどまでの力強さを、既に紅い髪の男は感じなくなっていた。

 そして、そのことを彼は哀れにも思う。


 人間と変わらぬ身で奮闘したと思うが、残念ながらそれを保ち続けるほどの精神力はまだない、と。


 彼女の力の片鱗はもう見た。

 もう十分すぎるほどに。


 そうて……、彼は、栞がこれ以上、思い苦しまぬよう、次で勝負を決めてやろう、そう思ったのだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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